帰ろうとした。たったそれだけの行動を邪魔するように、咄嗟に強く握られた腕は弱い痛みという悲鳴をあげていて、彼の手が触れている所から伝わる鼓動がどくんどくんと強く動いているのがわかる。

「勇利くん?」

「名前」

真っ直ぐな瞳に強く捉えられて、こちらが視線を逸らすことすら許されない。壁に掛けられたアナログな時計の長針は既に9を過ぎていて、早く帰って課題を終わらせなければ明日辛い目を見るのは学生時代を経験した勇利くんだってわかっているはずだ。それなのに、どうして彼は逃がすまいと帰ろうとしている私の腕を強く握って離さないのだろうか。
今日だってただ前に貸りた本を返しに来ただけだし、本当は勇利くんの部屋に上がるつもりは無かった。その時既に遅い時間だったというのに、まだ部屋に本あるから読みたいの選んでってよという誘いを断りきれなかった私も私で、こんな時間に来たのも悪かったと思っている。
部屋に上がったのは別に彼との関係がそういうものじゃないから、そう軽はずみに思っていたのが間違いだったのかもしれない。この下手したらそういうことにまで発展し得ない雰囲気は、恋愛経験希薄な私でも汲み取れるくらいに濃厚で、彼の発する色気がそれを物語っている。

「私、帰らないと」

「名前」

「課題やらなきゃいけないし。明日テストあるから」

「駄目、帰らないで」


縋るような声に、一瞬心が揺らいだ。


「名前は何とも思ってないかもしれないけど、僕は、」

「ずっと、名前が」


勇利くんは、卑怯だ。
恋心を抱いてない筈なのに跳ね動く心臓が、その甘い言葉に答えたいと精一杯叫んでいる。


未完成片想い

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