花見


夜、月明かりの照らす中、ひらひらと薄桃色の花びらが舞い落ちる。母屋から少し離れた位置にある審神者の部屋からは、池と季節に彩られた庭が見えるようになっていた。今は春。大きな枝垂桜の木が池の上まで伸びており、たくさんの花びらが薄桃に染めている。それは縁側まで伸びていた。

「花、綺麗だよねえ……俺もお洒落しよっかなあ」

しばらくの沈黙を破ったのは加州清光。彼は日が沈んでから花見用の茶を持参して審神者の元にやってきた。茶なのは審神者がまだ酒を飲めないからと、仕事をしているかもしれないと気を遣ったからだ。

「そうだねえ、でも清光は今でも十分お洒落だよ」

修行から帰ってきてから加州は近侍に執着することが少なくなった。主命なら特命調査や遠征のために第一部隊以外に入ることもしばしばだ。それでも帰還後はすぐに報告にくるし、時間を作ってはこうやって審神者の部屋を訪れるのだった。

「そーお? 主にそう思ってもらえるなら嬉しいかも」

「大丈夫だよ、わたしはどんな清光でも大事だから」

ある任務で重傷を負い、愛されない、捨てられると泣いた加州を思い出しているのだろう。修行に行く決意を固めた出来事だったとはいえ、慕う人間の前で取り乱すなんて加州にとっては恥ずかしくて思い出したくなかった。ああ、と呻くように声を発して片手で顔を隠す。

「……ありがと」

「わたしが選んだ刀だもの、当たり前」

「選んだ、ね」

本当は選んだ以上の感情が審神者の中にあった。そうでなければ修行に送り出すときに泣いたりなんかしない。知っているのは大和守のみだが、その意味まで理解されているかはわからなかった。審神者としてはずっと隠していくつもりでいた。

「何か不満?」

「そうじゃないけどさー」

だた譲れないものというのがあった。

「やっぱ俺が一番じゃないと」

「戦術上の都合はあるけど、今まで通り清光に近侍を頼むつもり」

本丸の主としては誰か一口を特別扱いするわけにはいかないのだが、どうしても加州には甘くなってしまう。そばにいて欲しいという願望から逃れられないのだ。

「だからこうやって仕事終わりにお茶飲んだりしよう」

「そーね、……ゆっくり桜の鑑賞も悪くないし」

「あ、わたしいいこと思いついた」

両手を軽く合わせてぱっと顔を輝かせると、審神者は縁側に広がった桜の花びらをせっせと集め始めた。桜色の絨毯が山へと変わっていく。それを両手で掬い、立ち上がった審神者の唇は綺麗な弧を描いていた。

「清光のこと、綺麗にしてあげる」

その言葉と同時に両手一杯の花びらが放り投げられ宙に舞った。桜色の中、審神者が楽しそうにくるくると回るのが見えて、ああ綺麗だ、と加州は思う。すると急に目の前に審神者の瞳が現れて加州は後ろに飛び退きそうになった。

「黒い髪に映えて綺麗だよ」

審神者に心を読まれたのかと思った。奇しくも加州と同じことを思っていたのだから。今も微笑んでいる審神者に加州は考えていたことを誤魔化すように非難の声をあげる。

「……花びらまみれになったんだけど」

「あはは、ごめんね」

「ホントに思ってる?」

「ちょっとだけ」

親指と人差し指で隙間を作って小首を傾げる様を見せつけられては、それ以上何も言えなくなってしまう。口を紡ぐと、もう一度ごめん、と言いながらゆっくりと審神者の手が加州の頭に伸ばされ、髪に付いていた花びらを掃った。
目の前、手を伸ばせば腕の中に収められる距離。加州の頭には修行から帰ってきた日がよぎっていた。帰ってくるなり自分の胸に飛び込んできた審神者。その瞳にはうっすら光るものがあった気がした。あれはどういう意味なのか、加州はよく考えるようになった。以前から特別扱いはできない、と言いながら、近侍も第一部隊長も加州であり、重症を負ったときは泣いて縋られたりしたときもあった。しかも審神者の名を知っているのも加州だけだ。審神者が唯一選んだ刀とはいっても、これは普通の扱いとは思えない。一番近い位置にいるのは自分だと自負できるようになったのも、修行で自信を付けたおかげだった。手紙にしたためた通り、審神者の一番になると決めていたのだ。

「主の髪にもついてる」

加州が審神者の髪に手を伸ばすも、立っているため届かない。審神者に再び座るように促すと、縁側に素直に腰を下ろした。少し緊張したが、何かがあるわけではないと思い、手が届きやすくするために審神者は加州に顔を近づける。

「たまに子供みたいなことするよね」

「まだ未成年ですから」

「みせいねんって、そういう意味だっけ」

「お酒も飲めないってこと」

「まあいいや、ほら、じっとして」

伸ばした手が審神者の髪に届く。そっと壊れ物のように指で取ると、互いの視線が交わり、顔の近さに審神者は鼓動が速くなり、頬の熱さを感じた。加州が掴んだ桜の花びらを自分の唇に触れさせる。審神者の瞳が見開かれた。その行動が合図かのように、審神者の腕を掴み引きよせる。戸惑う審神者の頬に手を添え、親指で唇をなぞった。

「あ、あのっ……きよみつ……?」

「ん」

「なに、してるの?」

「黙って」

徐々に近づいてくる加州の顔に、審神者は思わず瞼を閉じた。何が行われるのかさすがの審神者も理解出来ていた。どうしよう、と悩んでいる間にも距離は縮まっていく。だって特別なのだ。加州だけが審神者の感情をかき乱す。加州のことは拒否したくはない。しかしこのまま受け入れるとすれば。
瞳は開けることは出来ない。自分が今どれだけ赤面しているのかわからない。羞恥心でどうにかなってしまいそうだ。

二人の距離がなくなるまで、あと数センチ。
(2020/5/25)

back / HOME