昔から、自分の食指が動かない物事に対しては、めっぽう面倒に感じてしまう性質たちである。明け透けな言い方をしてしまえば、興味が無いことに関しては死ぬほどどうでもいい。とくに自分の身内――同級生や可愛い後輩――に関わりがない事象には、まったくと言っていいほど関心がない。六年の先輩方が実習で問題に巻き込まれた、だの、知りもしない生徒同士が駆け落ちをした、だの、学園を駆け巡るそういった話題に対しても、へぇそりゃあ結構、くらいの感情しか持ち得なかった。

 当然今回の天女騒動──名前のことに関しても、もっぱら興味の対象外だった。敢えて過去形を用いるのは、今はそうではないからである。もちろん、彼女がこの学園にやってきた時点では、至極どうでもいい存在だった。彼女に関わるすべての人間が、まるで妖術にでもかかったかのようにどろりとした瞳で天女天女と彼女を信仰し始めたときは、気を狂わせる才に長けた女だなと感心し、学園からの命が下れば手にかける用意はあったが、実際自ら進んで関わりを持とうとは露ほども思わなかった。
 しかし、蝶よ花よと愛でられている張本人の名前がその状況に若干引いており、更には周りの人間に対する“お前ら気色悪いぞ”という感情を隠せていないことに気づいたとき、とてつもなく好奇心がくすぐられた。つまり気に入ったのだ。

「今日も一人か。本当に随分と待遇が悪くなったな」

 とても各学年が『天女を我が学年長屋に!』と争っていたとは思えないほど、生徒たちの生活区域から離れた場所で名前は暮らしている。かつては学園長専用の茶室であったが、老朽化によって今は使われていないこの小さな離れは、名前の部屋を六年生長屋から移す際、長々と話し合った末にやっと思い出されたほど存在感の無い場所であった。
 名前は足を伸ばして座りながら、図書室で借りたらしい低学年用の書物を読んでいたようで、足を踏み入れた私に目を丸くして驚きながらも慌てて佇まいを正す。迂闊に学園内を彷徨くわけにもいかず時間を持て余しているのだろう、昼前だと言うのに本日与えられた雑用という名の業務は終わっているようだった。

「鉢屋くん」
「少し前なら、一人の時間なんて片時も作れないほど連れ回されていただろう」
「ああ、みんな術が解けたように近寄って来なくなっちゃったね」
「今までが奇妙だったんだ。部外者のお前に心を許してよくもあれだけでれでれと……忍者の卵が聞いて呆れる」
「そうだね、私もちょっと怖いなあと思ってたし」
「……“ちょっと”、ねえ」

 それを言うなら“だいぶ気持ち悪いと思ってたし”だろう。
 見ず知らずの男たちに囲まれてちやほやと扱われることに対して、名前は嫌悪感を隠しきれていなかった。そりゃあそうだと思う。私がそんな状況に置かれたらたまったもんじゃない。一時はあれほど皆に取り合われていた名前だったが、今や望んで近づく生徒は私くらいだ。

「けれども、お前は何一つ変わっちゃいないのに、なぜそんなに嫌われたんだ?」
「知らないよ、そんなのこっちが聞きたいです」
「ふふん、人の心を操った代償か」
「別に操ってなんかないよ。鉢屋くんまでそういうこと言うの」

 つい意地悪を言ってみると、名前は口をムッとさせて心外だと非難した。一目見た瞬間から異常なほど名前に執着していた生徒や職員たちは、ある日突然夢から醒めたように冷静になり、これまでの自分のみっともない行動はすべて名前の不思議な力の仕業だと結論付け、彼女を人の心を操る厄介者として遠ざけた。
 学園から追放しようにも彼女は多くを知りすぎているため――自分たちが名前の気を引くため、こぞって学園の情報を教えていたのだが――扱いに困り、名前はこの学園に半ば放置されているのである。

「だがまあ、敵の間諜と疑われるよりは、人間を誑かす天女ということにしておいたほうがお前のためだぞ」
「……鉢屋くんって本当は優しいよね」
「私はいつだってお前に優しいさ」

 そう言ってみせると名前はへへ、と嬉しそうに笑った。まったく呑気な女だ。

「鉢屋くん、お茶飲む?」
「飲んでやらんこともない」

 子どものような私の返事に名前はなんでそんな上からなの、と笑い、炉に火を起こす準備を始める。この埃っぽい茶室にほぼ軟禁されている名前は、毎日言い渡される雑務以外にやることといえば、書物を読むかこの辺りを散歩することくらいらしい。この間の休日は、東から西へ沈む太陽を眺めて時間を潰していた、と老人みたいなことを言っていた名前がさすがに不憫だったので、用具委員会からこっそりと資材を調達して、使われておらず傷んでいた茶室の炉を三日ほどかけて新品同様に拵えてやった。
 私の手先の器用さを持ってすればなんてことなかったのだが、すごい、鉢屋くんって何者なの、と感動して喜ぶ名前を見ると満更でもない気になった。この部屋に眠っていた茶器を掘り出して、一通りの作法を教えてやると、名前は新しい遊びを見つけた子どものように毎日飽きもせず茶を淹れている。結局やることが老人めいているのは変わらなかった。
 お茶ぐらい食堂に行けばいくらでも飲めるだろう、と呆れると、これが唯一の趣味だから、と楽しそうに言っていた。

「どうぞ、お粗末ですが」
「…不味い」
「えぇっ」
「だがまあ最初の頃よりは随分と上達しているんじゃないか。薄すぎて飲めたものじゃなかったからな」
「おっ、鉢屋くんが褒めてくれるの初めてだね」
「いまのどこが褒められたように聞こえたんだ」

 こんな能天気な女が天女であるわけがない。だからと言って、諜報を目的に学園に潜り込んだ敵国の忍者だとも到底思えない。
 では囲炉裏の使い方ひとつ知らないこの女は何者かというと、五百年後の未来から来ましただなんて突拍子もないことを宣っている。何が本当にせよ、今に害をなす存在とはみなされていないのだから、こうして学園側も殺しはせずに放置しているのだ。

「いつかプロ級になったら、団子でも仕入れて、ここで茶屋を開こうかな」
「そりゃあいいが、今のお前の嫌われようからすると、終日閑古鳥が鳴くだけだろうな」

 以前のように誰彼からも理由無く一方的に好かれるよりは、嫌われた方がまだましだと考えているらしい名前は、私からのひどい言われようにも落ち込むどころか「確かにねえ」と納得した様子を見せた。と思えば、

「じゃあ鉢屋くんも働く?」

 と素頓狂な誘いをしてきたので、呆れた表情を作って名前の顔を見つめる。まったく人の毒気を抜くことに関しては一年は組の良い子たちを上回る才能を持った女だ。

「誰がお前の元で働くか」
「給金弾むよ、儲けの三割くらいでどう?」

 いよいよ冗談めいてきたので無視をすることにした。人の厚意で作ってやった茶室炉で商売をひらかれてたまるか。後にも先にも、名前の茶を飲むのは私だけで十分である。



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