可侵的領域


※異世界トリップ(行き来可)主人公。
※設定としては連載の主人公を想定していますが、連載を読まなくても支障なし。




そろりそろり。
エナガは音を立てないよう忍び足で対象に近づく。
一歩、また一歩、冷たい石畳を踏みしめ行く先はーーー。

「わっ……なーんて、驚いた?」
「相変わらず懲りないのだな、君は」

耳元で囁いたにもかかわらず、当の対象は微動だにしない。
そんな彼に、エナガは落胆する素振りも見せず破顔した。

「そっちこそ、相変わらず驚きがないんだね。まあ一般人に隙を衝かれたら聖闘士の名が廃るか」
「時空を超えるような人間が一般人とは、よく言ったものだな」
「あちゃー、そこ衝くのかー。手厳しいなあ」

言葉とは裏腹に、エナガは至極楽しげに笑いながら彼の目の前にしゃがみ込む。
寒さの厳しくなった今、何も敷かずに腰を下ろすのは、流石に辛いものがある。
防寒対策万全なエナガと対象的なのが彼である。
決して厚くない法衣一つ、下に何も敷くことなく石畳の上で座禅を組んでいるのだから。

「寒くない?」
「暑くはないが」
「天邪鬼……。はい、迷走は一旦止めて、ティータイムにしない?」
「はて、迷走しているのは君ではないかね?」
「まさか。私、方向音痴じゃないから」
「ふむ、そうきたか」
「はいはい、平行線になるから問答はここまで。ほら、よっこらしょって立つ!」
「よっ…こ…?」
「ああもう、そこに食いつかない!いいから四の五の言わずに部屋に戻る!」

エナガは勢いのままアスミタの腕を引っ張る。
問答無用とばかりのその行動に、アスミタはやれやれと溜息をつくが、不思議とその口角は僅かに上がったまま。
なおも重い腰を上げないアスミタに、エナガは引き上げる手を離すと、再び彼の目の前に立て膝をついたかと思えば。

むにっ……。

「……何の真似だね?」
「駄々っ子のアスミタくんへのお仕置きだね」

悪びれもせずしれっと返すエナガに、そうきたか、と、アスミタは内心感心した。
その間数秒のことではあるが、その間を何か感じ取ったらしいエナガの眉間に少しばかり皺が寄る。
と、同時に抓んだアスミタの両頬への力を更に加えていく。

「きひはもうふこひひんぼふおまなんあほおがひひ」
「何言っているのか分かりませーん」
「まっはく、せはほやへう」
「ふふっ、良い気味♪」

子供じみた悪戯が成功して気分が良くなったエナガは、頬を抓むのを止めると、今度は頬を包み込むように捕らえた。
こつん、と、音がしないまでもそれなりの勢いで額と額が密着する。

「痛い……」
「馬鹿なこと……」
「アスミタが石頭だったなんて、やられた」
「自業自得。きみはいつになったら懲りるのだね?」
「そんなこと言うけどさ、止めない時点で同罪だからね、乙女座さん」
「…………」

ムムッとアスミタの眉間に僅かな皺が寄る。
接触した額からそれを直に感じて、エナガはほくそ笑む。
こうやって誰かと額を合わせるのは、思えば子どもの頃以来だろうか。
下手をしたら子どもの時でさえおいそれとしないような行動を、不思議と彼となら気軽に出来るのは、果たして良いのか悪いのか。
ともあれ不快ではないのだから悪いことではないのだろう。
では、アスミタはどうなのだろうか。
初見の印象からして人を寄せ付けない雰囲気を醸し出している時点で、どうみてもパーソナルスペースは狭くはない。
そして、不快なことを否と言えずに黙り込むような正確でもない。
ふと脳裏に過った疑問がエナガの中でじわりと広がっていく中、当のアスミタは「ふむ…」と、何か得心がいったとばかりに声を漏らす。
何か良からぬことを企んでいるのでは、と、エナガが成り行きで閉じていた目を開こうとした刹那。
触れていた額が僅かにずれるのを感じると同時に、ふわりと唇に何かが触れる感触が。
時にしてみれば一瞬の短さだったが、確かに感じたそれに、エナガの思考は停止する。

「以前君は言ったな。『傍にいて居心地の良い相手が居れば幸せだ』と」
「……は?」

何を言い出すかと思えば、エナガでさえ忘れていた言葉をアスミタは口にした。
ぽかんと自然に開いた口を閉じるという行為を忘れたまま、アスミタを凝視するエナガに、彼はさして気にすることもなく、一人不敵に笑うと、

「確かに今、私は幸せだ」

迷うことなく強い意思を持ってそう断言したのだった。



【完】






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