ウェルメイド・プロット


赤井秀一は人使いが荒いと思う。
わたしはもう彼……秀のパートナーではないのだが。しかし、彼はわたしを無意味に呼び出すことはないし、その呼び出しを師である以上無意味に断れない。そして、自分の信念を曲げることはしない、それは彼も知っている。知っている上での呼び出しということは、わたしにも利することがあるといことだろう。
それは、黒の組織を脱走したメンバーであるシェリーという女性を始末するため、組織の人間が民間の列車「ベルツリー急行」に乗り込むというものだった。その計画の実行犯はベルモットと、バーボンというコードネームを与えられた、潜入中であるわたしの公安側の上司、降谷零だ。降谷さんはシェリーを生かして捕らえたいと考えているだろうが、きっとうまくはいかないだろう。同じ黒の組織の策略によって。生かすよりも殺す方が簡単なのだ、味方が少なく疑われてはいけない状況での保護は難しい。無茶なことをして自分が組織に狙われては元も子もないのだ。
結論として、秀はシェリーを死なせたくない、わたしは降谷さんにシェリーを殺させたくない。シェリーの始末を降谷さんは望んでいない上に、黒の組織にとって有益になることは避けたいからだ。利害の一致があり、わたしは秀の計画、正しく言えばコナンくんの計画に手を貸すこととなった。




偽名を使ってベルツリー急行に乗り込む。この列車はミステリートレインで推理イベントが開催されるという少し特殊なものだけあって、顔をベールで隠していてもあまり不自然に思われないのでありがたい。車内で秀、今は沖矢昴さんと合流するため、目的の部屋を目指す。
尾行や人目がないことを確認し、部屋に着いたことを携帯で昴さんに知らせると、扉が細く開いた。するりと部屋の中へ入ると、今回の計画の実行者が待っていた。

「やあ、久しぶり」

「……なんだか気持ち悪いです」

顔も声も違う別人で爽やかに挨拶をされても、中身が秀だとわかっているとその爽やかさも違和感しかない。眉間に思いっきり皺が寄っているだろうが、ベールで見えないだろう。
計画の最終確認を行うためソファに腰掛ける。目の前には鍔の広い帽子を被った優雅な女性が座っていた。

「はじめまして、いつもしん……コナンくんがお世話になっています」

美しく微笑む彼女はコナンくんの親戚の大女優、工藤有希子だ。彼女の非凡な変装技術は、秀が昴さんになるためにも、今回のシェリーを守る計画のためにも必要な技術である。

「はじめまして。昴さんから聞いていると思いますが、こちらの事情で素性は明かすことはできません。信用するのは難しいでしょうが、よろしくお願いします」

「名前がないと不便だと思うので、ネビンズと呼んであげてください」

「またその名前ですか……わたしはあの組織の一員じゃないんですが。それ、気に入ってるんですか?」

「良い名前だと思うんだけどな」

前に昴さん、あの時はまだ赤井秀一だった、と日本で合流したときにも使った名前だ。黒の組織の一員のように、カクテルの名前でわたしを紹介するのはいかがなものか。昴さんのときは彼の目がよく見えないので、真実を読み取ることが難しい。彼はわたしの”勘の良さ”を知っているので、どうせ上手くはぐらかされるのだろうが。
有希子さんはわたしたちのやり取りを微笑ましそうに見ている。

「仲がいいのね、頼もしいわ。よろしくね、ネビンズちゃん」

ネビンズちゃん、とは、一瞬眩暈がした。
どんなに見た目を取り繕っても、彼女には本当のわたしが見えているのかもしれない。工藤家の血は恐ろしい。
有希子さんのわたしの呼び方に対して、昴さんは笑いを堪えていた。

「……早く準備をはじめましょう」

「ふふ、そうね。カーテンコールまで頑張っちゃうんだから!」




コナンくんの立てた計画に驚くのは二回目だ。
誰がシェリーになるのか悩んでいたところをわたしが買って出たのだが、それにしても流れを読むのがうまい。元々は有希子さんがその役割だったのだが、ベルモットという組織の人間が相手ならそれを読まれるだろう、と。ベルモットに存在を知られていないキャスティングが必要だったのだ。そうすれば、有希子さんはベルモットを引き付ける役目ができるから。
降谷さんの調査対象にコナンくんが加わる日も遠くなさそうだ。そうなれば、わたしの仕事も増えるのかな・・・また睡眠時間が削られる。
そんなことを考えながら、煙の充満してきた列車の最後尾へ歩を進める。むせかえり涙で少し前がにじんだ。追い詰められ憔悴したせいでふらついているのを装い、壁に手を添え体を支える。八号車のB室、この部屋の前で間違いない。何度目か咳込んだとき、背後から聞き覚えのある声が聞こえた。

「さすがヘル・エンジェルの娘さんだ……よく似てらっしゃる……」

いつもと同じ声のはずなのに、酷く冷たく鋭い。これが、黒の組織の中の彼か。
驚きを隠さずにわたしは勢いよく振り返る。
今のわたしは、有希子さんの変装技術によってシェリーに成り代わっていた。首には変声機も装備済みだ。貨物車に行くまでは、わたしの壁を挟んだ部屋内にいる本物のシェリーが受け答えする手はずになっている。

「はじめまして。バーボン……これが僕のコードネームです」

不敵に笑うバーボンは降谷さんであって降谷さんでない別の人間だった。黒の組織に潜入捜査を任される力・・・か。
自分も傍から見れば、こう見えるのだろうか。
自分の兄も・・・自分の前とは違う顔を持っていたのだろうか……。
いけない、こんな場面で干渉に浸っている場合ではない。降谷さんを助けるために、降谷さんを騙してみせる。




「さあ、扉を開けて中へ」

拳銃を手にしたバーボンが、わたしを貨物車の中へ誘導する。撃つ気はないだろうが、目線は外さない。シェリーはバーボンが本当は何者なのか知らないのだから。

「ご心配なく、僕は君を生きたまま組織に連れ戻すつもりですから」

懐から爆弾を取り出し、連結部に設置する。

「この爆弾で連結部分を破壊して、その貨物車だけを切り離し、止まり次第僕の仲間が君を回収するという段取りです。その間、君には少々気絶をしてもらいますがね」

この件は風見さんも動いているのだろうか。もしかして、回収場所で待ちぼうけになってしまっていたりするのかな。降谷さんからわたしと回収場所で合流するように指示を受けているかもしれない。
そうだったら申し訳ないな、と考えながら貨物車の中を横目で見る。やはり、思っていた通りだ。

「まあ、大丈夫、扉から離れた位置に寝てもらいますので、爆発に巻き込まれる心配は――」

「大丈夫じゃないみたいよ」

「えっ」

「この貨物車の中、爆弾だらけみたいだし」

流石のバーボンも驚いたようだ。白い布の下には隠されていたのは大量の爆弾。仲間の策略を全く読んでいなかったわけではないのだろうが、車内で爆弾を使うとは思っていなかったのかもしれない。

「どうやら、段取りに手違いがあったようね」

黒の組織は本気でシェリーを消してしまいたいようだ。この量の爆破に巻き込まれるのはまずい。

「しかたない、僕と一緒に来てもらいますか」

そういってバーボンはわたしの腕を掴む。いつものような優しさはなく、手袋をしているせいか伝わる冷たさに胸が痛くなった。
もうそろそろ決行場所の鉄道橋だ。ふっと笑みを作りバーボンを真っ直ぐ見つめた。

「悪いけど、断るわ」

わたしは首に手をやって、機械のスイッチを切った。

「バーボン」

静かに彼の名を呼ぶ。
ゆっくりと目が見開かれ、驚きのせいかわたしをつかんでいた彼の手が離れた。
わたしはシェリーの顔のまま、ただじっと彼を見つめた。

「どうして……」

そう、バーボンが呟いた直後、客室の扉が無造作に開けられた。

「! ベルモットか」

一瞬でバーボンに戻り、わたしに向けていた体を反転して突如現れた男に銃口を向ける。
残念だが、彼はベルモットの変装ではない。降谷さんが恐れ、憎み、執着する人物。
本当は、会わせたくなんて・・・なかった。

「悪いが彼女は僕が連れて……っ」

かちっという音の後、がらんっと何かが投げ入れられる。それは、わたしのすぐ足元に転がってきた。貨物室と客室の連結を破壊させるためのもの。

「手榴弾!?だっ、誰だおまえ!」

バーボンは客室の扉を見ると、投げ入れた人物の目のみが鋭くこちらを睨んでいた。
ばたんと閉められる客室の扉。
後ろは大量の爆弾が積まれている貨物車。
わたしの足元に転がるのは手榴弾。

「くそっ」

悪態をついてバーボンはわたしの手を思いっきり引いた。客室側の扉と連結の間にある短い通路の壁際に押し込まれる。苦しいほどに抱き締められた。爆発から守るように。目の前に見えるのは彼の着ているベストの黒だけ。
ああ、守るのはわたしの役目なのにな。
手榴弾の爆発後、もっと大きな爆発音が聞こえた。貨物車に爆弾を積んだ誰かが、それを爆破させたらしい。
わたしを抱きしめていたバーボンの胸を押して、視界を広げる。最終車両を無くし外とを遮るものがなくなった八号車から、貨物車だったものが橋の上で燃えているのが見えた。どうやらわたしたちの計画は成功したようだ。

緊張の糸が少し緩んでしまった。目の前にいるのは、黒の組織のバーボンといえど、降谷さんだから。
ふう、と一息ついたところを狙われてしまった。

「え、あっ……ダメっ」

バーボンがわたしの首に手をかける。抵抗しても腕力では敵うはずもなく、呆気なくシェリーのマスクは剥がされ捨てられる。
乱暴に剥がされたため、髪を纏めていたピンも一緒にとれてしまった。長く黒い髪が風に揺れる。

「……痛いじゃないですか、もう少し優しくしてください」

シェリーから翠川唯に戻る。悪態をつけるのも、唯という人間に戻ったからこそだ。

「対象の回収を命じたはずだが、ここで何をやっているんだ、唯」

そんなに眉間に皺寄せないでください、恐いです。
目の前の人物も降谷零に戻っていた。

「保護対象の回収が阻止される確率が高いとの情報があり、わたしが動きました。貴方に知られるとこちらの計画が洩れる可能性があったため、事後報告としました」

はあ、と降谷さんは頭を抱える。

「これの方が付いたらそっちに顔を出す。その時に全部聞かせろ」

「全部は無理ですが、承知しました」

睨まれても言えないものは言えない。今回の実行者は誰の名前も出せないし、出さない約束なのだ。
沖矢昴の名前など……出せるはずもない。
わたしの強固な意志に、ここで問答しても時間の無駄と降谷さんは悟ったらしい。

「……怪しまれる前に俺は戻る、お前も気を付けろ。風見に撤収指示を出しておけ」

わたしの頭をぽんっと撫で、八号車の中へと去って行った。
わたしたちの計画は上手くいった。あとは、わたしが隠れて昴さんのところまで戻れば問題ない。
しかし、降谷さんの今し方撫でた行動にいくつの意味が込められているのだろう。ずっと険しい顔をしていたのに、去り際にあのようなことをされては平常心でいられなくなってしまう。
脈拍が落ち着いてから戻ろう。その頃には、わたしの頭に残った温度も消えているだろうから。とりあえず、風見さんへ降谷さんの指示を伝えるために携帯電話を取り出すのだった。
(2018/5/27)

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