「それって、いつも自分で塗ってるの?」

審神者が指差したのは加州清光の指先。三食団子の串を持つそれは今日も綺麗な紅に染まっていた。ちょうど口に運ぶ途中だったため、加州は一度皿に団子を戻すことになる。

「そーだよ、この方が可愛いでしょ」

そう言って、見せびらかすように指を開いて爪を審神者に見せた。瞳や普段着ている着物と同系色に揃えられ、とてもよく似合っている。刀剣に宿る付喪神の加州を普通の人間と同じく考えてはいけないのだが、二十歳前の少年という見た目でこんなにも紅が似合うというのも珍しい。女の身であっても無理だ、と審神者は思った。

「うん、すっごく似合ってる。羨ましいくらい」

「羨ましいって何で?」

「赤って、女の子ならちょっと憧れる時期もあるから」

勿論全く興味のない人もいるだろうが、審神者は赤が好きだった。しかし、さすがにここまで赤ばかりを身につけることは年齢的に避けるようになってしまった、マニキュアなんてする機会もない。今はこんのすけが審神者に用意した赤が基調の巫女服を着ているが、加州ほど面積は多くないというのに、それでも慣れるまでは時間がかかった。

「それにしても器用だよね」

「意外?」

「偵察苦手っていつも言ってるから、てっきりそうなのかなって」

「短刀組よりはね、ホントはそうでもなかったり」

「そうなの?」

「まあ、それとこれとは別ってこと」

部隊長は敵である時間遡行軍と有利に戦うために偵察を行うのだが、指名されることが多い加州は審神者によく苦手だと言うのだ、微妙に笑いながら。素直に信じていたが、戦闘に関することとは無関係らしい。それもそうか……、納得するも石切丸や今剣を見ているとそんなこともない気がしてくる。加州は自身の爪を眺め始めると、何かに気づき、眉間に皺を寄せた。

「あー、ちょっと剥げてる……、内番のせいかな」

本日審神者が命じたのは馬当番。汚れるのは嫌いだと言いながらも、大和守安定と一緒にしなければきちんと行うのを審神者は知っていて、別の男士と組ませていた。団子を食べ終わり、棚から深紅の塗料と筆を出して、丁寧に爪を塗り始める。刀を握り戦場へ赴いているとは思えない身だしなみへの熱心さには、感心するしかない。思えば、この男の戦闘時の靴はヒールのあるブーツだった。
あのさあ、と抑揚のない声が向けられ、筆が滑っていく爪を眺めていた審神者の視線が加州へと上がる。

「わざわざ俺の部屋まで持ってきたのに、主は食べないの?」

机の上には審神者の分が残された三食団子だ。歌仙兼定に貰ったので、話をする茶請けにするつもりだった。近侍である加州は忙しい審神者に対して、会っても理由がなければ休めと言う。そのくせ、構わない時間が長いと可愛がってくれないと落ち込むという、中々扱いにくい男士だった。刀剣男士も増え、付き合いもそこそこになってきた今、その個性の違いと加州の言う可愛がり方は審神者も理解出来てきたつもりだ。だからこうして、休憩がてらお茶に付き合ってと、貰った団子を持って加州の部屋を訪れたのである。なので、本当の目的は団子ではなく、加州と過ごす時間を作ること。この本丸に初めて来てからずっと一緒に居るせいか、何故か落ち着くのだ。

「食べるけど、見てるの楽しくて」

「安定なんか全然興味持ってくれないんだよ」

「うーん、清光と違って、見た目とは正反対で男の子感強いからなあ、安定は」

遠征で留守の間も話題に上る安定は、加州と同室で、この部屋のもう一振りの主だ。二振りは刀だった時代に同じ主に使われていた。本丸に顕現されてからは人の身を得て、言い争いもするが、同じ剣技を使うこともあり、手合わせでも切磋琢磨している姿をよく目にする。その掛け声が普段とはかけ離れた凄みのあるものだと、審神者は知っていた。
机に頬杖をついて、青みがかったポメラニアンみたいな髪の男士のことを考えていると、斜め前に腰掛けていた赤目の気ままな黒猫が筆を置き、唇を尖らせて審神者の顔を覗き込んでいた。

「ねーえー、それってどういう意味? 俺は可愛くないってこと?」

「……可愛い」

果たしてその単語は正しいだろうか。唐突に疑問が沸いた。確かに、出会って間もなかった頃に比べると、表情の変化は明確になり、笑ったり、拗ねたりするさまは少年と青年の間を彷徨っているというのに可愛さに溢れている。今だって、爪紅を塗り、満足げに見せびらかすなんて可愛いしかない。
でも、その紅はいつでも審神者を守ってくれる存在だった。本丸に危険などはないのに何かがあれば背に庇い、不安なときは隣にいてくれる。いつも視界に入るその爪紅の色が、審神者を支えてくれていた。
審神者にとって、加州とは――。

「……主?」

オウム返しに答え止まってしまった審神者に、加州は小首を傾げる。仕事で疲れていると思われては、今の時間は強制終了だ。何でもない、と笑う審神者に、ならいいけど、と加州はあっさりと引き下がった。

「あのね、清光は可愛いとこもあるけど……わたしにとってはちょっと違うなって」

「えー……、主に可愛いと思ってもらえないなら、お洒落しても意味ないのに……」

「意味はあるよ、だって、かっこいいもの」

予期しない単語に加州の目が丸くなる。正反対に目を細めたのは審神者だ。

「赤って可愛いってわたしも思ってたけど、清光がするとかっこいいにもなるの」

「かっ……こ、いい?」

「うん」

目を瞬く加州を置いて、団子をひと串、手に取り口に含んだ。優しい甘さと弾力が心を和ませる。ある程度咀嚼した後、お茶を飲む。この香りの相性は抜群だ。
審神者の言葉が飲み込めないでいる加州は、その一連の間も見つめたまま、何も言えないでいた。

「そんなに見られると、穴が開いちゃいそう」

「主は人間じゃん、開くわけないだろ……」

「物の例えでしょ」

机に腕を乗せ、前のめりに紅に染まった爪をじーっと眺める。憧れと願望が交じり合った感情をため息と共に吐き出した。

「わたしも紅く塗ったら、清光みたいにかっこよくなれるかなあ……」

本丸の仕事には慣れ、まともにこなせるようにはなってきたが、刀剣男士の主君としてはまだまだ頼りない、それが審神者の自己評価だ。こうして、加州との時間を作って気を紛れさせなければ、余裕を保てないなんて、情けなくて誰にも言えない。未だに主と呼ばれるほどの存在にはなりきれなかった。
その点、加州は初期刀として審神者を支え、新たに顕現した刀剣男士の日常から初出陣の世話まで容易に行っていた。やる気のないやり取りは見せかけだけらしい。いつも手一杯でいる審神者には、余裕を見せることが出来る加州のようになりたかった。
暫くの沈黙が部屋を満たし、残りの団子を食べる気分も失せてきたとき、加州がぽつりと呟く。

「……いーよ、試してあげる」

「え、ほんと?」

「でもさー、時間かかるけど、仕事大丈夫なの?」

「うん、平気!」

加州手ずから爪紅を塗ってくれる機会を逃すなどあり得ない。同じ深紅を纏えば、本当に効果があるとは審神者も思ってはいないが、何事も気の持ちようだ。加州がそうであったから、自分も……、という風にいざというときになれれば良い。そんな思いだった。心配されている仕事はある程度は終わらせてはある。残りは少し夜更かしをすればいい。審神者は返事のあとに計画を立てた。
じゃあ、と加州の筆を持たない方の手のひらが、審神者に向けられた。その動作があまりにも物語の中の王子様を彷彿とさせ、急に緊張し、手を差し出すのを途中で止めてしまう。待つのに耐えられなくなり、加州は強引に審神者の手を掴んで引いた。

「なにを今更躊躇ってんの、ちゃっちゃとやっちゃうよ」

「……はい」

恥ずかしがっている顔を見られたくなくて顔を伏せて返事をした。対して加州は特段反応することなく、審神者の指先の爪に集中し始める。爪紅ははみ出してしまうととても目立つうえ、線を真っすぐ引くように塗らなければムラになってしまう。やるからには綺麗に塗って審神者の願いを叶えたい。初期刀である自分はどうあっても審神者には甘いな、と加州の口元が少しだけ緩んだ。
集中しているところを邪魔してはいけない、大切な人に満足してもらいたい、各々の理由によって話すことなく、ただただ筆が走る音だけが聞こえてきそうなほど、室内は静かだった。筆先の一点を見つめる加州の顔を審神者はばれないように盗み見る。普段、本丸ではほとんど見ることがない真剣な眼差し、雑に終わらせる気が全くなさそうなことに安堵し、整った横顔と前髪の隙間から覗く赤い瞳に否応なし目が奪われる。しかし、加州にとっての爪紅はそこまで重いものなのか、甚だ疑問だ……、と加州は顔にかかった前髪を耳にかける仕草をし、唇を尖らせる。不意に審神者の指先にやや冷たい風が吹きかけられ、反射的に手を引っ込めた。

「ひゃっ」

「じっとしててよ」

「いきなり、ふーってしないで!」

「んー、ごめんごめん。主が俺に見惚れてたから、つい」

「み、見惚れてなんかないですっ」

紅を塗ることに集中していたと思ったが流石は刀剣男士である。無防備に観察する顔を逆に加州に見られていたことを知り、審神者は自分の頬が蒸気していくのがわかった。両手でそれを隠し、どれだけ否定しても説得力はなく、加州は笑いを堪えながら、作業を進めるためにわざとらしく声を掛ける。

「はいはい、続きやるよー」

全く意に介さずに、まだ塗っていない方の手を捕まえて筆を滑らせ始めた。納得がいかないが、否定すればするだけ認めてしまうようで恥ずかしくなるうえ、作業が始まってしまった以上邪魔は出来ないので、大人しくされるがまま、審神者は自身の色が変わっていく爪を見つめた。またからかわれては嫌だったが、一瞬だけならと加州を見やると、少しだけ寄せられた眉根と染まった頬が視界に入り、直ぐに逸らすことになった。
それからまた、先ほどと同じ、静かなで穏やかな時間が流れ、加州の一声がそれの終わりを告げる。

「よし、出来た!」

「ありがとう、清光」

上手く塗れたが審神者が満足してくれるか、少々緊張し、清光は筆を置いた。解放された両手を翳し、自身の爪をいろんな角度から眺める審神者の瞳は瞬きを繰り返している。

「綺麗な色、……似合う、かな?」

恥ずかしそうに、顔の前に両手を持ってきて、加州と同じ色の爪紅を見せた。白い肌に映える紅。

「なんか、言ってる意味、わかったかも」

ぽつりと呟いた言葉に審神者は手を机に下ろし小首を傾げる。それを赤い瞳は真っすぐに見つめていた。

「同じ色なのに、俺にはかっこいいなんて思えないし。……可愛いって思うのは、あんただからってことだよね」

止まる瞬き、加州を見返す瞳が徐々に見開かれていく。
この胸に広がっていくあたたかな感覚はなんだろう、もっと触れたい、喜ばせたい、主のために……。主のそばにいたい。こうして共に過ごす時間が増すごとに比例して沸いてくる、名前もわからない感情。これは刀剣男士として間違っているのだろうか、加州にはわからなかったが、今更なかったことには出来ない。手を伸ばせば、すぐ届く距離。机に置かれた審神者の手に加州は自分の指を絡ませ、同じ爪紅が並んでいるのを破顔して眺めた。

「お揃い、嬉しいな」

うん、と小さな声が聞こえる。爪と同じくらい顔を真っ赤にして、それでも手を離されなかったことに安堵する。いつも審神者と二人で過ごすときは終わりがなければいいのに、と思うが、そうもいかない。加州は審神者の仕事がまだ残っているだろうことに気づいていた。絡ませた指を解き、手を繋ぎ直し立ち上がる。

「さーて、さっさと主の仕事終わらせないと。夜更かしなんて、美容の敵だし」

「……清光に隠し事は出来ないね」

爪紅を塗る前に、仕事は大丈夫と答えたことが嘘……、全くの嘘ではないのだが、まだ残っていることはバレており、審神者は顔を曇らせる。この後の加州の反応が怖いからだ。せっかく楽しい時間だったのに、自分のせいで台無しになってしまうのは嫌だった。

「そーね、そもそも効率よく仕事終わらせるのも、かっこよくなる第一歩じゃない?」

「その通りです……」

ぐうの音も出ない。加州の言うことはいつも正しい。大人しく仕事に戻ろうと、繋がれたままの加州の手を解こうとしたが、それより先に加州は立ち上がり、審神者の手を引いた。

「主には俺が必要でしょ。ほら、行くよ」

審神者の返事を聞く前に二人で部屋を出ていく。ありがとう、と強く握り返された温もりに、思わず加州の口元が緩んだ。繋がれた指先は揃いの色が輝いていた。
その日から、審神者の爪は紅いまま、加州の手入れが定期的に行われている。それは二人にとって大切な時間。
(2020/6/22)

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