徹夜の公安組 03 / 降谷零の場合


ここ三日はずっとバーボンと言う名で動いていた。やはり潜入捜査というものは通常の何倍も気を使う。三日寝ていないだけなのに、こんなに身体が上手く機能しない。
やるべきことはまだある、帰宅するわけにはいかない。効率的な作業順序を考えながら俺は風見の報告を受けていた。

「――以上です」

「わかった」

「……降谷さん、お疲れのようですから少しお休みになっては?」

どうやら自分が思っている以上に顔に出ているのか。風見が察してしまうとは。

「いや、まだ休むわけには」

「失礼します」

「まだ入室許可はしていないぞ……」

ノックと同時に入ってきたのは翠川唯だった。相変わらずこちらの事情はお構いなしらしい。こいつは自分が部下だという立場を理解しているのか。その独断先行には何度か助けられている事実もあるが、どうにも自由すぎる。
入ってきた勢いのままに唯は俺のデスクの前で立ち止まり、覗き込むように首をかしげて顔を寄せてきた。疲れのせいか、そんな動作さえも可愛いと感じてしまい頭を抱えたくなる。

「わー、噂どおり怖い顔してますね」

「唯さん、もしかしてそれを言うためにわざわざ来たんですか……?」

「だって久々に降谷さんがここに来てるって聞いたのに、すごい怒ってるとか不機嫌とかヤバいとか噂されてたので、ついどんな顔してるのか気になってしまって」

「誰だ、そんなことを言っていたやつは」

「さあ、わたしも小耳に挟んだだけなので」

ふいっと視線を反らし、追随を逃れようとする。噂話をしている暇があるならもっと仕事量を増やしてやろうと考えていたのに。誰かが噂していたという情報も怪しく、俺が戻ってきたのを見に来るための口実のように感じた。

「それで何日目なんですか、徹夜」

いつも俺に向けているような、からかい半分の笑顔で聞いてくる。
なんでこいつはこんなに楽しそうなんだ。
何も探らずに見れば血流の良い頬と唇、少しつり目なのに優し気な印象を与える柔らかな雰囲気……それはとても――。今思った感情を消し去るように頭を振る。

「……三日目だ」

駄目だ、少し仮眠を取るべきだ。思考をそのまま口に出してしまう前に。

「珍しいですね、三徹でそんなに目が座ってるなんて」

「潜入捜査で本当にお疲れみたいですから、唯さんもあまりからかわないであげて下さい」

「失礼ですね、わたしだって心配してます」

「……あなたでも降谷さんのこと、心配するんですね」

「風見さんはわたしのことなんだと思ってるんですか。一応部下ですからね、いつも心配してますよ?」

二人のやり取りが騒がしいがあまり頭に入ってこない。相変わらず仲がいいことだ、妬けることに。
一応部下、という単語が気になったが、この場にあまりにも相応しくない穏やか雰囲気が俺の意識を奪っていく。片手で顔を覆った俺に気づき、唯が風見とのじゃれあいを止めて声をかけてきた。

「降谷さん、倒れる前に少し寝てください」

指の間から見えた唯の顔は楽しんでいる風はなく、八の字に下がった眉で本気で心配していた。彼女の顔をみて、声を聞いて、他愛もない話をしていると不思議と疲れを忘れられたのに。今の自分の中には空元気すらも残っていないようだ。
充電するために彼女に協力してもらおう。からかい半分で俺のところに来たのだから、こちらもそれなりのことをしても構わないだろう。

「降谷さん?」

「――ああ、うん、少し休ませてもらう」

「仮眠室が空いているか確認してきます」

風見が駆け足で出ていくのを横目に、俺は椅子から立ち上がりデスクを挟んで立っていた唯へと歩み寄った。先程とは逆に俺を見上げる彼女の頭には珍しくクエスチョンマークが浮かんでいだ。

「えっと、どうしま――っ!?」

その腕を掴み、近くのソファ目がけて放り投げる。ぼふっと柔らかなソファが二人分の重みで沈んだ。唯と少し間隔をあけるて俺自身も腰を下ろしたからだ。

「ちょっとなんなんですか、人がせっかく心配してるっていうのに!」

抗議は聞こえないふりをした。どうせ本気で怒っているわけではないだろうし。それよりも動かれては困る。スーツのジャケットを脱ぎソファの背に掛け、ネクタイを緩めた。

「いいから、そのままで」

「はあ?何をす……る……いや、待って下さい、それはっ」

どうやら気づいたようだが、俺はそのまま唯へ向かって横になった。ちょうど頭が彼女の膝に乗る位置で。そうすればもう逃げることなどできない。スカート越しだが、彼女の体温と柔らかさが心地いい。

「まって、これっ!セ、クハラ……ですっ!」

「慌て過ぎだろう、大丈夫か」

「だ、誰のせいだと思ってるんですか!」

「お前のせい」

はあ!?と大きな声で反論される。心配している相手に対する言い方じゃないが、怒っているというより慌てているらしい。そんな物珍しい彼女についつい口角が上がる。
この部屋に戻ってきた人物の気配を感じて、以前の彼女自身の発言を思い出させてやる。

「前にここが空いていると言っていただろう、それとも風見専用なのか?」

「うぅ、確かに、言いましたけど……」

「どうなんだ、風見」

がたっと、扉近くで音がした。風見は目の前の状況に思考が停止していたらしい。仮眠室から戻ってきたのはいいが、声をかけられなかったというところか。
唯は風見に目線で助けを求めていたが、この男は俺の部下なので無駄なあがきというものだ。

「あー、別に専用ではないので、唯さんがいいというならいいんじゃないでしょうか……」

「風見さんの裏切り者ー!」

「いや!本当のことですのでっ」

「正直者に酷い言い様だな」

勝ち誇った顔で唯を見上げる。風見は巻き込まれたくないようで退室する機会をうかがっていた。俺もそろそろ本気で寝たいので、それを促す。

「そういう訳だ、風見は戻っていい」

「は、はい、それでは――」

「待って!ほら、人恋しいなら風見さんだって適任ですよ!」

俺と風見の顔が固まる。
それはなんだ、そういうことか。
なかなかしぶといやつだな。
はっきり言って諦めさせるのが一番早そうだ。

「唯がいい」

短く事実だけを唯の目を見て告げた。ついでに言うと風見は硬くて寝づらそうだし、何より男の膝でなど夢見が悪そうだ。それを聞いた彼女は耳まで真っ赤にして視線が泳ぎ、あ、うう、と言葉にならない単語を発していた。そうか、俺と目を合わせていたから冗談ではないということが伝わってしまったのか。しかしその表情は滅多に見られないもので……。自分の中にある秘めた感情を浮かび上がらせてしまいそうになった。
風見は唯が黙ったの逃さず、そそくさと退室していく。

「自分は仕事があるので失礼します」

「ああ、逃げないでください!風見さん!!」

「煩い、寝れないだろう」

「――っ……はあ」

ずっと力が入っていた唯の身体がへにゃっとソファの背もたれに預けられた。
二人きりになった部屋には互いの呼吸音しか聞こえない。
唯は未だに困ったような顔をしていたが、もうひとつだけため息をついて俺に視線を落とした。

「……今回だけですよ」

「それは聞かなかったことにしたいな」

「本当に減らない口ですね、もうしませんよ」

だって、恥ずかしいです。
そう笑って俺の頬を抓るが痛くはない。
第三者の目を気にしていたらしい、次は風見がいない時にしよう。そう決めて、頬に触れていた手を取り自分の胸の上で指を絡ませる。もう唯は抵抗せずされるがままだった。それに満足し、俺はゆっくりと目を閉じた。
こんなに落ち着いて誰かの前で眠るなんていつぶりだろうか。いくつもの顔を持つようになり、光を失ってからもう一度こんな時がくるなんて思いもしなかった。
そのうちに小さな手で優しく頭を撫でられる。子供扱いされてるようだが悪い気はしなかった。
瞼を開ける力は残っておらず、彼女も穏やかな顔をしていて欲しいと願う。安らぎをくれる彼女に自分も同じものを返したい。その笑顔の裏に抱えている寂しさを、こうやって二人でいることで和らげることができたなら。
触れた場所から伝わる温もりを感じながら、俺は意識を手放した。

「……おやすみなさい、    」
(2018/6/16)

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