オフシーズンにフランスから帰国して人目を避けるようにタクシーで鎌倉にある実家に向かった。実家に着いて玄関を開けると見慣れない靴が2組揃って置かれていた。小声でただいまと呟いてからリビングのドアを開けると、そこには兄ちゃんと女が座っていた。
「凛、おかえりなさい」
「よう、愚弟」
「はわっ、り、凛くん、おかえりなさい」
上から母さん、兄ちゃん、そして俺たち兄弟にとっては幼馴染であり俺の恋人であるミョウジ。大股でミョウジの元に近付くと片手でミョウジの頭を掴んだ。
「てめぇ、誰が勝手にいなくなっていいと言った?しかもなんで兄ちゃんと一緒に実家来てんだよ。やっぱりあっちの家に閉じ込めておいた方がよかったか?あ?」
「ぴぇっ!痛っ!痛いよ、凛くんっ!」
「おい、やめろ凛。母さんが見てる」
「っ」
兄ちゃんの言葉に手の力が緩んだのを見逃さなかったミョウジは俺の手から逃れ、兄ちゃんの後ろに隠れた。その姿にイラつきながらも背後に感じる母さんの圧にゆっくり振り向くと、笑顔の母さんがリビングの外を指さしていた。
「まずは手洗いうがいしてきなさい、凛」
「……はい」
幼馴染であるミョウジとはいつも一緒にいるのが当たり前だった。兄ちゃんがスペインに行ってからもそれは変わらなかった。俺の初恋はミョウジだと流石に理解した。兄ちゃんとの仲が拗れた時もミョウジは俺の傍にいてずっと支えてくれて、幼馴染から恋人になったのはちょうどそのくらいの時だった。
俺がフランスに行く時も当然のようにミョウジを連れてきて一緒に暮らし始めた。勿論いずれは結婚も視野に入れてだ。しかし、俺がオフに入ったその日、一緒にベッドで眠っていたはずミョウジが俺の前から消えていた。ヨーロッパにいる知り合いに聞いても見つからず心配からイライラで頭の中が埋め尽くされそうになった時、兄ちゃんがSNSで「妹を連れて日本帰る」とだけ更新した。兄ちゃんには弟の俺しかいない、じゃあ妹とは誰か、それは瞬く間にニュースになっていた。察した俺はすぐに日本行の航空券を取り、今に至る。
リビングに戻ると、母さんはキッチンに移動し、兄ちゃんとミョウジだけがいた。
「凛、そこに座れ」
「ん」
「ミョウジ、お前から話せるか?」
兄ちゃんに言われた場所に座り、ミョウジに視線を送ると、ミョウジは俯いたままだった。呆れたような溜息をついた兄ちゃんが口を開いた。
「ミョウジから相談があった。凛が自分にプロポーズしようとしているって」
「………は?」
「部屋の掃除をしていたら書類を見つけたんだとよ。婚約指輪の予約書に、レストランの予約書、あとメディアへの広報用の文章をまとめたやつうぃな」
「なっ!?」
「その時に指輪の金額やらいろいろ見て怖気づいてしまったから助けてって」
「…じゃあ、俺のことを嫌いになったとかじゃねぇんだな」
「凛くんのこと、嫌いになんてなれないよ!だって、ずっとずっと私が一番大好きなのは凛くんだもん」
顔を上げたミョウジが俺に向かってそう言った。手を伸ばそうとするも、ミョウジは逃げるようにまた兄ちゃんの陰に隠れた。その行動にまたイラつく。
「逃げんな!っの、バカ!」
「ひゃあぁ!冴くんっ助けて!」
兄ちゃんを挟んで攻防を続ける俺たちに今日二回目の兄ちゃんの溜息。
「お前らストップ。ミョウジ、凛の隣に座れ」
「うぅ」
兄ちゃんに言われて大人しく二人並んでソファーに座った。
「凛、お前がこいつにプロポーズするって決めたのはいつだ」
「いずれ結婚するつもりでフランスに連れて行ったし、ちゃんとプロポーズの計画立てたのは今のチームでの契約が更新されてから」
「わかった。ミョウジ、お前はこいつが結婚相手で不満はあるか」
「私は凛くんのお嫁さんになるのが小さい頃からの夢だし、凛くんと結婚できたら幸せだなって思う。そうじゃないとフランスまでついて行かないよ。ただ、あんな高価な指輪とかお店の予約見ちゃうと、ちょっとびっくりが強くて」
「その指輪だが、おそらくスポンサーの面子も立てたんだろう。俺のマネージャーもよくそういう話しをしているからな。違うか、凛」
「そうだよ」
「だそうだ。納得したか?ミョウジ」
「それならちょっと納得」
「ということで、お前らは互い結婚の意志も確認できたというわけだ。さっさとこれに名前書いて提出してこい」
そう言って兄ちゃんが鞄から取り出したのは婚姻届だった。本人たちの欄だけ空白で、証人欄には潔と鉢楽の名前がすでに書かれていた。
「くそ忙しい中、こいつらから署名もらってきたんだ。ありがたく思えよ」
「ふぇぇ、世界的サッカー選手の名前がいっぱい…冴くん、ありがとう!」
兄ちゃんから婚姻届を受け取ったミョウジは嬉しそうにそれにペンを走らせた。俺を見た兄ちゃんは昔のように笑っていた。
「言っただろ、妹を連れて帰る、ってな」
「兄ちゃん」
「書けた!」
「ほら、凛も書いてやれ」
いつの間にかキッチンから戻ってきていた母さんと、兄ちゃん、ミョウジに見られながら俺も婚姻届に名前を書いた。