※〇〇をしないと出られない部屋


 学園長の思いつきで急遽発表された忍術学園の隠れんぼ大会は、鬼役を務める六年生から最後まで隠れきった生徒が優勝という単純明快な決まりの下開催された。優勝した暁には豪華賞品が贈呈されるらしい。どうせ大した物ではないと思いつつも、強制的に参加させられるからには勝ちたいという負けず嫌い精神が顔を出し、私は隠れ場所を探していた。

「見つからない場所、見つからない場所……」

 身を隠すのに適した所を探しながら学園内をうろついていると、裏山と学園の敷地のほぼ境界付近に位置する場所に古びた小屋を発見する。腐りかけている木々の間で雨ざらしになっているその小屋は状態が酷く、殆ど倒壊しかかっていた。到底人が近寄るとは思えなかったので、ちょうどいいかと藁で作られた戸に手をかける。風が吹き晒す小屋の中に足を踏み入れた、その瞬間だった。
 日陰であったはずの屋内が白く発光し、あまりの眩しさに思わず強く目を瞑る。次に瞼を開いた時には、目の前の景色ががらりと変わっていた。

「えっ、えっ!? な、何ここ」

 見覚えのない風景を前に、驚きのあまり声が上擦る。所々損傷し、虫食いのように穴の空いている古い横板で囲まれていたはずの小屋の壁は、くのたま長屋の部屋のような木目に変わっている。土で固められていたはずの床も、壁と同じく木板になっていた。最も異変が起きているのは室内の広さだ。大人が二人入れば窮屈になるような大きさだったはずだが、優に五人は寛げる広さになっている。ただし出入口や窓はひとつも存在しない。天井も高くはなく、完全な密室となっている。自分が入室したはずの背後の戸を振り返っても、そこには壁があるだけだった。
 明らかに異常な空間を前に思考を巡らせることもできず、ただ恐怖で心拍数が上がっていく。部屋の中を観察しようともう一歩進んだその時、今まで戸など無かった壁の一画が丁度ひと一人入れる程の大きさに切り取られ、真っ白に光る。その中からぬっと人影が現れ身構えたが、部屋の中に入ってきたのは見知った顔だった。

「不破くん?」
「……は? 名字?」
「あ、鉢屋くんか……って、入っちゃだめ!戻っ、」

 知った顔に安堵したせいで制止が遅れてしまった。こんな訳の分からないところに入ってくるなと引き返すように言うも間に合わず、彼が入ってきた一画はみるみるうちに元通りの壁に変わっていく。再びこの部屋は閉ざされてしまった。
 困惑した顔でこの空間と私を見つめていたのは、忍たまの不破雷蔵……ではなく、不破雷蔵に扮した鉢屋三郎だった。





「――つまり、お前は裏山の麓にあった小屋に入った瞬間、ここに閉じ込められた、と」
「うん。でも鉢屋くんは、五年長屋の隠し部屋に隠れようとして、回転扉を押したら、ここに来た……ってこと?」
「ああ。まったくなんなんだ、この出鱈目な部屋は」

 お互いの状況を整理しても、“理解不能”以外の結論には至らなかった。とりあえず出口を探そうと壁に手を当てて周ってみても手応えはないし、天井の板を押しても全く外れない。こうなりゃ力ずくだ、と壁や床を蹴ってみてもびくともしないし、私たちが携えていた苦無や手裏剣、鏢刀でさえ、傷一つつけることができなかった。ここまでくると本当に木材なのかすら怪しくなる。やれるだけのことはやってみたが何の成果も得られなかったため、今は並んで床に座り込みこの状況を嘆いていた。

「とにかく出る方法を探すぞ。もうじき日が暮れれば、視界も悪く……待て。そもそも窓も無いというのに、何故こんなに明るいんだ」

 苦々しい顔でそう言いながら、鉢屋くんが額に手を当てる。確かにその通りで、この部屋には窓も無いし日光が入り込む隙間も無い。なのに辺りは昼間のように明るく、室内の様子も鉢屋くんの姿かたちもはっきりと確認することができた。

「自然の理が通用する場所ではないようだな」
「夢の中にいるみたいだね」

 忌々しげにため息を吐く鉢屋くんにそう返すと、「なに呑気なこと言ってんだよ」と呆れられる。同じ五年生といえど鉢屋くんは忍たまなので、いざという時には私よりも腕が立つし頭も回る。私一人では心細くて堪らなかったが、鉢屋くんが現れたことで幾分か安心できた、とはあまりに能天気なので言わないでおく。
 この場に入ってきた方法を振り返ってみても、あまりに現実離れし過ぎているせいで実感が湧かないんだよなあ、などと考えていると、不意に頭上からひらひらと一枚の紙が落ちてくるのを視界の端で捉えた。

「わ、何これ」
「触るなよ、私が取る」

 お言葉に甘えて、と私は身を躱し、それが床に着地するのを見守る。毒や細工が施されているわけでもなく、何かが書いてあるだけの紙切れであることを確認すると、鉢屋くんはそれを摘み上げ、記された文書を読み上げた。

「『口吸いをしないと出られない部屋』……はあ?」
「くちすい……?」

 あまりにも突拍子の無い文章のため、鉢屋くんが発した言葉を頭の中で単語に変換するのに時間がかかった。『くちすい』。口吸い。

「え、ええっそんな、」

 訳の分からない空間に閉じ込められた挙句、突然現れた紙切れによると、私たちが口吸いをしなければここから脱出できないという。ひどく荒唐無稽な話に思わず声を荒らげてしまう。信じ難いのか、紙切れを持つ鉢屋くんの手も僅かに震えていた。

「有り得ない。口吸いすればここから出られるなんて、どんな技術だ。馬鹿馬鹿しい」
「……」
「――と、一蹴することは簡単だが。どう思う」

 先程『自然の理が通用する場所じゃない』と言ったのは鉢屋くんである。怒涛の展開に着いていくので精一杯ではあるが、手掛かりがこの紙に書かれた条件しか存在しない以上は、これを試すしかないだろう、と頭の中では答えが出ていた。出てはいたが、如何せん口吸いである。互いの唇を重ねるその行為を、五年間同じ学園で過ごした鉢屋くんと行うのは非常に気まずいものがあった。

「は、鉢屋くんは、どう思うの」
「質問に質問で返すなよ。……少しでも可能性があるならやるしか無いだろう。駄目だったら違う手立てを探す」
「うぇっ……そ、そうだけど!」
「なんだよ」

 確かに気まずいなどと言っている場合ではないのかもしれないが、鉢屋くんには恥ずかしさというものが無いのだろうか。少なくとも私は行儀見習いとして入学した身であり、異性との口吸いなどしたことが無い。初めてをこんなとんちき現象の解決策として済ますだなんて思ってもおらず、即断即決ができるほど吹っ切れることができなかった。

「相手が鉢屋くんっていうのが……」
「ああ? ……残念だったな、相手が私で。骨は拾ってやるよ」
「そういうことじゃなくて!」

 近しい存在の異性だから気まずいのだ、という意味で言った言葉だったが、何を勘違いしたのか、鉢屋くんは若干怒り気味で見当違いなことを言い始めてしまった。これ以上話が拗れる前に、と私は意を決して顔を上げ鉢屋くんの方を向く。女は度胸よ!というシナ先生の言葉を思い出した。ええいままよ、というやつである。

「鉢屋くんも、私でごめんね」
「別に。……いいんだな」

 体の向きを変えて鉢屋くんに膝を向け、どうぞ好きにしてください、と唇を差し出すように顎を上げて目を閉じる。一拍置いて、ぐっと肩が引き寄せられ、鉢屋くんの顔が近づく気配を感じた。頬に吐息がかかり、擽ったくて思わず目を開ける。間近に迫った顔に、何かが胸につかえるような違和感を感じ、気づいた時には鉢屋くんの両頬を両手で挟んで制止していた。

「っなんだよ!」
「う、その……不破くんとするみたいで、嫌」
「はああ? お前、我儘だなあ!」
「だっ、だって!勝手に口吸いしてるみたいで申し訳無いし、戻れた時に私だけ気まずいのも嫌なんだもん」

 違和感の正体を必死に言葉にして伝えると、鉢屋くんの眉間に皺が寄る。たかが一度の口吸いに何をごちゃごちゃと、と苛立たせている自覚はあるが、私からすれば、されど一度の口吸いである。少しくらい我儘を聞いてくれたっていいじゃないか。

「……じゃ、誰ならいいんだよ。誰と口吸いしたいのか言えよ。変装してやる」
「別に誰ってわけじゃないよ、でも、勝手に誰かの顔とするのが嫌なの!」
「はあぁ、面倒なやつだな……」

 本当に面倒臭そうに深く息を吐くと、鉢屋くんは徐に頭に被っていた頭巾を外す。紺色の布を伸ばして細い紐状に折り畳むと、私の目を隠すようにして頭の周りを囲って縛った。突然視界を奪われ、意図も分からず私は混乱した声を上げる。

「ひぇ、は、鉢屋くん?何するの」
「黙ってろよ」
「ひンっ」

 耳元で聞こえる鉢屋くんの声に、ぞくりと肌が粟立ち変な声が出た。頭巾に目を塞がれ、何も見えない暗闇の中、どうすることもできずただ慌てていると、鉢屋くんが私の右手を取る。その手が暖かい何かに添えられた、と思うと、

「これでいいだろ」

 鉢屋くんの言葉に合わせて震えた。これは人肌だ。どうやら私の右手は、鉢屋くんの頬に添えられているらしかった。

「……鉢屋くん?」
「ああ」
「本当の鉢屋くん?」
「正真正銘、誰の姿でもない私だよ」

 す、と頬に添えられた手を動かしてみる。親指が唇の端に触れ、中指の先は下睫毛をなぞる感覚がした。鉢屋くんの素顔なんて、入学したての頃に一、二度見たきりで、すっかり不破くんの変装姿が定着した今では本当の顔があることすら忘れかけていた。見えないとはいえ知ってはいけない秘密に触れてしまったような気がして、緊張と高揚で胸の辺りがかあっと熱くなる。
 咎められないのをいいことに、少し離してみたり、移動させたりして、細い鼻筋や尖った顎の感触を確かめてみる。夢中になって顔中を撫でていたようで、鉢屋くんがくくっと喉を鳴らして笑う声に、はっと我に返り手を離した。

「遠慮なく触るなあ」
「ご、ごめん!」
「さて、これならお前に口付けてもいいか?」

 普段は仮面を被っているために、口の動きが制限されていたのかもしれない。何も纏っていない鉢屋くんの声は、いつもより高低の差が大きく、澄んでいた。許可を求められていることが何故か気恥ずかしく、いいよ、とは口に出せず、こくりと無言で頷いた。
 先程と同様に肩を引き寄せられ、吐息が頬を掠める。今度こそ、と思い強ばった私の口元に、鉢屋くんの薄い唇が触れ、押し当てられた。ふにゅりとした柔らかな感触に、頬が熱くなっていくのを感じる。一瞬とも永遠とも思えたその時間の後、離れていく体温を名残惜しく感じた。

「あっ、」
「……っ」

 終わったのか。そう思った時、再び唇に熱が触れた。今度は啄むように、ちう、ちゅうと音を立てながら繰り返される。視覚を遮断されているため、どうしても聴覚が敏感になってしまう。雛鳥が囀るようなその音は、私の羞恥心に火を点けた。

「は、ちやく、ふぁっ」
「ん、何?」
「でっ出口、開いた? んっ、あぅ」
「……まだだなあ」
「へっ!?で、でも、」

 既に紙切れに書かれた指令は果たしたはずじゃないか。呑気な返答が返ってきたので抗議しようとするが遮られ、ちゅ、ともう一度唇を吸われたと思えば、舌先が隙間を割るようにして侵入してくる。歯列をなぞられ、思わず声を出すと、その隙を逃さずに更に中へとやって来た舌に上顎を撫でられ、私の舌が絡め取られた。初めて味わう、他者に口内を蹂躙される感覚に、頭がぼうっと痺れていく。

「ふぅ、ん、っ!」
「っ……、はぁ」

 背筋にぞわぞわとした感覚が走り、身体の力が抜けていくのが分かった。鉢屋くんの腕に抱かれるようにして支えられながら、必死で口吸いを受け入れていると、不意に苦しさから解放され、視界が明るくなった。目隠しが取り外されたらしい。

「っはぁ、…はぁ、」

 乱れた息を整えながら目を開くと、そこには元通り、不破くんの変装をした鉢屋くんが私を腕に抱えている。違う顔とはいえ、さっきまで唇を重ねていたという恥ずかしさから顔を見ることもできず、よろよろと力の入らない身体に鞭を打ち背筋を伸ばす。鉢屋くんは愉快そうにその様子を眺めると、「酷い顔だな」と意地悪を言ってにんまりと笑った。

「ひっ、ひどい」
「その顔を、絶対に他の連中に見せずに、長屋に帰るんだな」

 そう言って鉢屋くんが指を差した先には、先程まで無かったはずの扉が壁にくっついている。少しだけ外側に開いているその扉の先は、鉢屋くんがこの部屋に入ってきた時と同じように白く輝いていた。あんなに頑丈でびくともしなかった部屋なのに、紙に書かれた行為をするだけで本当に出られるんだ、と摩訶不思議な現象に呆気に取られている間に、鉢屋くんは頭巾を頭に括り付け、何事も無かったような顔で立ち上がる。

「いいか、絶対に、長屋に、直行、するんだぞ」
「あ、はい……」

 扉に向けていたはずの指を、びしっと私に向けてそう念を押して、鉢屋くんは先にこの場を後にした。
 有無を言わせぬ態度に思わず頷いてしまったが、人の顔をどれだけ化け物扱いするんだ!という小さな怒りも湧いてきた。「くそ〜」と行儀悪いことを呟きながら、まだ上手く力が入らない腰に手を当てながらふらふらと立ち上がり、私も扉から部屋を出る。真っ白い空間に足を踏み入れたはずだが、入ってきた時と同じように一瞬で目の前の景色が変わる。気がつけばあの山小屋の出入口に立っていた。咄嗟に背後を振り返るが、そこにはあの部屋はなく、ぼろっちい小屋が佇んでいるだけだった。先に出たはずの鉢屋くんの姿もそこには無い。
 空の色はまだ赤く色づいておらず、あの部屋にいた分の時間は経過していないらしかった。白昼夢でも見ていたのかな、と自分の記憶を疑うが、熱を持ち少し汗ばんだ頬とまだ感触が残る唇が確かに現実だったことを訴えている。もう隠れんぼなんてどうでもいいや、帰ろ、とくのたま長屋に帰ると、明け透けに物を言う性分である同室の友人が私の顔をじっと見た後「何そのやらしい顔。事後?」と聞いてきたので、恥ずかしさで消えたくなるのだった。




. top