11/11の免罪符


「ただいま」

今日二度目の帰宅だった。学校から帰ってきたときに惣治郎さんから買い物を頼まれたのだ。竜司が一緒に居たためやっぱりいいと言われたが、惣治郎さんからの頼みは断りたくなかった。それだけこの人にはお世話になっている。竜司は二階で待ってるから行ってこいと言ってくれたし、遠慮なく頼みを受けた。俺のいない間に祐介も来ることも伝えて、ルブランを出たのだ。

「おお、助かった。さっき祐介くんも来て、瀬那ちゃんに相手してもらってるよ」

「瀬那? 今日来てるんですか?」

「ああ、うちのコーヒー持っていってもらった」

瀬那が来る日と重なってしまうとはなんだか勿体ない気がした。男二人とは怪盗団の活動でも会えるが、彼女はアルバイトと受験生の冬というのもあって中々約束も取れない。異性で学校が違うとなれば、口実を考えるのも難しかった。
久々に顔を見れると足早に二階へと駆け上がると、竜司が一人でソファに座っていた。俺と視線が合ったので声を掛けようとしたが、その顔が驚きに引きつる。嫌な予感がして、階段を上り切った先に見えた光景に俺の思考は止まった。椅子に座った瀬那の後ろ姿が祐介と重なっていたのだ。それは、ドラマなんかでよく恋人同士が行うシルエットを彷彿とさせるもので、俺は声が出せずにいた。なんで。

「あ」

後ろを向いているのに瀬那が俺に気が付いたのかと思った。が、そうではなかった。彼女と祐介が離れる。

「折れてしまいました」

「この場合は俺の勝ちということか? ん、暁、お邪魔している」

「暁くん、おかえりなさい」

咀嚼しながら祐介が俺に気がつき片手をあげる。それに倣って瀬那も振り返って笑った。今し方の行為の意味するところを全く考えていない二人に顔が引きつる。その様子に慌てているのは竜司だけだ。その手には赤い箱に入った棒状のプレッツェルにチョコレートがコーティングしてあるお菓子を持っている。なるほど、これはこの男の入れ知恵らしい。

「悪い、遅くなった」

「気にするな、マスターの頼みだろ」

「それじゃあ、わたしは戻りますね。楽しかったです、また色々教えてくださいね、竜司さん」

「あ、ああ、ってそれ今言っちゃだめだって!!」

軽く会釈をして瀬那は一階へ降りて行った。相変わらず俺と視線を合わせない竜司の隣に腰掛けると、慌てふためいたように言い訳を始めた。

「いやあ、瀬那がさ! 今日何の日か知らないっていうから、こういう遊びがあるんだーって言っただけであって、その、なっ!?」

「同意を求めるな、俺だって初めて聞いたぞ」

そういえば、今日は十一月十一日だ。そのお菓子メーカーが大々的に広告している日である。瀬那も祐介もそういうのに疎いから知らないのも無理はないが、そもそもそのお菓子を用意していた時点で最初から何か企んでいたのではないかと疑ってしまう。竜司にそんな頭があるのかは置いておいて。

「なんで自分じゃなくて、祐介と?」

「たまたまあっちに座ったからであって……つーか、嫌がんないならオレだってやりたかっ――いや、なんでもありません」

ルールを聞いて、さすがの瀬那も断ると思ったのだろう。試しに祐介とやってみるか冗談半分で聞いてみると、楽しそうですね、と言って了承したのだ。ゲームだからと言って最終的にどうなるか、なんて二人は何も考えていなかった。

「やはり普通に食べるのが一番だ」

この男に至っては食欲しか持っていないのだろうか。頭を抱えてため息をつくと、悪かったって、と竜司に背を叩かれる。

「これ置いてってやるから、お前も頼んでみろって。きっとやってくれるぞ」

「そういう問題じゃない……」

そんなだまし討ちのようにするのもどうかと思う。それは段階を踏んでいかなければいけない行為だ。お互いが何となくつかず離れずの雰囲気ではいるが、自分にその資格はまだない。その間に彼女が離れていっても仕方ないと口では言っていても、そんなの嘘だと気づいていた。実際していないにしても、自分以外の男とのそういう光景を見るのは心臓が止まるかと思うほどの衝撃だったのだから。

「かっこつけたって、横から盗られたら意味ねーぞ」

「なんだ泥棒か?」

「それはある意味、祐介のことだな」

俺は何もしてないぞ、そういって祐介はいつものお菓子をポリポリ食べだした。甘いのは口に合わなかったらしい。

「唾つけちまえって、その方が安心すんだろ?」

竜司は痛いところをついてくるから侮れない。しかしその言い方は下品だ。
結局、件のお菓子は俺の手に押し付けられ、二人は帰って行った。竜司は頑張れよ、とルブランを出る前に言うものだから、惣治郎さんと瀬那に訝し気な目で見られることになった。
部屋に戻ってベッドに転がる。頑張れって何をだ、俺にも瀬那と例のゲームをしろってことか。赤い箱と睨み合いをしたところで、何がどうなるわけではない。祐介と同じく、俺とも簡単に了承するのだろうか。もしかしたら瀬那が俺をどう思っているのか、はっきりするかしれない。彼女の好意がわからないから、悶々とするのだ。
誰かが上がってきた音がした。惣治郎さんだろうか。視線をやると、階段の手すりに華奢な手が見えたので、慌てて横たえていた身体を起こす。

「今、そっちに行ってもいいです?」

「――ああ」

こんばんは、と言って姿を現した彼女はもうエプロンを外し制服のシャツのみで、ルブランの手伝いを終えたことを示していた。瀬那は自然な動作で俺の横に座ると、ぎしっと粗末なベッドが声を上げる。顔に出ていたのか聞いていないのに、惣治郎さんはもう帰ったことを教えてくれた。

「二人で会うの、久しぶりですね」

「そう、だな」

怪盗団の人数もメメントスでの依頼も増え、やるべきことが多くなりすぎていた。瀬那も俺と会えないことに対して残念だと感じてくれていたら嬉しいのだが。

「何か悩み事です?」

「ん、どうして?」

「竜司くんが、頑張れって言っていたから」

「ああ、うん……いや、なんでもないんだ」

「わたしでよければいつでも聞きますから、言ってください」

少し突き放したような言い方になってしまったのに、彼女はふっと笑って答えた。ぐっと手にしていた赤い箱を握りしめる。惣治郎さんもモルガナも運よくいないなんて、逃せばもうこんな機会はない。今の自分の度胸があれば言えないことなんてないはずだ。

「――じゃあ、俺ともゲーム、してくれないか?」

一本だけお菓子を取りだして、箱を二人の後ろに置いた。彼女がいざ逃げ腰になったら折ってしまえばいい。ゲームだと、言い訳できる。
数度瞬きしたあと、大したことでもないかのように瀬那は二つ返事で了承した。

「先に折った方が負け、でしたっけ」

「うん、瀬那はそっちから」

「はい」

そう言って、二人で一本のお菓子を端から食べ始めた。さくさくと一定のリズムを刻んで瀬那との距離が縮まっていく。彼女は俺のことを特別意識などしていないのだろうか。これでは祐介のときと同じ結果が待っている。
ふと、お菓子に視線を落としていた瀬那が俺を見て動きが止まった。まるでそれを待っているかのような表情に、俺は考えていたことを忘れて口元が緩んだ。一瞬の間ののち、彼女の目が大きく見開かれ頬が真っ赤に染まる。気づいたのだ、このゲームの勝敗がつかなかったときの結果を。だから俺は残りの距離を一口でゼロにして、その結果を現実にした。

「んっ」

一瞬だけ触れて、すぐに離れる。感触などよくわからなかった。真っ赤なまま呆然としている瀬那は何も言わないし、動かない。こうなることをわかっていて逃げなかったことを俺は肯定ととったのだが、早まったのか。そう見えたのは俺の願望だったのかもしれない。謝るべきか思案し、彼女の視線から逃げるように顔を背けた。
とりあえず落ち着くために深呼吸をすると、かさっとお菓子の袋が擦れる音が聞こえた。瀬那が何をしているのか、怒っているのではないのか。振り返ると彼女の手には先ほど二人で食べた件のお菓子が一本握られていた。その顔には戸惑いと期待が入り混じっているように見える。視線を逸らしながら、瀬那はおずおずと口を開いた。

「あの……もう一度……」

「え」

「もう一度、して、くれませんか……?」

恥ずかしそうに俺の顔色を窺うように提案された。
それは……、それは今のゲームを、要するに同じ行為をもう一度してもいいということか。
もう、一度。
そう考えるだけで背筋がぞくぞくした。不意打ち的なことをしなくても、それを行える。彼女もそれを望んでいる。このゲームが最終的にどうなるのか、もうわからないはずはない。

「……いいよ、やろう」

拒否する理由などありはしない。俺だって、できるなら何度だってしたい。感触をしっかりと味わいたい。余裕を見せたくて微笑みかけると瀬那の表情が少しだけ和らいだ。女の子から提案することに抵抗があったのだろう。
瀬那はゆっくりとお菓子を口に咥え、反対側の先端を俺へと差し出す。そしてお互い一度目とは違い、少しずつ食べ始めた。
煩わしくてもこれは行わないといけないのだ。建前というものだと、俺も彼女も理解していた。何故なら俺たちはそういう関係ではないから。ただの友人なのだ、今は、まだ。
進む速さは先ほどより遅いはずなのに、お互いの距離が近く感じる。短くなったお菓子を食べ進めるため、瀬那が前のめりの体制を支えようと俺の胸に手を置く。触れ合うことに躊躇いがなくなったみたいだ。俺は対象まであと数ミリだと意識して、溜まらずにその肩に手を添えた。目を瞑っていた瀬那の身体が反射的に動くと、その拍子にぱきっと彼女の口元で折れる。

「あ……、っ」

俺はそのまま彼女の唇に触れた。こちら側にほんの少しだけ残ったお菓子を彼女の口に押し込む。やはり瀬那は抵抗せずに受け入れた。一度目はただ触れ合うだけだった。今度は違う。微かに震える唇の柔らかさを堪能するため、何度も喰むようにキスをした。その度に吐息が漏れる。甘い、チョコレートのせいなのか、彼女のせいなのかわからない。もっと、もっと深く、このままベッドに押し倒してしまえば……。
ぎゅっと制服のシャツを握られて、思い出したように理性が顔を出した。ゆっくりと唇を離すと瀬那は何事もなかったかのように俺と距離をとった。

「今……途中で折れました、よね?」

「さあ、気のせいだよ、たぶん」

「そう、ですね」

ゲームは終わってしまった。わかっている、『もう二度』はないことを。それなのに、瀬那は自分の唇を確かめるように触れると、嬉しそうに笑った。
(2018/11/14)

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