保健委員の活動で医務室にいると、近くから聞こえる声が気になるようになって、もう一か月が経とうとしていた。留三郎には気になるなら声の主を見に行けばいいのにと言われたが、僕はそれを知りたいとはあまり思っていなかった。

「誰か分かったところで別に声をかけろなんて言ってないんだし、いつまでも誰だろう誰だろうって気にしていても進展しないだろ」
「留三郎や小平太なら気になった瞬間見に行きそうだね」

用具の修補中に傷んだ苦無で指を切ってしまった留三郎は医務室に来るなりそう言った。医務室までの廊下を歩いていて聞こえていたらしい。

「てっきり童歌でも歌ってるのかと思ったら、和歌を詠みあげてる感じなんだな」
「うん。しかも全部恋の和歌。すごく勉強してる子だと思うよ。綺麗な声だよね」
「なるほどな」

忍びたるもの文学や風流に通じていれば、それが忍務に役立つ時もある。きっとこの和歌を詠んでいる子もそういう一種の訓練をしているのかもしれない。

「でも妙だな」
「妙って何が?」
「この前、伊作が裏山に乱太郎と薬草摘みに行ってる時、浜が塀の修補中に脚立から落ちたんだよ。それで足を擦りむいていたから医務室に連れて来たのが今くらいの時間だったが、その時は聞こえなかったぞ」
「そういえば僕が演習に出ていない日は他の保健委員が医務室にいてくれるんだけど、誰もこういう声を聞いたって言わないな」

留三郎は何かに閃いたように手を叩いた。

「わかったぞ。つまり、この声の主はお前が医務室にいる時だけ和歌を詠んでいるんじゃないか?」
「……え?」
「お前に気があるくのたまがお前に聞こえるように恋の和歌を詠んでいる、と考えられるだろ」

全く予想していなかった指摘に思わず留三郎の指に包帯を巻いていた手が止まった。医務室に静けさが下りた瞬間、裏から大きな声が聞こえた。

「ナマエ!貴女またそんな屋根の上で詠ってたの?今日作法委員会の日でしょ、早く行かないと立花先輩に怒られるわよ」
「あわわ!い、今行きますっ!」

和歌を詠んでいた声が止み、医務室の上から音がしたかと思うと、人の気配が消えていた。天井を見上げる僕を留三郎が小突いてきた。

「仙蔵に聞いたらわかりそうだな。ナマエって名前のくのたまのこと」
「え、あ、うん、そうだね」
「顔に出てるぞ、伊作」
「何が?」
「どんな子かすごい気になるって」
「っ」

留三郎にそう言われ顔に熱が集まるのがわかった。僕が医務室にいる間だけ恋の和歌を詠んでくれる綺麗な声をしたナマエという名前しかまだ知らないその子のことを知りたいと思ってしまったのをきっと留三郎は見抜いている。まずは仙蔵にどんな子が聞く一歩から始めてみようと思った。

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