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メメントスの奥の奥、最奥に少女はいた。巨大な円柱の建物の中心に突然降ってきたのだった。黒いワンピースに白いボリュームのあるアンダースカート、ベールで頭部を覆ったその恰好はまるで修道女のようだった。唯一不自然な点は、その目が黒い布で隠されていることだ。この円柱の建物にはいくつもの赤い窓が見え、その一つ一つが牢獄になっており、人間が収監されており、誰もが無気力だった。

「……誰だ」

暁の声が響く。少女は反応しない。

「なんで、こんなところに女の子がいるの!?」

「わかんねぇよっ」

怪盗団の戸惑いを杏と竜司が表していた。それでも少女は反応しない。得体の知れないものに近づくのも躊躇われ、全員その場に立ち尽くしていた。
少女の後ろにある大きな杯がメメントスのオタカラであり、怪盗団の目標とするものだった。運び出すのは不可能とし、消えればいいのなら破壊すればいいという作戦で怪盗団は杯に攻撃を加えた。しかし、何千、何万という囚人の望みを吸収し、傷が修復してしまった。その際囚人たちは杯を『聖杯』と呼んでいた。祐介は険しい顔をしている。

「こんな数の囚人たちに後押しされていてはキリがない……!」

「人間でありながら、人間の望みを絶たんとする愚か者どもよ……悔い改めよ」

ついに少女が口を開く、低い神々しさを纏った男の声で。その異様さに怪盗団は慄いた。

「我は、手にしたる者全ての夢を叶えるとして、崇められしもの……『聖杯』と呼び習われし存在」

「聖杯……」

「対抗の牢獄の有りさまは、人間の望みそのものである。等しく縛られ、思考を放棄し、世界に関心を向けもせぬ……英雄の世直しすら無に帰させる、げに愚かしき大衆。今や大衆の心は、怠惰という欲に堕し、牢獄と化した」

春の呟きは聖杯の口上と周囲に囚人の聖杯を崇める声にかき消された。竜司は悪態をつく。

「クソが……有難がりやがって!」

「ならば、自ら望んだその牢獄で……繰り果てるのが相応しき結末」

少女の後ろにある聖杯の装飾が赤と緑に輝き、戦闘態勢に入る。と同時に少女の手の中に大きな鎌が現れ、怪盗団に向けて構えた。

「彼女も私たちと戦うっていうの?」

「それはダメだ、クイーン」

「向かってきたら応戦するしかないわ。それとも彼女が何者でどうすれば敵対しなくなるか……策はあるの?」

「いや、何も……」

「それじゃあお手上げじゃないか!」

双葉の言葉に反論出来なかったが、それでも傷つけてはいけないと何かが告げていた。

「それでもだ……俺がなんとかする。みんなは聖杯を頼む」

それが合図かのように、少女は鎌を振りかぶり駆け出した。立ちはだかった暁に向かって振り下ろされた鎌は彼のナイフによって受け止められる。一旦距離をとり、今度は鎌を暁に投げつけた。弧を描いて回転しながらくる鎌に、暁は勢いを弱めるために銃で撃つ。当てることに成功し、銃とナイフで今度も受け止めた鎌は、そのまま地面に落ちることなく間近に来ていた少女の手に収まった。そうして、また暁へと鎌が向けられる。
その間に暁を除く怪盗団が聖杯にペルソナの力を使って破壊を試みるも、聖杯から繰り出される光の矢が強力で、防戦一方だった。そして、聖杯に攻撃を加えても大衆の望みを吸収して、すぐに回復してしまう。

「やっぱり、アイツの色、変わってきてるよ!」

双葉の言う通り、聖杯の色が回復する度に錆びた色から徐々に金色へと変化していた。

「また全部治っちゃうの!? ずりぃ! ふざけんなー! チートだろこれー!」

なんとか少女の攻撃を防ぎやり過ごした暁の耳に、双葉の悲痛な叫びが届く。見やると、聖杯は神々しい輝きを放って怪盗団と対峙していた。すると少女は暁から離れ聖杯の前へと戻っていく。

「余計な事をするな!」「賊め!」「帰れ!!」

周囲の牢獄に収監されている囚人が一斉に怪盗団を罵倒し始める。収束されていく声たちはただ怪盗団に帰れと命じるものだった。戸惑いを隠せず頭上を見渡す怪盗団にモルガナが口を開いた。

「当の大衆がこの有り様じゃあ、心を盗むどころじゃねえ。一体、ワガハイたちは何のために……!」

「望まれぬ『正義』に酔い痴れる、愚か者どもよ……これこそが、『怠惰』に堕ちた人間の願い。この輝きは、望まれたる存在の証。人間が求める限り、我は不滅……」

「これが、みんなの望み? 思考停止して、聖杯に導かれることが……?」

「そんなことない」

聖杯の言葉に首を振った暁を見、真は絶望しかけた己を消し去る。

「ああ、ジョーカーの言う通りだ……。ワガハイがなりたいと思ってた『ニンゲン』ってのは、そんなんじゃねえ。現実がどんだけ辛くても、変えることを諦めちまったら終わりなんだ! 諦めちまってた頃に戻りたくねえから……命を賭けて、ここまで来たんだ!」

そうだよ、杏がモルガナに同調した。そんな強い眼差しを向けられても少女が淡々と言葉を発する。まるで人形かの如く。

「もはや人間どもは、ゆがみの顕現化を望んでいる。そして我は、人間の望みを叶える存在。かような異界に留まらず、現実への浸食を果たそう」

聖杯が青い光を纏い始める。新たな力の発言に怪盗団は苦虫を嚙み潰したような顔になるが、竜司は手を大きく横に振り怒りをあらわにした。

「ふざけんなっ!」

「モナ、どうすればいい!」

地面が揺れ始め、メメントスに一番詳しいモルガナに祐介は助言を求める。

「……オマエが何モンだか知らねえが、さっきから決めつけやがって。ニンゲンはな、オマエが言うような愚かなヤツらばっかりじゃねえんだよ……!」

「怠惰で愚かなりし人間どもよ。全ての心を、我に差し出せ」

モルガナの言葉など聞くことはなく、聖杯から光の矢が放たれ、怪盗団は膝をつきそうになった。強がってはいたが気力は使い果たしていた。相手はどんなに傷つけても回復してしまうのだから、怪盗団が不利な立場であるのは今も変わらないのだ。そして少女からではなく、聖杯から一際大きな声が聞こえた。

「今こそ『融合』が成されるとき」

一瞬地面が光、揺れも大きくなる。するとその地面を見た祐介が慌て始めた。

「おい、地面が!?」

「消えてる?」

微かな春の声が聞こえたのもつかの間、再び光の矢に撃たれ、怪盗団の悲鳴にかき消され、周囲も見えなくなる。暁は無意識に少女へ手を伸ばすも届くはずもなく、空を掴むばかりだった。あの少女は一体何者なのか、満身創痍の身体では何も思いつかず、暁は光の中に身を委ねた。
一方、モルガナは不思議な声を聴いていた。未だ朧げなその声は……確かに以前に聞いたことがあるものだった。いつ? 記憶がなくなる前? それはとても大事なもの。

「……そうか……そうだったのか。全部、思い出したぞ……」
(2021/11/31)

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