「失礼しまー…あれ?ノンノンは?」
勘ちゃんを探しに訪れた保健室には、いつもいるはずの養護教諭がおらず、その代わりに知らない男子生徒が戸棚の整理をしていた。
私の方にぱっと顔を向けたその生徒と目が合ったので、独り言のつもりだった疑問がまるで彼に問いかけたようになってしまった。
「ノンノン?ああ、野々田先生は今日はお休みでいないよ」
「……あの、じゃあ、勘ちゃんいますか?」
もともとノンノンではなく勘ちゃんに用があったのでそう聞いてみたが、この人は勘ちゃんを知らないようで、不思議そうに首を傾げる。
スリッパの色が緑なのでどうやら先輩らしい。それじゃあ知らないのも仕方ないか。
先輩がごめんねと謝ると私はうーんと唇に指を当てながら、じゃあ勘ちゃんはどこにいるんだろうと考えた。そんな私を見て先輩は口を開く。
「やっぱり、君、面白いよね」
「そうかな、でも三郎は私の渾身のギャグを笑ってくれないんだけど……」
「三郎?ああ、鉢屋のことかな」
三郎のことは知ってるんだ。知らないはずの先輩と共通の話題を持てたことが嬉しくなって、先輩が作業しているスペースに近づいた。
三郎の知り合い、というだけで親近感を持てる。この人自身にも興味が湧いてくるから不思議だ。
先輩の顔を改めて見つめると、先輩はにっこりと笑顔を作った。
「えっと、先輩、は、三郎とは」
「僕は善法寺だよ、善法寺伊作、ね?」
「いさく…先輩」
どういう関係なのかを聞こうとしたら名を名乗られた。
その言い方に少しだけ圧があったので、忘れないようにしなきゃ、と胸ポケットからボールペンを取り出して、左手の手の甲に書き込む。
自分の記憶力の悪さを自覚しているので、忘れちゃいけないことがある時はこうすることにしている。
「イタリアの伊に作るって漢字ね」
「イタリア…作る…イ作先輩」
「じゃなくて…」
先輩はふふっと笑うと、私の手からペンを奪うと、"イ"の字の横のスペースに"尹"を無理やり書き足す。
イタリアって片仮名じゃなかったっけ、とも思ったが、きっと一年先輩で頭良さそうな雰囲気を持っている伊作先輩の言ってることは正しいだろうから何も言わないでおいた。
それよりも、伊作先輩が長くて画数の多い名字も書き足しているせいで、ペン先が微妙な力で肌の上を動いていてムズムズする。
「っ、ふふっ、くすぐったい」
「えっ…あはは、ごめんごめん」
すぐ謝るあたりやっぱり先輩は良い人、なんて考えていたら、漢字を書き終えたのか伊作先輩は私の手首を掴んだままじっと私を見つめてきた。
猫みたいなつり目をした先輩の真っ直ぐな視線に、私も目が離せずに見つめていると、先輩の顔が私に近づいてくる。
「名字名前ちゃん」
あれどうして先輩は私の名前を知ってるんだろう、と思った時には先輩の唇が私のそれにくっつきそうなくらい、先輩の顔が近くにあった。
あ、これはまずいかもしれない。
私が顔を背けるのと、誰かに制服の襟を掴まれて後ろに引っ張られるのはほぼ同時のことだった。
「…何してんだよ、」
「三郎」
びっくりして振り向くと、ちょっと怒ってる三郎が立っていた。これもこれでまずいかもしれない。
なぜか息切れしている三郎はそのまま私の手を先輩から取って自分の右手と繋ぎ直すと、伊作先輩を睨んだ。
「やあ鉢屋」
「…名前が世話になりました」
「おや、まだ何もしてないよ」
伊作先輩の穏やかなトーンの返事に、三郎はさらに視線を鋭くすると、私の手を引いたまま保健室のベッドに近づいて素早くカーテンを開ける。
そこにはスマホを片手に持った勘ちゃんが寝っ転がっていて、私を見ると呑気にようと手をあげた。
「いたの!?なんで最初呼んだ時に返事しないかなぁ!」
ずんずんとベッドに近づいてぼこすかと勘ちゃんの腹を叩くと、勘ちゃんはタンマタンマと言いながら今度は自分を睨んでいる三郎を見てニヤりと目を細めた。
「早かったな」
「お前な」
「えっ何が?どういうこと」
わけがわからず私が二人の顔を交互に見ると、勘ちゃんはこれこれと言いながら私にスマホの画面を見せてくる。
そこは三郎宛ての『名前が保健室で男と二人きり!ピンチ!』というメッセージが表示されており、三郎が息切れしてる原因がなんとなくわかった気がした。
「教室からここまで30秒で来るなんてさすがだなあ」
「あれ?勘ちゃんってわりと最低だよね」
私は呆れながらも、三郎と繋いでない方の手で勘ちゃんの体をうんしょと引っ張り起こしてベッドから降りさせる。
三人手を繋いだまま保健室を出ようとすると、伊作先輩がじゃあねと言って手を振ってきた。
両方の手が塞がっているので私はお邪魔しましたとだけ言うと、再び先輩を睨んでいる三郎を勘ちゃんと二人で引っ張って保健室をあとにした。
「もー三郎そんな怖い顔すんなよー」
「さらに人相悪くなっちゃうよ」
「…名前、ああいうときはどうしろって勘右衛門に言われてた?」
「きんたま蹴ってでも逃げる!」
私が答えると勘ちゃんが大正解!と言って頭を撫でてくれる。
わーいと言いながらバンザイをすると自動的に二人の手もあがって、なんだかめでたい感じになった。
「お腹空いた」
「あ、今俺んちなんもないよ」
「えぇじゃあコンビニ寄ってこうよ」
「お前、どうせ俺らにたかる気だろ」
ずばり言い当てられたのでとりあえずワハハと笑って誤魔化すと、三郎も勘ちゃんもつられて笑ったので私の勝ちである。新発売のチョコプリンパフェを買ってもらおう。
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