聞こえたその言葉と声がずっと頭の中に残っては響いて、ここ数日眠りが浅かった。それでも毎日授業はあるし、鍛錬や委員会の仕事だって欠かせない。今日くらいは早く眠りたいと思いながら、布団の準備をしていると、同室の勘右衛門が心配そうに俺を見ていた。
「聞いてるか?兵助」
「え?あ、悪い、勘右衛門、なんの話だ?」
「くのたまの課題で色を仕掛けるってのが出たらしくて、俺たちも気をつけようって話だよ」
勘右衛門曰く、くのたまに出された色の課題は内容がそれぞれ違うらしく、口吸いされたという者もいれば、抱きつかれただけという者もいた。対象まで指定されているのかどうかも忍たまにはわからないが、六年生の先輩方は躱している人が多いらしい。
「兵助、最近呆けてること多いけど何かあったの?昨日の夜も寝つけてなかっただろう?」
「……うーん、実は、気になる子がいるんだ」
俺の言葉に勘右衛門は丸い目をさらに丸くさせて驚いていた。
「兵助が女の子を気になることなんてあるんだな。そういう対象なのは豆腐だけだと思ってた」
「そういう対象ってどういうのだよ。ナマエって名前のくのたまなんだけどさ。この前、俺が食堂を借りて豆腐を作ってた時に、先輩のくのたまと話してるのが聞こえてきて、彼女、豆腐好きだって言ってたんだ。豆腐好きっていうなら話してみたい、豆腐も食べてくれるかもしれないと思って、声をかけようと思った時には二人ともいなくなってて、それからずっと彼女のことが気になってて」
「ストップストップ。気になる子ってそれ、結局豆腐きっかけじゃん」
「そりゃあ豆腐好きの人のことは気になって当然だろ」
「恋とかそういうことかと思ったのに残念」
「忍者が色恋に浮かれるのは良くないと思うぞ」
「兵助は真面目だなぁ。気になるなら声かけてみればいいんじゃない?それで兵助がすっきりして眠れるようになった方が俺も安心だし。じゃあ、おやすみ」
勘右衛門は自分の布団に入りながらそう言った。部屋の灯りを消して俺も布団に入った。結局その日もあまり眠れなかった。
朝起きて忍服に着替えて勘右衛門と食堂に向かっていると、食堂の入口の所で出てきた人とぶつかった。
「っごめんなさい!」
桃色の忍装束を着ていたからくのたまだろう。体勢を崩して倒れそうになるその子の腕を掴んで引き寄せると、俺の胸のあたりに顔があって、俺を上目遣いで見ていた。
「大丈夫?」
「あ、ありがとうございます。久々知くん」
「俺のこと知ってるの?」
「お豆腐小僧くんって呼ばれてる五年い組の久々知兵助くんは学園の有名人だよ。私、くの一教室五年のナマエです。支えてくれて助かりました」
「君が、ナマエ、さん?」
「ん?私のことも知ってるの?」
俺から少し離れたナマエさんは首をこてんと傾げていて、なんだか可愛い。俺はナマエさんの両手を握った。触った感触がとても上手く出来た豆腐みたいにすべすべだった。
「この前聞いたんだけど、君も豆腐好きなんだよね?今度よかったら俺が作った豆腐食べてほしいんだ。豆腐作るのに興味があるなら俺が教えるから一緒に作ろう。あとは、街に美味しい豆腐屋あるんだけど食べに行くのもどうかな?」
捲し立てるように話してしまった俺の話をナマエさんはニコニコと笑みを浮かべて聞いてくれていた。最近、勘右衛門や八左ヱ門たちも聞いてくれなくなった豆腐のことを嫌な顔せず聞いてくれるなんて、やっぱりナマエさんは俺と同じで豆腐好きだと確信した。
「久々知くん、素敵なお誘いありがとう。でも私、今日当番でもう教室に行かないといけないんです」
ナマエさんの両手がするりと離れて行った。そしてナマエさんが背伸びをしたかと思うと、俺の頬とナマエさんの頬が触れ、耳元にナマエさんの口があった。
「っ」
「だから授業が終わったらまたここで待ってますね」
囁かれたと思ったら、ナマエさんはさっと離れて、廊下を走って行った。熱が集中しているのか熱くなった耳を押さえて固まってしまった。
「あれは完全に噂のくのたまの課題の色だな。兵助のやつ、大丈夫かな」
背後で一部始終見ていた勘右衛門がまた心配そうな顔で俺を見ていて呟いたことにも気付いていなかった。