マイスイートヒーロー


「瀬那、事件だ」

ルブランのカウンターに肘を立て、組んだ両手の上に軽く顎を沿え、深刻な顔をして双葉は呟いた。どこかの司令官を模したポーズのようだ。改心させるべき大物でも見つかったのだろうか。

「君に任務を頼みたい。やってくれるかね」

「わたしに出来ることならいいですけど」

磨いた白いカップに瀬那がコーヒーを注ぎ差し出した。それを一口飲むと、また同じ姿勢に戻る。こだわりがあるらしい。

「では、ブリーフィングを開始する。今回は潜入捜査だ。場所は秋葉原、そこでターゲットが子ども相手に勧誘活動を行う。私たちもそれに参加するぞ!」

どうやら怪盗団とは無関係のため自分が誘われたのだと理解した。しかし、いまいち事件の全貌が見えない。

「集合はマルキュウサンマルにルブラン前、作戦決行はヒトヒトマルマル。資料はこれ一枚のみだ、よく見ておくように」

ぴらりと一枚のカラー印刷がカウンターの上に置かれた。ポーズをとった赤いマスクとスーツを纏った男性の横に大きく『君もフェザーマンを応援しよう!』と書かれていた。双葉の部屋に飾られていたフィギュアと一緒だ。これが任務らしい。会いに行きたいけれど、一人心細い、といったところか。

「秋葉原って子どもも行くんです?」

「そうだな……正確に言うと、大きいお友達、だな」

言いえて妙だ。また始まったと言わんばかりに、惣治郎は読んでいた新聞を閉じる。

「瀬那ちゃん、無理して付き合わんでいいからな」

「無理したことなんて、一回もありませんよ」

淀みなく笑って答える瀬那に、引き下がらざるを得なかった。二人は仲が良いが、趣味の面での繋がりは全くと言っていいほどない。どちらかと言えば、暁の方が雑多な趣味を持っているので、瀬那が行くより楽しめるだろう。

「そういうのは暁に付き合ってもらった方がいいんじゃないのか?」

「そう思ったんだけど、なんか忙しいみたいだ」

双葉はカウンターに顎を乗せ、唇を尖らせて両手で持った携帯とにらめっこしている。暁は付き合いがいい人間だが、そんな彼を誘う人間も多く予定が埋まっていることも多かった。

「ではこの任務、有難く引き受けさせていただきます、隊長」

「おお、君ならそう言ってくれると思っていたぞ!」

「それ、いつまで続くんだ……?」

ぱっと目を輝かせて双葉は右手で敬礼をする。瀬那も釣られて真似をしているのを、惣治郎は呆れ果てていた。




電気街、と言われるだけあって駅を降りて、すぐ目に入るのは高いビルの家電量販店。周辺には可愛い女の子の絵が描かれた看板やゲームセンターがひしめいている。メイド服だけでなく、他のコスプレでチラシを配っている女の子たちも沢山いて興味深いものばかりだった。
人混みに臆することのない双葉のあとを追い、ついたのは駅前のビルの前で、イベント用に三角コーンで大きく囲われていた。まだ開始まで時間はあるものの、待機し列が作られている。

「さすがガチ勢は早いな」

「凄い人です」

「こういうのは命懸けなんだよ、瀬那」

ふふん、と自慢げに語り他の大人に混じって並んでいると、徐々に子どもたちも増えていき、イベント開始時間には反対側の歩道まで届くほどの集客になっていた。最前列とまではいかないものの、座って観られる位置を取り、あとは始まるのを待つだけである。
簡易的なステージの上に司会進行役の女性が上がってきた。一通りの挨拶を終えたあと、フェザーマンがピンチになったら応援しよう、とのこと。ポスターで見た文句だ。二回ほど練習をし、双葉も他の大人も子どもも混じって大声を上げた時、怪人が女性の背後に現れた。

『フハハハ、楽しそうだなあ! それももう終わりだ!』

『きゃああ、助けてー!』

ステージ上を駆け回り、止めようとした女性を羽交い締めにしてしまう。そこに赤いスーツのヒーローが現れると、待ってましたとばかりに歓声が沸いた。

『フェザーレッド、参上! 私が来たからには、もう好き勝手にはさせない!』

「瀬那! フェザーマンだ! 本物だ!」

瞳を輝かせて指をさす双葉は、他の子どもたちと同じに見える。好きなものに夢中になれるというのは、羨ましい。その後、人質となっていた女性は救えたものの、怪人の手下が増え劣勢となったフェザーレッドは膝をついてしまう。

『このままではやられてしまう……、皆の力を貸してくれ!』

『みんなー、大きな声でフェザーレッドを応援してあげて! せーのっ!』

「「「がんばれー、フェザーレッドー!!」」」

練習の成果のおかげで、観客の声援を受け無事にフェザーレッドは怪人たちを倒し、秋葉原の平和は守られたのだった。お礼を言って去っていく姿は、以前双葉がしていた気がする。あれはヒーローの真似だったのかと、瀬那はやっと気がついた。
これで本日の予定は終わりかと思ったのだが、双葉は急いで観客の波を掻き分け移動し始めた。

「瀬那、次は向こうだ!」

「え? 次って?」

「二部構成だからな、もう一回見るぞ!」

もう一度前列で観劇するためだろう、他の人々も同じような流れが出来ている。焦るあまりに、双葉は先へと行ってしまい、お互いに背の低い二人は見事にはぐれてしまった。とりあえず人波から逸れ、一息つく。非常帯もあるし、ぼんやりとポスターの内容も思い出せたので場所もわかる。瀬那は観ることが目的ではないので、のんびり追いかけることにした。
秋葉原、というのは不思議な街だ。たくさんの文化が溢れている。電気関係だけでなく、路地裏にはアニメやゲームなどの店舗が並ぶ。改札付近にいたメイド服の女の子たちはメイド喫茶というお店の宣伝をしていたらしい。詳しいことは今度双葉に聞いてみることにした。
大分人波に追いついてきたので、双葉に連絡を取ろうと携帯を取り出したとき、不意に子どもの声が聞こえた。振り向くと、地面に尻もちをついている男の子とそれに相対するかのように大きな紙袋を持った男性がいた。

「ちょろちょろしてんなよ、精密機械持ってんだぞ。壊れたらどうすんだ」

「うっ、うぅ……」

「ごめんなさいくらい言えよ」

言っていることは真っ当だが、あの言い方では萎縮してしまう。現に男の子は立ち上がることも出来ずにいた。

「聞こえてんのか?」

「大きな声を出さなくも聞こえてると思いますよ。怖がらせているだけなので、やめてあげてください」

「なんだよ、関係ない奴は入ってくんな」

少しでも壁になればと思い、間に入るが余計に苛立たせる結果になってしまう。代わりに頭を下げるくらいなんてことないが、それで納得してくれるだろうか。周囲の人々は何事かと瀬那たちを遠巻きに眺めるばかりだ。とりあえず、男の子を立たせようと視線を外したとき、身体が大きく傾いた。

「――!」

「シカトしてんじゃねえ!」

バランスを保てなくなった瀬那の身体が後ろへ倒れる。このままだと男の子を下敷きにしてしまうかもしれない。咄嗟に足に力を入れ真後ろに倒れないように耐えた。功を奏して、地面と接触し手をついて衝撃を押さえる。

「お、姉ちゃん……だいじょ……っ」

瀬那を心配し、少年はしゃくりあげながらもなんとか声を発した。涙を拭うために手を伸ばすも、力を入れた左足が悲鳴を上げる。悟られてはいけないと、微笑を浮かべた。

「大丈夫ですよ、だから泣かないで下さい。立てますか?」

「……ん」

「そ、そんな強く押してないのに、大袈裟なんだよ! 俺は何もしてないぞ! 全部お前が悪いんじゃないか!」

ざわつく野次馬に向かって、男の子を指さし、自分に非はないと声を張り上げた。それでも咎める視線は止まず、紙袋を抱えて逃げようと反転した男性を引きとめる手があった。
全身赤いのは、スーツを纏っているから。顔がわからないのは、フルフェイスマスクを付けているから。

「フェザーレッド!?」

まさかのヒーローの登場に周囲に集まった人だかりも、更にざわつき始め、男の子の瞳が輝く。この子の目的も双葉と同じでこのヒーローを観に来たのだ。何故この場にいるのか。謎な上に、場違いにもほどがある。

「なんだよ、放せよ!」

フェザーレッドは何も話さず、動かない。とにかく男性が逃げないように、押さえていた。

「な、何か言えよ……」

じっと男性を見つめているように見えたマスクが、瀬那へ向いた。話さないのではなく、話せないのだ。スーツの中の人間はテレビとは違う、所謂大人の事情というものである。この場を円満に収めるためには、男性の怒りを鎮めるのが一番だ。
瀬那は痛む足を庇いながら立ち上がり、深々と頭を下げた。

「わたしは関係ない人間かもしれませんが、この子がぶつかってしまったことで大事なものを傷つけてしまっていたかもしれないこと、謝罪いたします。すみませんでした」

「……は?」

「あなたも言うべきこと、わかりますね?」

勇気づけるために、男の子の背に手を置き、優しく微笑んだ。答えるように頷き男性の顔を見上げ、しっかりと言葉を発した。

「……ぶつかってしまって、ごめんなさい」

そういうと、瀬那と同じように頭を下げた。それをみたフェザーレッドは男性の腕を解放し、呆気に取られている肩を叩く。はっとし、フェザーマンを確認した男性は毒気を抜かれたように落ち着きを取り戻していた。

「高い買い物だったから、ついカッとなって……、悪かった」

ばつが悪そうに男性も謝罪を述べ、互いを受け入れたことで上手くやり過ごせた。男の子に笑顔が戻り、フェザーマンも満足そうに見える。

「人混みの中は走らないようにな」

「わかった!」

男性は大事そうに紙袋を抱えて駅に向かって去っていった。その背を男の子は手を振って見送る。自然と周囲には大人たちの拍手が沸き起こり、よくわからない空間が出来上がっていた。しかし、この子は一体どこから来たのだろう。保護者が今も現れないということは、迷子だろうか。

「あの、一緒に来た人はいないの?」

「あっ、忘れてた! 探してる途中だったんだ! 僕ね、フェザーレッドを観に来たんだ!」

そう言って、突然現れたフェザーレッドへ駆け寄る。こんな側で見られるとは思わなかったのだろう。観察するかのように、くるくると周囲を回っていた。

「それなら一緒に探しますから、とりあえず次の会場に移動しましょう?」

「そうだね、フェザーレッドも一緒に行こう!」

闇雲に探すよりも目的である場所の方が会える確率が高い。訊くと頷くので彼も徒歩で移動するのだろうか、もの凄く目立ちそうだ。徐に瀬那の真正面まで来ると、そのまま横抱きにしてしまう。周囲から歓声が上がり、瀬那は吃驚で声も出なかったが、不思議と既視感があった。顔を覗き込んでも目元は黒いプラスチックのようなもので覆われているため、瀬那からは何も見えないが、足を捻ったことを見抜かれていた。男の子は輝いた瞳でその様子を見上げ、黙って憧れのヒーローについて行く。しかし道を進むのではなく、道路に止めてあったワゴン車に乗り込んだ。中には運転席に一人だけ、体格のいい男性が座っていた。

「大丈夫ー? ……って、その子は?」

「あ、この子は迷子みたいで……、わたしは、その」

「知ってる知ってる、彼女さんでしょー? ……あれまあ、災難だったねえ。そんじゃあ、行くよー」

男の子がいる限り、フェザーレッドは話せない。そして彼が瀬那の足を指さした事で男性は理解してくれた。ヒーローが車で移動する、という現状に男の子が疑問を抱かずにいてくれたのは有難いことだった。
そうして会場に移動すると、母親が男の子を探して関係者待機場所で待っていた。無事に再開したのを見届け別れると、再び瀬那は抱えられて控室のソファに座らされ、別のスタッフが氷嚢を渡してくれた。熱を持った足にあてると痛みが引いていく。

「ありがとうございます、ご迷惑おかけしてしまってすみません」

「いいのいいの。それにしても彼、突然飛び出して行っちゃうからびっくりしたよー」

彼、というのはフェザーレッドのことだろう。運転していた責任者と思われる男性が軽く笑って答えてくれた。ひと騒動起こしてしまったというのに、責められずに済んでほっと胸を撫でおろす。もう一人の当事者である彼は、瀬那を置いてからどこかへ行ってしまった。そこに走ってこちらにやってくる音が聞こえ、勢いよく扉が開いた。

「瀬那!」

そのままの勢いで抱き着いてきたのは双葉だった。どうして瀬那がここにいるのがわかったのか。思い当たることはひとつだけ。少し遅れてフェザーレッドが室内へ入ってきたことで、瀬那の中で全ての辻褄があった。

「双葉ちゃん、ごめんなさい。はぐれてしまって」

「ううん、一人にしてごめん。怪我したって聞いた、そうじろーに迎えに来てもらうから、待ってて」

「いや、俺が送ってくからいいよ」

聞き覚えのある声。そう言って、思い出したかのように赤いフルフェイスマスクを外した。いつもよりも癖が強くなった黒髪が汗で額にくっついている。煩わしそうに頭を振ると、留まれなかった汗が流れ落ちた。フェザーレッドの正体はやはり暁だった。それを目の当たりにした双葉が下手な演技をし始める。

「な、なんだってー!!」

「白々しいな……、さっき電話しただろ」

演者の知り合いということで、瀬那も双葉も控室に案内してくれたのだ。暁に連絡がつかなかったのは、ヒーローショーでアルバイトをしていた上に、それが双葉の大好きな特撮もので言い出せないでいたからだった。

「がっかりさせてごめん」

「いや、逆だろ。暁が正義のヒーローとか最高だ」

彼女の好きなものが好きな人だっただけだ。親指をぐっと立ててあっけらかんと笑う様に、暁は肩の力を抜いた。そして、瀬那の手の届くところに膝をつき、首を垂れる。

「喋れないし、下手に手も出せないし、何にも出来なかった」

「そんなことありません、暁くんはわたしのヒーローです。いつだって……かっこいいですから」

あれは最善の対応だと瀬那は思っている。子どもたちのヒーローが怪人以外を相手に往来で暴れるわけにはいかないのだ。彼が来てくれたおかげで男性は落ち着きを取り戻し、綺麗に別れることができた。瀬那だけではできなかったことだ。困ったときにいつも助けてくれる存在。それこそヒーローと称していいのではないか。暁を見つめて穏やかに答えると、目線を逸らされた。照れているのか暑いのかわからないが、頬が上気している。
吸水性が良くないのか、スーツで拭っても顎まで伝う汗がそのまま滴り続けた。手元に何も持っていなかったので、着ていたカーティガンの袖を伸ばし瀬那は暁へと手を伸ばす。

「……汚いよ」

「汚くなんてないです」

白いカーティガンに染みが広がっていく。額の汗を拭っても全然足りないが、少しでもマシになればいい。その手を暁が掴む。必然的に分かれた前髪から、いつもは隠れがちな彼の瞳が熱を帯びて瀬那を見つめ返していた。
あ、そうだ! と男性の大きな声によって、ぱっと瀬那の手は解放される。遠くで他のスタッフに指示を出していた責任者が休憩室の出入口から顔だけ出していた。

「さっきのねー、リアルでヒーローがヒロインを助けたーとかなんとか盛り上がってて、観覧者が溢れてるから、よろしくねー」

そこまで遠くはないのに、大きめの声量で語尾を伸ばし気味に話すのは癖のようだ。そういうと、集合時間忘れないでねー、と言って顔を引っ込めた。午後のイベントの準備が残っているのだろう。それを聞いて双葉は暁の背を叩く。

「だってさ、ファイトだ! ヒーロー!」

「……なんか、今更恥ずかしくなってきた」

あれだけ大勢の人間を前に、女の子をお姫様抱っこで連れて行ったのだ。そう思うのも無理はないのかもしれない。しかし、一番恥ずかしいのは顔を隠していなかった瀬那のはずだが、彼女は楽しそうに笑っていた。
(2019/5/24)

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