林檎の誘惑
「晋助、悪い。買い物頼む、駅前のスーパーで寒ブリが安いし、鳥のモモ肉と合い挽き肉も安かったハズだ。あと、ピーマンと」
「俺をパシリにするんじゃねぇよ」
「年末で忙しいんだよ。タイムセールには間に合わねぇの、居候として少しは手伝え、あ、お釣りは晋助が使っていいぞ」
「千晴、子どもの駄賃みたいにいうんじゃねえよ」
「とにかく、よろしくな。晩飯はすき焼きだ。じゃあな」
千晴の阿呆は俺をガキだと思っているのか、つり銭やら食べ物でいいようにこき使う。腹立たしくはあるが、頼りにされるのは悪くない。
タイムセールだとしつこく言っていたので、それに間に合うように身支度を整える。
駅前のスーパーで千晴のメモにあるタイムセールのお買い得品を買って、退屈しのぎにふらりと歩く。千晴はスーパーが好きだが、俺はいろいろな店が並ぶ商店街が気に入っている。家から程近くの商店街はなかなか活気に溢れている。
八百屋の前を通りかかると紅く色づいた林檎が盛られていた。
「だから、そんなもん、ちゃちゃっと書きゃあいいんだよ。ちゃちゃっと」
「それができないっていってんだろ、誰のせいでこうなったと思ってんだい」
「そりゃ、てめぇがおっちょこちょいだからだろうが」
「なっ……書けばいい書けばいいって言うんなら、自分で書きなっ」
「んだとう」
「取り込み中のとこ悪いが、この林檎、ひとついくらだ」
八百屋の夫婦がいがみあっているところに声を掛ける。
夫婦同時に睨みつけられ「仲の良いこった」と思わず呆れた声が漏れた。
「リンゴか、ひとつ120円だよ。みろ、お前がさっさと値を書かねぇから、にいちゃんが困ってんだろ」
「だから、この手じゃ書けないって言ってんだろ」
林檎の値を聞いただけだが、また喧嘩をはじめたふたり。見れば女房の手は包帯が巻かれている。
「その手ぇ、どうした」
言い合いの流れからついおかみに聞いてみれば、あれよあれよと愚痴と文句が溢れ出し、結局、手は野菜の荷を解く時に負傷したらしい。
「ウチはいつも値は私が書くんだけどね、ほろ、この手だろ。うまく」
「読めりゃいいんだよ、値札なんだからよぉ」
ぞんざいな言い方をする八百屋の店主。
「私はね、値札でも気持ちを込めて書いてんだよ。読めりゃいいっていうんなら、あんたが書きな」
「てめえ、コノヤロ」
「わかった。値は俺が書いてやらぁ」
「はあああ?!」
堂々巡りの八百屋の夫婦喧嘩にうんざりして声をかければ、ふたり同時に驚きの声を上げた。
「筆と墨はあるか」
八百屋の店先で筆を執る。
どこからか用意された筆と墨と硯を前に着物の袂を払い、呼吸を整え静かに文字をしたためる。
<林檎 百二十円>
「これで、どうだ」
店主を見れば難しい顔をしている。
「何だ、気にいらねえのか」
どこが気に入らないのかと見つめれば
「綺麗な字だね。素敵じゃないか」
おかみは満足気だ。
「ダメだ。りんごってひらがなで書いてくれ。難しい字じゃ、客が読めねえよ、にいちゃん」
「……そうか、わかった。平仮名だな」
おかみは不服そうな顔をしたが、値札用の紙に今度は平仮名で書き直した。
「おお、いいじゃねぇか。こいつの代わりに他の値も書いてくれるんだよな?」
「ああ、必要な分だけ書いてやる。で、提案なんだが、林檎を少しまけてくれねえか? 持ち合わせが足りねえんだ」
八百屋の商品名をほぼ書き終えた頃、何故か店先には人が集まっていて、とても繁盛していた。
「リンゴだけじゃなくて、これも持っていって、おにいさん」
「リンゴ、いくつ欲しいんだ、にいちゃん」
八百屋の夫婦は上機嫌だった。
「いや、林檎はふたつでいい」
欲しかった林檎をふたつと蜜柑を一袋、手渡された。
「もしよかったら、明日も値札書いてくんねえか、にいちゃん」
八百屋の店主がにこやかに聞いてきた。
俺は八百屋のおかみの手が治るまで、店先で値札を書くことになった。バイト代として新鮮な野菜と果物で手を打った。
数日後、商店街の会長だという金物屋の店主から改めてバイトを依頼された。
代金は千晴の足しになりそうな金額だ。まあ、居候としては十分な手伝いになるはずだ。
「千晴、林檎切れ、皮はそのままでいい」
「かじりつけよ、お嬢様か、お前はッ」
It is over.
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