徹夜の公安組 02 / 風見裕也の場合


三日目。
自分が起きている日数だ。
事務的処理が続き、終わらず、気づいたら三日経っていた。椅子の背もたれに寄りかかり一息つく。
今日は降谷さんはここにいただろうか。
仕事が一つ片付いたことを報告しなければ。一度緩めた気持ちを引き締めるために、ネクタイの結び目を直した。




「あれれー、風見さんだー」

何故か唯さんがいた。
降谷さんのデスクは自分たちと同じフロアにあるのだが、パーテーションで仕切られている。そこにある対面のソファに唯さんと、彼女と向き合う形でこの部屋の主である自分の上司、降谷さんが座っていた。
二人の間の机にはかなり大きなタッパがひとつと、それより二回り小さいタッパが数個並べられていた。準備もよく、取り皿と箸、ティーポットとカップも揃えられてる。

「……こんなところで遠足ですか」

この二人のすることは読めないことが多い。降谷さんは三手、四手も先を見ているし、唯さんは勘が鋭すぎて自分の考えが追い付かない。
寝てないせいもあって、職場の仕事内容とは合わな過ぎるほんわかとした光景に戸惑いが隠せなかった。

「やっぱり敷物も持ってきたらよかったんじゃないですか?」

「お前は馬鹿か、大の大人が敷物敷いて外でご飯だなんて目立ち過ぎるだろう」

「お花見の季節だったら良かったのに……残念です」

「……そういう問題じゃない」

相変わらずのやり取りだ。どこまでが本気かわからない、突っ込みにくい。
唯さんは眉が下がって口を尖らせている。意外に本気だったのかもしれない。

「それで、仕事は片付いたのか、風見」

流れについていけずに思考が飛んでいたが、降谷さんに名前を呼ばれてはっとなった。
そうだ、自分はそれを報告しに来たのだった。

「はい、先ほど終了しました」

「お疲れ様です、風見さん」

先ほどとはうって変わって、笑顔で唯さんから労いの言葉をもらう。何故だか彼女の笑顔は癒される。
彼女は自分が座っているソファの隣をぽんぽんと叩いて座るように促した。報告しに来ただけだったので、すぐ退出しようと考えていたのだが。
ちらりと降谷さんを見ると、同じく目線で座れを言っているので意図をつかめずにいたが指示に従うことにした。
座り心地のよいソファが自分を迎えてくれる。やっと一息付けた気がした。

「また精彩を欠いた顔をしているな」

ずばりと突っ込まれた。寝不足なのだから顔色が良くないのは当たり前だが、降谷さんが言っているのはそれのことではないのは自分がよくわかっている。
以前も同じように厳しく言われたのにまたやってしまった。

「申し訳ありません、優先すべき仕事だと判断したので……」

言い訳がましいが、ゆっくりやっていい仕事でもなかったのも事実だった。降谷さんもそれをわかってくれているとは思う。

「だからと言って、身体を壊しては元も子もない。チョコレートでは必要な栄養素など足りないに決まっているだろう」

両手を組んで、いかに食事が大事か語り始める。このために座らされたのか。自分に非があるのだから致し方ない。
しかし唯さんは降谷さんとここで食事をするために来たのだろうに、付き合わせることになってしまって申し訳ない。

「聞いてるのか、風見」

はい、と返答しようと口を開きかけたとき横から割って入られた。

「降谷さんストップ」

隣で静かに降谷さんの説教を聞いていた唯さんが、右手で静止するように掌を広げて突き出した。

「話が長いです。心配だからご飯作ってきた、一緒に食べようって素直に言えばいいじゃないですか」

「……は?」

言葉の意味を上手く理解できなくて、降谷さんを見やるとぐっと言葉に詰まらせていた。
改めて机の上を見ると、取り皿も箸もカップの数も三つずつだ。最初から三人で食べるために用意されていたのか。考えてみれば男女一人ずつにしては多すぎる量だ。

「昨日、進捗状況を聞いたときに明日には終わるって聞いたので、報告ついでに一緒に食事しましょうって提案したんです」

そういえば、唯さんにそんなこと聞かれた気がする。

「心配ならそういえば言えばいいのに。ね、降谷さん」

「少し口を閉じろ……」

手で顔隠す降谷さんの表情は読み取れないが、唯さんは笑いを堪えきれないようだ。そっとこちらを向いて自分の耳に顏を寄せて、あれは照れているんですよ、とこっそり教えてくれた。
本当に部下のことをよく見ていてくれていると実感する。この上司だからこそきつい仕事も頑張れるのだ。

「わたしもお握りとお茶の用意してきたので、食べてくださいね」

「はい、ありがとうございます……」

彼女だって自分の仕事で忙しいだろうに。こんなに良くしてもらっていいのだろうか。嬉しい反面、心配をかけてしまっていたのが申し訳ない。本当に気を付けなくてはならないな。
俯いて考えていたせいか、唯さんが自分の顔を覗き込んできた。

「お腹一杯になって眠くなっても大丈夫ですよ?」

大丈夫とはどういう意味だ。唯さんの意図を理解できずに頭にクエスチョンマークを浮かべていると、自信ありげで先ほどソファに対してしたように自分の膝をぽんぽんと叩いた。

「ほら!今なら翠川のここ、空いていますから」

特別なことなんて何もないかのようにさらっと言い出した。可愛い女性にそんなことを言われて、反射的に顔が熱くなる。
いや待て、落ち着け。別に膝枕をして欲しいわけでは断じてない。場所も場所だし、何よりこの上司の目の前でそんなことをしたら後がどうなるか想像に難くない。
隣の唯さんはどうぞと言わんばかりの笑顔。それと相反するように正面の降谷さんからは黒いオーラが漂っている。背中に冷や汗が流れた。

「……いえ、あの……ご飯をいただいたら、自宅へ帰らせていただくので、大丈夫……です」

平常心を装って答えたが顔が引きつっているのが自分でもわかった。ふふっと唯さんが笑う。

「風見さん、面白い顔してます」

誰のせいだと思っているんだろうか。
この人は降谷さんの反応をわかっててやっているんじゃないかと疑いたくなる。そうだとしたら魔性の女過ぎて、上司よりも恐ろしい存在になってしまう。
唯さんに限ってそれはないか。自分の顏で笑っている彼女は、純粋に楽しそうで年齢よりも幼く見えた。あまり見つめているとまた上司の機嫌を損ねかねない。

「風見をからかうのはやめろ」

「ふふ、ごめんなさい」

「……お気持ちだけ受け取っておきます」

眼鏡を上げて落ち着きを取り戻すと、空腹だったことを思い出した。タッパの蓋を開けると、色とりどりの料理が目の前に並んだ。

「それじゃあ、いただきましょうか」

唯さんがカップにお茶を注いでくれて、落ち着く香りがひとつ増える。

「とっとと食べて、風見は休め。唯は仕事があるからな」

「ありがとうございます」

「わかりました」

上司の言葉にそれぞれ返事をする。
寝る暇がなかったのは大変だったが、そのおかげで今降谷さんたちと食事をする機会ができたと思うと頑張った甲斐があったというものだ。この職場での貴重で穏やかな時間も一緒に味わうように、自分は両手を合わせた。

「いただきます」
(2018/6/9)

back