慕情


審神者に内番はない。審神者には審神者の仕事があるからだ。それなのに、彼女はなぜかシーツを入れた籠を抱えて汲み井戸に向かっていた。その後を渋々着いていくのは近侍の加州清光だった。

「ねえ、そんなに嫌なら執務室で待ってても大丈夫だよ?」

「別に嫌ってわけじゃないけど、主がする必要ないって言ってるよね」

「たまに手伝うくらいいいじゃない」

「審神者の仕事はどーすんのさ」

「切りのいいところまで終わってるし、残りは後でちゃんとやるから」

不機嫌な加州を軽くあしらう審神者というやりとりは、内番を手伝うときによく見られる光景だった。今日の洗濯当番である堀川国広と和泉守兼定は慣れているため微笑ましく眺めつつ窘めることにする。

「まあまあ加州さん、主さんにも息抜きが必要でしょうし」

「そうだぜ、それに主が手伝ってくれればすぐ終わるしな、俺たちも助かるぜ」

「それは僕たちの都合だよ……兼さん」

そうか? あっけらかんと答える和泉守に呆れる堀川と笑う審神者に、加州は頭を抱えた。何を楽しそうにしてるんだ、他人の仕事を手伝うほど余裕なんかないくせに、と。確かに審神者の仕事が滞っているわけではないが、それは加州が手伝っているからにほかならない。

「そこんとこ、わかってんのかな」

小声でごちるも先を歩く三人の耳には入らなかった。




洗濯物の入った籠を抱えてやってきたのは汲み井戸。石造りで水を溜めるところと、上には日陰になる屋根あり、ここで洗濯板を使ったり、今回のようにシーツなどの大きなものは足踏みで洗う。和泉守が井戸を汲み上げ冷たい水が溜めていく間、堀川と審神者が準備をしているのを、加州は少し離れたところの岩に座って頬杖をつきながら眺めていた。

「主さん、裾、濡れないようにしてくださいね」

「うん、ちゃんと捲るから大丈夫、たすきも持ってきたし」

懐から白い紐を取りだし、堀川に見せるように袖を止めていく。

「後ろ、僕が結びますよ」

「ありがと、助かる」

堀川にたすきの端を手渡すと、背を向けて髪を巻き込まないように横に避けた。普段見えない首筋が見えるかと思えば、加州の位置からは堀川の影に隠れて見えない。たすき掛けの流れで審神者の髪まで結び始めた堀川にもやもやが募る。ああいう審神者の世話はいつもなら加州がやっていたのに、近侍じゃなくても側にいる男士なら誰でもいいのか、と。そんな些細なことに心乱される意味がわからず、頭を振って思考を追い出した。仕事が進まないことからくるものだと思い込むことにする。

「きよみつー、そんなとこにいたら日に焼けちゃうよー、家の中、戻ってもいいんだからねー」

髪を結んでもらった審神者が大きな声で声を掛ける。そもそも洗濯を手伝わないのなら居なくてもいいのだが、言う通りに立ち去るのも癪で、特に返事をせずにいた。すると、審神者は巫女服の裾を膝上までたくし上げて結ぶものだから、白い足が顕わになり、思わず目を逸らしてしまう。早鐘のような心臓を落ち着かせるために深呼吸をし、恐る恐る和泉守たちを見るも、二人は全く気にした様子もなく洗濯をし始めていた。

「……やっぱり俺だけ変なのかな」

審神者は誰か一口のものではない。それなのにずっとそばにいたい、自分だけを見て欲しいという欲求がここ最近抑えきれないのだ。刀の付喪神として人ひとりに執着するなどおかしな話である。同じ症状の男士もいないかと観察してはみたものの、誰一口としておらず、みな平等に審神者と共に過ごしていた。加州としては、信濃のように懐に入られたり、源氏兄弟のように気軽に頬に触れられたり、小狐丸のようにお姫様抱っこをされたりなどなど、目の前で行われそうになったのなら断固阻止する。それくらい誰にも触れて欲しくなかった。さっきの髪を結ぶのだって、本当は堀川にさせたくなかったが、突然自分が出ていくなんて不自然だ。今までもそうして我慢してきた。審神者と刀剣男士の間にそれ以上の関係など考えられない。前例があるのかも知らない。そもそも本来神と人は相容れない存在なのだと思っていた。

「堀川くん、このくらいでいいかな」

「ですね、兼さん、濯ぐのでもっと水出してください」

「了解だ、おりゃ!」

踏み洗いが一段落し、洗剤を流すために和泉守が力強く井戸水を汲み上げ始めた。勢いよく水面に反射して水が跳ね上がる。それすらも審神者は楽しそうに受け止めていた。遊んでいるわけではないのだが、良い気分転換になっているのには違いない。渋ってはいたが、まあいいか、と納得し始めたとき、水流が速いままに足踏みをした審神者がバランスを崩し倒れそうになる。

「きゃっ」

「主!!」「主さん!?」

加州の腰が浮くのと同時に、すぐそばにいた堀川の手が審神者の腰を抱きとめ、水の中に転ぶのは免れた。どう頑張ってもこの離れた距離で助けるなど、無理に決まっている。伸ばした右手をゆっくりと戻し、自然と舌打ちが出た。

「主さん大丈夫ですか?」

「大丈夫……吃驚した」

「気を付けろよ、ったく、ひやひやしたぜ」

「濡れてしまったら誰かさんに何を言われるかわかりませんからね」

「誰かって、長谷部?」

審神者の言葉に和泉守と堀川は顔を見合わせて苦笑した。心配でついてきているというのに、報われないというのは辛いものだ。

「どんくさいなー、もう」

「清光」

いつの間にか汲み井戸の近くまで来ていた加州がしゃがんだまま審神者に声を掛けた。それなのに、目線の先に移しているのは堀川だった。未だ審神者の腰に触れているせいで睨まれているのだと感じたが、気づかないふりをする。近くに居ればそれは自分の役目なのに、いい加減審神者から離れろ、と加州は言えるものなら言いたかった。

「どうしたの、やっぱり手伝ってくれるの?」

「え、いや」

唐突に同じ目線に降りてきた審神者の問に思わずどもる。遠くで見ていた、赤い袴から覗いた足が間近にあったせいだ。何でこうも行動のひとつひとつにどぎまぎしなければならないのか。審神者や他の男士にあたるような、平常心で居られなくなる自分に一番苛ついていた。

「加州、暇なんだから洗濯干すのは手伝えよ!」

「えー、別に暇ってわけじゃ……」

「座ってただけなんですから、別にいいでしょう」

「国広の言う通りだ。二手に分かれてやった方が早く終わるだから、主とやってこい、いいな!」

「……おー」

和泉守に押し切られる形にはなったが、小さな返事は確かに審神者たちに届いた。加州の気が変わらないうちに終わらせてしまおうと、審神者は頑張って洗濯を踏む。加州と一緒に何かをするのは楽しいのに、最近は近侍の仕事以外は不機嫌になって付き合ってくれなくなった。それを何となくこの二口に話してみたところ、今日の内番となったわけだった。

「よかったですね、主さん」

「うん……ありがとう」

加州には聞こえないような小さなやりとり。内番中なら自然と話すことも出来そうだった。堀川たちに背中を押されて、何とか仲直りをするため密かに両手の拳を握りしめた。
和泉守と堀川、加州と審神者に分かれ、持ってきたときと同じように大きな籠にシーツを詰め込み、加州が審神者に代わって抱えて干場まで歩く。シーツの両端を持って物干し竿に黙々と干していった。全て干し終わり、風に靡く白いシーツの間にふたりで立ち空を仰ぐ。

「楽しかったね」

「そーね」

相変わらず気乗りしない返事だったが、肯定を受け取り、審神者の頬は我慢できずに弛んだ。悟られないよう頬を両手で押さえるが加州は見逃すはずもない。自分のたった一言でこういう顔をさせられるのは嬉しかった。

「あのね、清光……謝らなきゃいけないこと、あるの」

それなのにすっと笑顔は消え、伏し目がちに小さな声で告げる。審神者が刀剣男士に改まって謝罪を述べるなど何事か。加州は瞼をしばたかせた。

「本当はね、こんなこと思っちゃいけってわかってる……、ずっと、こんな平穏な日々が続けばいいのにって」

「それじゃあ、俺たちの存在理由がなくなっちゃうよ」

「わたしたちが会えた理由もね。でもね……だからこそ、こうやって一緒に笑って過ごせる日々を大事にしたいの」

後ろ手を組んだ審神者はくるっと加州に背を向けた。

「わたしはここで守られてばかりで戦いを知らないから、みんなが傷つくことなんてない方がいいなって、そんなこと考えてるの、わかってるんでしょう? ……審神者失格だって、だから、ごめんなさい」

振り返った審神者は悲しそうに微笑む。審神者が元々住んでいた時代はほとんど戦争のない時代だと、加州は文献で学んでいた。そんな彼女が平和な時を大事にしたいと思うことを責めることは出来なかった。まして、最初から加州はこれっぽっちも審神者が心配しているようなことなど考えていないのだ。ゆっくりと頭を下げる審神者に、そんなことをする必要がないと告げるため口を開いた瞬間、突然強い風が吹き、干していたシーツが一枚舞い上がる。加州が見上げ、目で追い、それが辿り着いた先は審神者の上だった。

「わあ、なになに!?」

濡れたシーツが覆いかぶさった勢いで後ろへ審神者は後ろへ転倒する。加州は支えようと近づくも伸ばした手は掴むものがなく、空を切った。

「いたた……、もう、ちゃんと止めたはずなのに……」

「ごめん、大丈夫?」

「どうして清光が謝るの?」

「主を守るのが近侍の役目だから……」

本当は主や近侍などは関係なかったが、思わず口を付いた。それを聞いて審神者はシーツの下で声を上げて笑う。

「清光は実は馬鹿みたいに真面目だって、本当だね」

誰が言ったのか、大和守安定だと思われるが、問い詰めたい気持ちもなくはなかったが、今は審神者の状況改善を優先するため忘れることにした。

「いいからほら、いつまでそのままで居るの」

「うーんと、どこから出られるのかわかんなくて……」

審神者が手探りでシーツの端を探しているようだが、如何せん湿って重たいためか上手く見つけられないでいた。呆れながらもその光景を可愛らしく思ってしまった加州の口角が上がっていく。審神者の前にしゃがみ、位置のはっきりしていた彼女の手を取る。

「あんたは本当にどんくさいね」

「……清光?」

優しく甘い声で名前を呼ばれ、空いている手で審神者の頬の輪郭を捕えると、重たかった口をようやく開くことが出来た。

「審神者失格だなんて、そんなこと思ってない。ただ……俺の我儘だったんだ」

「我儘?」

「そう…………あんたを誰にも取られたくない」

「……え?」

呟いた刹那、加州は親指で審神者の唇をなぞると、シーツ越しに自身のそれと重ねた。一瞬の出来事に審神者は混乱したが、触れたのが柔らかい何かだったことから、顔が熱くなるのがわかった。その前に言われたこともはっきりと聞き取れなかった。思い違いかもしれない、自意識過剰かもしれない、身体が硬直する中で思考だけが、何が起こったと反復していた。そうしていると、被った時と同じように勢いよくシーツが剥がされる。

「ほーら、遊びは終わりだよ」

「き、清光……」

「洗濯終わったし、仕事の続きしないと。夕餉に間に合わないよ」

それはいつもと変わらない加州だった。飛んだシーツを小脇に抱え腰に手を当てて、審神者を見下ろしている。やはり勘違いで、自分だけが動揺していることに羞恥心が込み上げ、素早く立ち上がり、袴を軽く叩き、身なりを整えると、出来るだけ審神者も平常心でと視線を合わせて微笑んだ。

「そうだね、わたし、先に執務室に戻ってるから」

「ん、俺もこれ干し直したら行くよ」

「うん、よろしく」

足早に去っていく審神者の背が見えなくなった途端、その場に加州は蹲り、頭を抱えた。一体自分は何をやったのだ。自分が審神者に抱いている想いが刀剣男士からの主従や使用者だからというものとは、やはり全く違うことを自覚してしまった。今まで散々愛して欲しいと懇願してきたが、それとは別の感情。一番愛して欲しい相手に望んではいけないであろうそれは、刀としてでなく、刀剣男士としてでないもの。

「俺、主のこと……好きなんだ……」
(2021/1/24)

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