虚実リミット


怪盗お願いチャンネルという、同級生が運営しているHPの掲示板に見過ごせない書込みがある、と竜司から暁へ連絡が入った。それは昨日投稿されたもので、改心させて欲しい人物としてよく知っている名前が載せられていた。パレスを持たない、ちょっと世間知らずの女の子。

『彼女が最近隠れて他の男と会っている。話をしようとしても全く取り合ってくれない。きっとその男に騙されてるんだ。もじゃもじゃ頭の黒縁眼鏡だなんて、胡散臭すぎるだろ。彼女はまだ俺の事が好きだから、改心させてくれ。彼女の名前は、御守瀬那』

暁の知る限りで瀬那に彼氏がいるだなんて聞いたことがない。その上、もじゃもじゃ頭の黒縁眼鏡、とは一体誰なんだ、……と、携帯の画面が睨んでいると、これ、お前のことじゃね? と竜司に突っ込まれた。騙しているだとか、胡散臭いだとか言われたい放題だ。
書き込んだこの男の正体が気にはなるが、まずは瀬那に話を聞いてみることにした。暁が知らないだけで、付き合っている相手がいるのかもしれない。そうだとすれば、少し落ち込む、いや、大分……立ち直れない可能性もある。瀬那に近い男は自分だと自負があった。それに、対抗者は明智だけだと思っていたのに、ここにきて競争相手が増えるなんて御免だ。

「遅くなってごめんなさい」

「いや、俺も急に呼び出してごめん」

アルバイト終わりに瀬那にルブランへ来てもらうようにメッセージを送っていた。既に閉店している時間、急いで来たためか肩で息をしている。カウンターに座った瀬那に冷たい飲み物を出すとありがとう、と一口含んで喉を潤した。

「それで、何かあったんです?」

「実は、瀬那の名前が怪チャンの掲示板に書かれてる」

「怪チャン……ということは、わたしの改心を依頼した人がいるってことですか」

瀬那は察しがいいので話が早い。取り乱すこともなく顎に指を添えて相手が誰なのか、暁の話を聞いて考え込んでいた。心当たりはあればいいのだが、彼女の口から名前が出てくることはなく、暁は意を決して最大の疑問を問うた。

「瀬那って、付き合ってる人……いるの?」

「……え?」

「いや、だから、その……彼氏、いるのかなって」

目をぱちくりさせて、小首を傾げる。改心から色恋とは話が飛び過ぎて頭が追い付かないようだ。これで、今まで見たこともないような笑顔で頷かれでもしたら……、断頭台に立った気分で、瀬那の返事を待つ。すると、彼女は暁が放つ緊張感に耐え切れなくなり、口元を隠して笑った。

「真剣な顔で聞くので何かと思いました。……いませんよ、いると思いますか?」

いてもおかしくないから困るのだ。その素性は複雑なものがあり近寄りがたいのかもしれないが、暁にとってそんなもの関係ない。

「もしかして、わたしと付き合っているって方が書き込んでいるんです?」

「うん。最近なんか変わったことなかった?」

そうですね、と呼び出しの意図を理解した瀬那が思案すると、ぽつりと呟いた。

「……視線」

「視線?」

「朝、同じ時間の電車に乗るんですが、見られている気がして、振り向くといつも少し離れたところに同じ人がいます」

「男?」

「はい」

多分その男が書き込んだ犯人だ。瀬那に会うために時間を合わせて電車を利用しているとしたなら、その男はストーカーではないか。現に瀬那はその男と付き合ってはいないし、聞くと話したこともないらしい。このまま放っておいて何もないとは考えにくい。彼女に危険が及ぶ前に解決するべきだ。男が何者なのか、まず実際に会ってみるのが一番である。明日、共に通学する約束をし、瀬那を送って自室へ戻った。

「よかったな、本当にセナの彼氏じゃなくて」

「竜司と同じこと言うな」

簡素なベッドに横になると、モルガナが横に並びからかうように鳴いた。帰り道で竜司にメッセージを送ったのだが、同じ返信だったのだ。怪盗団には自分の好意はバレバレなのに、当の本人は全く気がつかない。表立って彼女の壁になることができれば、こんな問題も起こらないのに、その壁が高すぎて超えられないでいた。




翌日、四軒茶屋で待ち合せをして電車に乗り込む。いつも通り瀬那は一人で、暁は少し離れた位置で見張った。話したこともない女性を彼女だと思い込むような男なのだから、急な変化をつけて相手が特定できないほうが困る。渋谷までは特に何もなく、そこから瀬那の学校へ向かう電車へ乗換えた。暁の携帯には遅刻になってしまうと心配する瀬那のメッセージが届いたが、このままで一人で行かせるわけにはいかない。先ほどと同じようにそれぞれ位置どると、電車のドアが閉まり発車する。

「こっちも満員だな、潰されそうだ」

「この時間はどこも同じだから」

モルガナが潰されないように鞄を前で抱え直す。移動しようと思えば出来そうなので、満員というほどではない。そんな風に思ってしまうのは大分都心の生活に慣れたせいかもしれない。

「それにしても、セナのために遅刻も厭わないとは……やるな、ジョーカー」

「仕方がないだろ。放っておいて何かあった、じゃ済まないんだから」

「そうだよなあ、好きなオンナを守れなくっちゃ意味ないよな」

「……煩いな」

こっちは本気で心配しているというのに、からかい半分のモルガナとの会話を打ち切るために、顔を覗かせていたチャックを閉める。しかし、いいところを見せたいだとか、守りたいという邪念が全くないとは言い切れないため、否定しきれなかったのも確かだ。にゃあにゃあと聞こえたが知らんぷりして瀬那に目を戻すと、彼女の真後ろに立つ男が居た。学生服、ではないスーツ姿の若い男。瀬那の話では遠くから見られているだけ、と言っていたのに、今は手を伸ばせば触れられる距離だ。怪チャンに書き込んだことで男の気が大きくなったのだとしたら、マズい。人混みを掻き分けて、彼女の元へ向かう。男の手が、彼女に触れる寸前で暁がそれを掴んで阻止した。

「な、なんだオマエ!」

「……あ」

瀬那は暁の名前を呼びそうになった口を引き結んだ。こちらの情報はできるだけ漏らさない方がいいと判断したのだろう。不安そうな顔で暁の制服の裾を掴み、見上げている。やはり一人にしないで正解だった。暁は瀬那を庇うようにして男を見据えた。

「あなたこそ、誰ですか。彼女の知り合いですか?」

「こいつの彼氏だよ! いいから手を放せ!」

瀬那に視線をやると、軽く首を振っていた。やはり知り合いではないらしい。乗客が多い電車内では迷惑がかかってしまう。駅に着くまで、このままでいてもらう必要があった。男が暴れても手を放さずにすんだのは、地道に鍛えておいた成果だ。
喚き暴れる男を引っ張り、三人で次の停車駅で降りる。騒ぎになりたくないのはこちらも同じなので、人混みを避け、端の方へ移動した。男はずっと、彼氏だ、離せと同じことを繰り返している。

「瀬那、なんでオマエはその眼鏡と一緒に居るんだ!」

「落ち着いて聞いてください、わたしはあなたと面識がありません。今日、初めて話しました」

「わかった、浮気か!?」

「いえ、ですから、そもそも付き合ってはいませんよね?」

「何言ってる。オレたち付き合って一ヶ月経つだろ?」

「名前も知らない相手と、ですか?」

そういうと、男は自分の素性を饒舌に話し出した。名前、年齢、勤め先。電車で痴漢に遭っている瀬那を助けたのが出会いで、瀬那から告白され付き合い始めたそうだ。デートで水族館や映画館に行って、キスもその先も済ませた……らしい。大人しくなったので男の手を離したが、暁は聞いていて反吐が出そうだった。
話が全くかみ合わない。信じるべきは瀬那なのだが、男の目は嘘を言っているように見えなかった。本気でそう思い込んでいるのだろう。瀬那もどうすればいいのか、困惑した目線を暁に送っていた。

「……瀬那、いい加減こっちに来い。あと、警察も呼んで来い」

目が据わっている。暁の側から動かない瀬那に対して憎悪が向けられていた。それでも隠れずに男と向き合う。

「いやです」

「なんでだよ、瀬那はオレの彼女だろ!?」

「いいえ、あなたの彼女ではありません。わたし……彼と、付き合ってます」

「なっ!?」

男が驚きと絶望に慄き、がっくりと膝をついた。これで目を覚ましてくれればいいのだが、そうはいかないだろう。しかし、瀬那の発言に驚いているのは暁も一緒だった。彼女は隣に立つ暁の腕を組み引き寄せたのだ。打ち合わせはしていない。まさか瀬那の口から聞けるとは思っていなかった。

「……そうか、わかった」

男の喉の奥から笑い声が響く。ふらつきながら立ち上がり、瀬那を指さした。

「やっぱり、オマエ、騙されてるんだ……」

ここはまだ現実世界だというのに、イセカイの中にいるシャドウと何ら変わりないほど歪んでしまっている。飛び掛かられないように、暁は瀬那より一歩前へと出た。

「オマエも裏切りやがって……オレに従わなかったこと、後悔させてやる……全員、怪盗団に消されてしまえ」

ブツブツと悪態をつきながら、男は去っていた。ぎゅっと強く暁の腕を抱いていた力が弱まり、瀬那は息を吐いた。

「……これで、よかったのでしょうか」

「ああ、あとは怪盗団の出番だ」

「任せとけ!」

いつの間にかチャックを開けたモルガナが背負った鞄から顔を出した。それを見た、瀬那はよろしくお願いします、と微笑んだ。
完全なる遅刻だったが、一限目が川上先生だったので、口うるさく言われずに済んだのは幸いだった。事情を話し、学校が終わってすぐにメメントスへ、あの男を改心させるために乗り込んだ。




数日後、怪チャンの例の書き込みは、渋谷駅で待つ、と上書きされていた。瀬那と共に行ってみると、一回り小さくなったように見える男が暁たちを待っていた。こちらの姿を捕えると、深々と頭を下げる。改心は成功した。

「前に付き合っていた彼女に浮気されて……、というか、自分が浮気相手だったんです。御守さんみたいに、物静かで、綺麗な人だった。だから、浮気なんて……信じられなかった」

暁は怪盗団として、メメントスで男の事情を聞いていたが、瀬那はそうではない。俯きながら自白する。瀬那は静かに耳を傾けていた。

「オレにバレたら、オレはお金を持ってるからただの財布だった、って。好きでも何でもないって。でも、彼女の本命も何股もしてて、彼女の方が浮気相手だって、オレ知ってたんだ。でも、信じてもらえなかった」

手酷く裏切られたのだろう。同情はするが、だからといって何をしてもいいわけではない。それは改心をした、男も理解していた。再び頭を下げ、瀬那に許しを請うた。

「何を言っても、迷惑をかけたことには変わりありません。申し訳ありませんでした」

「今度は素敵な人、見つけてくださいね」

瀬那がそれを受け入れる。顔を上げた男は泣きそうだが、吹っ切れたかのように笑っていた。

「ありがとうございます。そんな人が出来たら、御守さんの彼氏さんみたいに守れるように頑張ります」

失礼します、と去っていく男の背を二人で眺めながら、そういえば、そういうことになっていたことを瀬那は思い出した。自分から言い出したことなのに、忘れていたという事実に暁は少々気落ちしてしまう。しかし、彼女の横顔がほんのりと朱に染まっているのが見えてしまった。瀬那はすぐにそれを隠すように両手で覆った。

「付き合っているっていうの、嘘だったって言いそびれてしまいました」

「別にいいよ」

「そうですね、もう、会うこともないでしょうし――」

「いや、嘘じゃなかったことにすればいいから」

一瞬の間の後、意味を理解して瀬那が暁を見上げる。きっかけさえあれば、壁を超えるなんて簡単だった。着地だって失敗しない。華麗に盗んでみせる。瀬那の手をしっかりと握りしめて、暁は不敵に笑ってみせた。

「本当に、付き合おうか」
(2019/5/3)

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