夙夜夢寐


「加州くん、主を起こしてきてくれないかな」

厨から顔を覗かせて燭台切光忠が加州清光へ声を掛けた。その手にはお玉を持ち、そろそろ盛り付けに入ろうか、というところだろうか。

「え、まだ主来てないの?」

「そうなんだよ、こういうときは君が行くのがいいだろう? 頼んだよ」

「はーい」

やる気のない返事で片手をあげ、加州は今来たばかりの廊下を戻る。燭台切が言っていたように、審神者が朝餉の準備中に顔を出さないときは、私室内がとてもじゃないが見せられない有り様になっていることが多い。わざわざ加州に声をかけたのは、それを知っている刀剣男士を増やすのも、審神者の沽券に関わるのではないか、という知ってしまったものの配慮だった。
大方遅くまで仕事をしていたのだろう。あまり無理をして欲しくはないが、この本丸のために行っているため、誰も強く言えないのが実情だ。というか、加州が言っても聞かないなら、誰が言っても同じだろう、という見解である。
そんなこととは露知らず、審神者の執務兼私室の前に辿り着く。障子の向こうで動く気配は感じられないが、念のため軽く声を掛けてから入ることにした。

「主、朝だよ? ……入るからね」

返事はない。ひとつ深呼吸をし、ゆっくり障子を開ける。光が差した室内は予想よりかはマシで、書類は散乱することはなく何ヶ所かにまとめられていた。それが机上だけでは済まず、床にも少し積み上げられている時点であまり褒められたものではない。しかし、政府から支給された文字を打ち込む機械……確かコンピューターがあるにも関わらず、これだけの紙があるなんて自分の主はどれだけ忙しいのだろう、と加州は心配になった。だからこそ、きちんと起きて朝餉を食べるという、規則正しい生活を送ったほうがいいのではと、室内を見回して審神者を探すも、その姿は見つからない。どうやら奥の私室で寝る力は残っていたようだ。廊下と執務室を遮る障子を閉めて、加州は審神者の私室である襖を開けた。

「まだ寝てる、……の――」

今まで何度も起こしに来た事があるのだから予想はしていた。それでも回数を重ねる毎に心臓に負担が増し、戸惑ってしまうのは何故だろう。
部屋の中央に敷かれた布団の上に目的の人物は寝ていた。加州に背を向ける形ではあるものの、目を奪うのはその白いふくらはぎで、捲れ上がった寝間着から覗いている。普段は寝相がいいのだが、疲れているとこうなってしまうらしい。他の男士たちには見せたくはない姿だった。それは審神者のためではなく、加州だけが知っていたいから、だ。
いつまでも眺めているわけにもいかない。そんなのはただの怪しくて気持ち悪い奴だ。頭を振って二、三度深呼吸し、心臓を落ち着かせる。皆、朝餉を審神者が起きてくるまで待っているのだから、と意を決して寝ている審神者の背後にしゃがみ、その肩に手を優しく乗せた。出来るだけ艶めかしい足を視界に入れないようにしながら。

「……主、起きて。もうすぐ朝餉の時間だよ」

努めて冷静に、いつもの通りに声を出した。この次の手なんて思いつかず、祈るように審神者の反応を待つ。すると小さな呻き声が聞こえ、起きたのかと加州はほっと胸を撫でおろしたのもつかの間、審神者は加州の方へ寝がえりをうち、瞳が開くことはなかった。肩に触れていた加州の手は引き戻すことを忘れ、宙に浮いたまま、赤い瞳は審神者の大きく開いた寝間着の前と柔らかそうな太ももを交互に見つめていた。普段こんなに肌を見せない服を纏っているため、いけないとわかっていてもどうしても視線がいっていしまう。

「勘弁してよ……」

頭を振り、やっとのことで引き戻した手で視線を遮った。心臓がうるさい。この音でどうして審神者が起きないのか、加州は不思議でならなかった。以前は着替えを手伝ったり、共寝をしていたこともあったというのに、いつからこんなにも審神者のことを意識し始めたのだろう。今はそんなことが何故出来ていたのか甚だ疑問でしかない。
指の隙間から審神者の寝顔を盗み見た。加州の気も知らずに穏やかに寝息を立てており、全く起きる気配がない。かなり遅くまで仕事をしていたのだろう。朝餉で起こすのは忍びなくなってきた。そう報告すれば、誰も何もいわないだろう。
ただちょっとだけ魔が差した。自分だけがどきどきさせられ、あまりにも無防備過ぎる姿を見せる審神者の耳元に、加州は唇を近づけた。後ろで括っている黒髪が審神者の顔にかからないように押さえながら、軽く息を吸って、囁く。

「このまま起きないなら、食べちゃってもいーってこと、だよね……?」

もちろん朝餉のこと……と、もうひとつの意味も含ませて言葉を紡いだ。実際にそんなことをする勇気なんてこれっぽっちもない。それでも今、広がる光景を目の前にして願望を口にするぐらいは許されるのではないか。気づいてからもずっと見ているだけで耐えてきたのだ。加州の手が無意識に審神者の頬へと伸び、触れる刹那、突然首巻が引かれ視界が反転する。数度の瞬きの後、視界の先は天井と、未だ夢うつつの瞳の審神者が加州を見下ろしていた。

「あ……おは、よ?」

「……ん」

意味のなさない返事。審神者に組み敷かれている状況に頭が追い付いていかない。少し視線を下ろせば、胸元が大きく開き見えてしまいそうで、加州の心持の問題で直したいのだが、手は審神者にしっかりと縫い留められて動かせない。力で負けることはないのだから、無理にでも逃げ出せばいいのに、審神者を傷つける可能性があることは避けたかった。

「あの、主? 起きたんだったら、どいて欲しいな」

「……」

「朝餉、燭台切と歌仙たちが作って待ってるよ?」

「ごは、ん……?」

「そ、だから」

「……」

「支度して行こ?」

投げかけるも沈黙、思考しているのかもわからない。瞬きもせずに見つめる先はどこなのか。心配になり、もう一度加州が、主? 、と声を掛けた。

「……いただきます」

急にはっきりとした口調に、どこを見ているのか分からなかった審神者の瞳が、加州の赤い瞳と交わった。急激にその瞳が近づいてくる。先に覆いかぶさっていた身体が重なり、何とも言えない重さと心地いい柔らかさが加州の上に乗っかった。

「ちょ、っと、待った!」

静止する間も審神者が距離を縮めるのを止めることはない。その薄い血色の良い唇が加州の視界いっぱいにしめられ魔が差したことを後悔した。寝込みを襲うだなんて最低だと、そんなつもりもなかったのだと。

「だめだって……!」

審神者の瞳がゆっくりと閉じられ、加州も唇をきゅっと結び釣られて瞳をきつく閉じた。

「——んっ」

予想外の行為に自分のものとは思えない甘い声が出た。審神者は加州の唇を通りすぎ、耳を甘噛みした後、満足したのかそのまま起き上がることはなかった。

「ごちそ……ま、した」

吐息交じりに囁かれ、再び静かな寝息へと変わっていく。審神者の身体に押さえつけられているのに、加州の心臓は痛いほど打ち、そのせいで上手く呼吸ができない。

「嘘だろ……、なんだよ、これ」

審神者の拘束が解かれた両手で顔を覆う。誰も見ていないのはわかっていたが、自分の真っ赤になっているであろうそれを隠したかった。審神者の無防備な姿、自分を求める瞳、何より口づけをされる……かも、という勘違い。恥ずかしい以外の何でもない、それは加州自身が求めていたことに他ならないと気づいていた。もっと審神者に触れたい、抱きしめたい、それ以上のことを望んでいる。まるで人間のような執着だ。
今なら、抱きしめても不自然はないだろうか。そもそも審神者の私室で加州が審神者に乗られているという今の状況が不自然なのだから今更か。そう自分を納得させ、ゆっくりと加州は審神者の背に腕を回した。薄い寝間着から柔らかさと体温が伝わる。

「もー……、人の気も知らないで」

やっと抱きしめられた温もりを噛みしめ、次は互いに抱きしめ合えるよう勇気を出さなければと加州は思う。何故なら審神者からは抱きしめてくれるのだから、その時審神者はどんな顔をするのだろうか。驚くよりも、加州と同じくどきどきしてくれればいい。
願望を胸に今日の朝餉は燭台切には申し訳ないが、審神者が起きてから改めて作るかして、二人で食べればいいかと諦めた。規則正しい寝息を子守歌にして、審神者を優しく抱きしめたまま、加州は再び目を閉じた。今度は穏やかな眠りを求めて。
(2020/11/25)

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