初めてのケンカ
食堂で親友と三人仲良くご飯を食べていた時のこと。近くを猿夫くんと師匠と障子くんと常闇くんが通りかかったのだけれど、猿夫くんとわたしがぷいっと顔を逸らしたもんだから、彼女らは当然どうしたのかと聞いてきたわけで。理由は簡単、わたしと彼は初めてのケンカをしているのだ。


「いっ、一週間も口きいてないの!?」

「あの優しい真がそこまでキレるって初めてじゃない!?何でまた……」

「……わたし、優しくなんてないもん。猿夫くんが悪いもん……」

「ちゃんと話してくんなきゃうちらもわかんないよ……」

「最近、真ちゃん元気ないなぁって思ってたけど……何があったの?」

「……あのね…………」





***



わたしは結構前から、普通科C組に在籍している美術部の女の子から恋の相談を受けていた。彼女の好きな人はD組に在籍している剣道部の男の子らしい。そしてその剣道部の彼はわたしとは前後の席なのでそこそこ話す仲だったりする。そんなわたしは恋のキューピッドとして二人の中を縮めるために日頃からあれこれ尽力していたのだけれど、事件は先週の日曜日に起こってしまった。


剣道部の彼と仲の良いD組の男の子に事情を話して協力してもらい、剣道部の彼とその友達、彼女、そしてわたしの4人で街へ遊びに行ったのだ。彼女等が良い雰囲気になったところで、わたしと剣道部の彼の友達はわざと逸れて、どこかで時間を潰そうかと本屋さんに入ったのだけれど、たまたま買い物中の猿夫くんと遭遇してしまった。しかも、彼はわたしの知らないとても綺麗な女の子と一緒にいたのだ。


「真!?どうしてここに……!」

「猿夫くんこそ……えっと、そ、その人は……?」

「ぼ……いや、私?私はですね……」

「……!?」


その女の子も尻尾が生えている個性だったのだけれど、なんと猿夫くんの尻尾にしゅるりと自分の尻尾を絡ませたのだ。彼女が自己紹介をしていたようだけれど、あまりの衝撃にわたしの耳には何一つ言葉が入ってこなかった。猿夫くん自身も驚いていたみたいだけれど振り払うような様子はなくて。やきもちを妬いて、むっとしたわたしも隣にいた男の子の腕に思い切りぎゅっと抱きついた。


「……!?ちょっ、統司さん!?」

「……わたし、この人とお買い物があるから!ばいばい!」


彼の腕をぐいぐいと引いて、猿夫くんに背を向けて歩き出そうとしたのだけれど、後ろから少し焦ったような猿夫くんの声が聞こえた。


「……!?い、いや、ちょっと待って!くっつき過ぎ!」

「くっつき過ぎじゃないもん!そっちはくっつき過ぎどころか絡み合ってるじゃない!」

「はぁ!?い、いや、この人は……」

「何よう!デレデレしちゃって!そんな人だと思わなかった!」

「デ、デレデレなんてしてないよ!!真だって、そんな簡単に男にベタベタするような子だと思わなかったよ!と言うより隣の……」

「ひ、ひどい!最低!ばか!もう知らない!」


そう言い放った時、猿夫くんは今までに見たことがないくらい不機嫌そうなお顔になってしまった。いつもいつもどんな時も優しい彼が、初めてわたしに対して怒りを露わにしている。


「……ちょっとはこっちの話も聞いてよ!俺だって、浮気者の彼女なんか知らないよ!」

「…………!!」

「あっ!統司さん!?」



***






猿夫くんから叱られたことはあれど、それは全て心配からくるものばかりで、こんな風に強く怒られて、拒絶の言葉を返されたのは初めてだった。わたしはいつもぷりぷり怒ってしまうのだけれど、彼もこんな気持ちだったのか。耐えきれなかったわたしはあふれる涙を抑えきれないまま脱兎の如く走って逃げてしまったのだ。そして、彼と口をきけないまま今日で一週間が経つわけだ。


「うわぁ、彼氏くんも可哀想……あんた意外と意地っ張りだもんね……」

「真ちゃん、ちゃんと尾白くんの話聞いてあげなきゃだめだよ……」

「う……わかってるけど……なんか、こう、ぶわーって、顔とか頭とか、熱くなっちゃって……」

「まぁ、浮気者なんて言われたら、ねぇ…」


せっかくのお昼ご飯なのに、なんだか美味しくなくなってきてしまった。残すのは勿体無くて、残ったご飯をせかせかと急いで食べて、わたしは二人を残して先に教室へ戻った。先に行くね、と二人に声をかけるついでに少しだけ彼の方に目をやったけれど、彼は楽しそうに常闇くん達とお話をしていた。やっぱり、わたしのことなんて……


結局、今日も一言も喋らないまま放課後を迎えてしまった。画材の入った手提げを持って、部活へ向かおうとしたところで剣道部の彼に呼び止められた。何の用事かと首を傾げたら、なんとC組の例の女の子とお付き合いをすることになったらしい。まるで自分のことのように嬉しくなったわたしは彼に祝福の言葉を告げて、足早に絵画室を目指した。彼女はとても嬉しそうにわたしに話しかけてきてくれた。


「あっ!真ちゃん!あの、実は私……」

「うん!剣道部のあの人とお付き合いするんでしょ?おめでとう!さっき本人から聞いたよ!」

「そ、そうなの!ありがとう!真ちゃんのおかげだよ!」

「わたしは何もしてないよ!えへへ、上手くいって良かっ……」

「統司さん!あの、ちょっといいかな!」

「えっ?」


彼女と手を取り合って喜び合っていると、突然、後ろから大きな声で名前を呼ばれた。振り向くと、例の剣道部の彼の友達の、わたしが腕に抱きついたあの男の子が立っていた。彼に呼ばれて荷物も持ったまま着いて行くと、体育館の裏でくるりと振り向かれた。びっくりしてぴたりと止まると、彼はぎゅっとわたしを抱きしめた。


「きゃあっ!な、な、何す……」

「統司さん……好きだ……」

「……えっ!?」

「あの二人、付き合うらしいしさ……統司さん、尾白とうまくいってないんでしょ?なら俺達も付き合っちゃわない……?」

「あ……う……」


猿夫くん以外の男の人にこんなに強く抱きしめられるなんて今までに一度もなくて。離れたくても脚がすくんで動かない。怖い。


「統司さん、すっごく可愛いし、前からいいなって思ってたんだよね……」

「い……い、や……た……」


声が、でない……怖い、怖いよ、たすけて……


「ん?聞こえな……うわあっ!!」


やっと出たその声は誰にも聞こえないくらい小さなもので、届くはずなんてなかったのに。


「真に……俺の彼女に触るな!!」


気付けばわたしは尻尾のヒーローに抱きかかえられていた。彼はとても心配そうなお顔でわたしの目をじいっと見つめながら、大丈夫?どこか痛くない?と聞いてくれた。


「あのね、ここが痛いの……ぎゅって、締め付けられてるみたいなの……」

「そっか……じゃあ早く治さなきゃ……」

「えっ……?」

「……キミ、俺の彼女に用事?手短に頼むよ、体調が優れないみたいだから。」

「あ、い、いえ!何でもないです!失礼します!」


結局あの男の子はさっさと走って行ってしまった。猿夫くんは尻尾を使って、わたしを抱きかかえたままぴょんっと高く跳んで、あっという間にA組の寮へと連れて行ってくれた。寮の入り口で彼の腕から降りて、下を向いたまま黙っていると、彼は優しく微笑んで大きな手を差し出してくれた。そっと彼の手を握ったらぎゅっと強く、だけどとても優しく握り返してくれた。そのまま彼に手を引かれて、彼のお部屋に一緒に入った途端、今まででも一番強いと思うくらいぎゅうっと抱きしめられた。


「きゃうっ!い、痛……」

「ごめん……ごめんね、傷つけて……怖い思いさせて……ごめん……」

「あ……う、ううん、そ、そんな、こと……」

「ごめんね……俺、今自分にすっごい腹が立ってる……真を守れなくて……怖い思いさせて本当にごめん……」

「え、えっと、なんで来てくれたの……?」

「聞こえたんだ。怖いよ、たすけて、って。俺の思い過ごしかもしれないけど……真が俺を呼んでる気がした。たすけて、って言われてる気がして、無我夢中で走って行ったら真が……ごめんね……」


わたしは、なんて、ばかなんだろう。この人はこんなにわたしのことを大切にしてくれて、こんなに優しくしてくれて、こんなわたしのことをこんなにこんなに愛してくれているのに、わたし、わたし…………


「……真!?な、なんで泣いてるの!?ご、ごめん!本当にごめっ……んぐっ……」


これ以上彼に謝ってほしくなくて、わたしは彼の首に腕を回して思いっきり自分の方へ引き寄せて、そのまま彼の口を自分の口で塞いでやった。


「……う、うぅ、ごめん、なさい、ひっ……ぐすっ……意地、はって、ごめ……なさ……う、うぅ、ぐすっ……」

「ううん、俺の方こそごめん……いくら男が相手でも、尻尾を絡ませたりしたら嫌だったよね……」

「……えっ?お、男の子?」


びっくりして涙がぴたりと止まってしまった。猿夫くんはわたしが急に泣き止んだことにびっくりしたみたいで、細い目をまん丸に開いてぱちぱちと瞬きをして、ハッと我に返ると慌てて口早に話し始めた。


「あれは中学の同級生の男友達!あの外見だからよく女性と間違えられてるんだよ!あの時言おうと思ったんだけど、その、俺もすごく嫉妬してたし、真、めちゃくちゃ怒ってて聞く耳持ってくれなかったし……」

「ご、ごめんなさい……」


しゅんっと項垂れて謝ったら、猿夫くんは膝をついてじいっとわたしの顔を覗き込んできた。


「真にお願い事、してもいい?」

「うん……何でも、きくよ……」

「俺のこと好きだったらさ……もう一回、してくれない?」

「もう一回……?」

「うん……だめ、かな……?」

「あ……」


猿夫くんがわざわざ膝をついてくれたのはそういうことだろう。おまけに目を閉じて、少しだけ顔を前に出してきた。これならわたしでも意味がわかる。いいよ、とお返事をする代わりに、わたしは彼がいつもしてくれるように彼の左頬にそっと右手を当てて、ちゅうっと唇を重ねた。わたし達の初めてのケンカはこうして幕を閉じたのだった。





初めてのケンカ




「猿夫くん、わたし、ひどいことばっかり言ってごめんなさい……」

「ううん、俺の方こそごめんね……」

「「……あ、あの……」」

「さ、先に、どうぞ?」

「い、いや、真の方から……」

「……猿夫くん、だいすき……いちばん、だいすき……」

「……!お、俺も!俺も、真が一番大好きだよ……」






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