想い想われ




視線の先でふわふわと揺れる黒髪に目をやっていると、髪の主より独り言が不意に零された。


「いい加減切ろうかな。」
「何をだい?」
「髪。今まで余裕がなかったからそのままにしていたけど、流石に鬱陶しくなって。」


そう言って彼女はくるりと一つに束ねた髪を左手で弄って、嘆息した。
言葉通り余程鬱陶しいと感じているのだろう。
最近の彼女の髪型といえば、常に一つに束ねているだけという簡単なものだった。
束ねる位置の高低こそあれど、髪を下した姿を見たのはいつ頃だったか。


「鶴丸。」
「ん、なんだい?」
「視線じゃなくて手を動かして。」
「そりゃすまない。きみの髪に見惚れていたんでな。」
「お世辞はいいから。ほら、近侍さん。」
「ははっ、手厳しいな。」


この時はただの世間話に過ぎなかった。
少なくとも鶴丸はそうとらえていた。




事の発端は何気ない夕餉時の会話である。
これまた世間話として、鶴丸は何気なく先程の話題を口にした。


「そう言えば主が髪を切りたいと言っていたな。」
「え、嘘!」
「嘘をついてどうするんだ。前々から思っていたらしいぜ。」
「もう、主さんったらボクに内緒でそんなこと…させないよ。」
「いやいや、俺に言われてもだな。」


妙に食いついてきたのは、たまたま近くに座った乱藤四郎だった。
彼はわなわなと手にした箸を片手で握りしめ、周囲に熱く宣言した。
断髪断固阻止に燃える乱に呼応するように、これまた近くに座る加州も云々と首を縦に振っている。
この時点で流していれば良かったのだが、つい口から放った要らぬ一言により、鶴丸は彼らの巻き添えを食らう破目になる。


「髪を切ることくらい彼女の自由だろう。」
「「駄目!」」
「おいおい、彼女の霊力なら多少切るくらいで影響はないだろう。」
「駄目なものは駄目なの。」
「折角伸びたんだよ。僕と同じくらいの長さまで伸びたら一緒にお洒落しようって決めてたのに。」
「あー、ずるい。それ俺の科白なんだけどー。」
「当人の意思は丸っと無視なんだな…。」
「だって、絶対伸ばしてデコったら可愛くなるのに、勿体無いじゃん。」
「そうそう、もーなんで分からないかなー。」


両側から聞こえる(何故か矛先が己という)抗議に、鶴丸は嘆息しつつ残る夕餉に箸を進める。
同時に先程眺めていた黒髪へと思いを馳せた。
一つにまとめあげられている状態しか見ていないため、実際どれほどの長さなのかは分からないが、恐らく肩口より少し伸びたくらいだろう。
中途半端な長さ故、余計に煩わしく感じているのは、執務の息抜きごとに毛先を弄る仕草を見て何となく察せられた。
だから何らかの支障がでないのであれば、彼女の好きにすればいいと思ったのだが、どうやらこの二振りは否と言う。

鶴丸は逃げるようにさっさと食事を平らげると、そのまま自室へと戻る…のではなく、再び執務室へと向かった。
本日の仕事が終わっていないという訳ではないものの、如何せん仕事そのものの量が膨大なのだ。
余裕がある時に次の仕事に手をつけたいという審神者の要望により、これから延長戦が開始となる。

とはいえ、審神者からは「後は自分でやるから手伝わなくて構わない。」というお達しを既に頂いている。
放って置けば一人で詰まれた仕事を片付けてしまうのだから、勤務監視役として目をつけていないといけないという必要もない。
ただ問題があるとすれば、むしろその勤勉な勤務態度だろう。

なまじ仕事が出来なければ政府もおいそれと気軽に任務を回してこないのだが、如何せんこの審神者、仕事ができる。
出来る故に回ってくる仕事量は徐々に増えていき、消化しても消化しても終わらないというのが現状である。


「主、失礼するぜ。」
「どうぞ。」


障子越しに声をかけると、あっさり入室の許可は下りた。
どうやら風呂上りだったようで、濡れたままの髪はいつものように束ねられておらず、水分を含んで幾分か重みを増している。
夜着が濡れないように肩にはバスタオルがかかったまま、片手にドライヤー。
どう見ても今から髪を乾かす手前といった具合である。
そのような状態で自分を室内へ招き入れるのは如何なものか、と、鶴丸は思ったものの、ここでそれを問答しても今の彼女が聞く耳を持たないのは容易に想像できた。


「忘れ物?」


やはり鶴丸がここに戻ってきた理由を分かっていないのか、一言そう尋ねると鶴丸の答えを聞く前に手元のドライヤーのスイッチをオンにした。
耳元で噴き出す轟音により鶴丸の声はかき消される。


「きみはどうしてこう…いやいや困った主殿だ。」
「ん、忘れ物じゃないの?」


審神者の意識は既に机に置かれた鏡へと向けられている。
バサバサと乱雑に髪をかき乱すのを暫く眺めていた後、鶴丸は小さく息を吐いてから、徐に彼女の背後へ回ると有無を言わさぬ速さでその手からドライヤーを奪い取る。


「こら、何をするつもり?」
「ほら、前を向いてくれないかい。」
「………。」


悪戯厳禁だとばかりに一睨みされ、そんなに自分は信用ないのかと肩を竦めて意図はないと示した。
なおも不満げな目つきのまま、審神者はくるりと前を向く。
盗られたものを奪い返そうとしないのは、彼女なりに鶴丸の意図を読み取ってのことだろう。
無言の許可を受け、鶴丸はそっと目の前の黒髪へと手を伸ばす。
思っていたとおり細くさらりと指と指の間を通り抜ける感触が癖になりそうだった。


「遊んでいるなら返して。風邪を引いたら洒落にならないから。」
「そうだったな。すまない。」


――と言っても手にしたものを返すのではなく、先程彼女がしていたように手を動かしていく。
想像していたとおり髪は肩口より少しばかり伸びた長さだった。
静かな室内にドライヤーの送風音だけが響きわたる。

審神者は相変わらず何も言わずに全面的に任せてくれている。
小さなことであるが、鶴丸にとって心地よかった。
頼られるということはいいものだ。
もっと頼ってほしいとぼやく仲間の気持ちがよく分かる。

折角彼女の刀として権限したのに、頼られないのは寂しいし、悔しい。
もちろん本来の目的である時間素行軍との戦いにおいて、この審神者は十分自分たちを頼りにしている。
ただ、人の身を得た今、それだけでは物足りないと思うようになったモノたちもいた。
己自身を振るって敵を葬るだけではなく、この手で文字どおり主を支えることも、この声で励ますこともできる。
そして、時にはその心に寄り添うことも――。

そこまで考えていたところで、ふと審神者からぼそりと声が漏れる。


「やっぱり、してもらえるってのはいいなぁ。」
「世話されるのは好きかい?」
「まあね。三日月ほどではないけど、嫌いな人はほとんどいないと思う。」
「そうか。好きか。それならこれからは俺がきみの世話役を買って出よう。」
「は?」


髪が乾いたところでドライヤーを切る。
同時にそれまで大人しく座っていた審神者が鶴丸へと振り返った。


「また新手の驚愕(びっくり)大作戦?」
「まさか。俺は大いに真面目だぜ。きみは一人で少し煮詰めすぎる気がある。世話役が必要だと常々思っていたところだ。」
「気持ちはありがたいけど、嫌な予感しかしない。」
「気のせいに決まっているだろう。きみ、俺をなんだと思っているんだい?」
「通称びっくり爺…らしいけど。」
「それは他所の本丸の俺だろう。きみから見た俺を知りたいんだ。」
「落とし穴掘らないだけマシ……ごめんなさい。冗談だよ。」
「きみ、俺を弄んで楽しいかい?」
「どこぞの青江みたいなことを言わないで。頼りになってる。そうでなければ長いこと近侍を任せるわけないでしょ。」
「それはどうも。」
「不満そうだね。」
「不満はないぜ。ただなあ…それならもう少し頼ってくれてもとは思うところだな。」
「結局不満じゃない。大体頼れだなんてそんなこと言わなかったじゃ………」
「主?」


言いかけたところで何か思うことでもあるのか審神者は押し黙る。
数秒後、憮然とした表情で一人審神者は口を開く。


「言う前に動いていたか。鶴丸は。」
「流石主殿、解ってるな。」
「悔しいけど、本当助かってるからね。」
「そりゃ良かった。これで要らぬ世話だと言われたら、今度はどうやってきみを支えようか考えあぐねるところだった。」
「現に助けられているのを突っぱねるほど子どもじゃないよ。まあ鶴丸たちにとっては子どもに見えるだろうけど。」
「そんなことはないさ。」


なおもむくれてそっぽを向いている審神者の髪を撫でてやれば、ほれみたことかとばかりにジト目で鶴丸を見上げてきた。
それが一層堪らなくて、鶴丸は自ら整えてやった彼女の髪をわしゃわしゃと撫でついでに乱した。
すると益々審神者はむくれて鶴丸の手をぺしゃりと払った。


「どうせ子どもですよ。」
「ほう、それなら大人扱いをご所望かい?」
「だからなんでそう誤解を受けるような言葉選びをするかな?」
「心外だな。俺はあくまできみを幼子のように撫でまわしたり甘やかしたりをしないという意味で言っただけだぜ。」
「どうだか。」
「ではきみの言う誤解とやらを教えてもらおうか。」
「………。」
「邪推したきみが悪い。」
「鶴丸は意地が悪い。」
「ほめ言葉として受け取っておくぜ。それで、きみはどうしたい?」
「めんどくさいから、もう子どもでいい。」
「では、可愛い子はもっと甘えるべきだ。というわけで、だ。俺も延長戦に付き合おう。」
「そうきたか。というか、元からそのつもりだったでしょ。」
「ああ、そういうことだ。」


ニッと笑みを浮かべれば、審神者は悔しそうに口を尖らせつつも、机の鏡を片付ける。
畳に避けていた書類を再び机にのせるると、左手で机をトントンと軽く叩く。
それを合図に鶴丸もまた彼女の隣に腰を落ち着けた。



*****



数日後。
いつものように起床して朝食を摂り、さあ昨日の仕事の続きと審神者が意気込んでいた折のこと。


「主、入るぜ。」


声とともに執務室へと鶴丸が入ってきた。
近侍なのだから仕事の補佐で彼がここにくるのは何もおかしいことではない。
但し第一部隊が出陣する場合は話が違う。
そして、今日、彼は第一部隊の隊長として出陣予定のはず。
何か問題でもあったのだろうかと姿勢を正して鶴丸に向き直るも、どうやらそうした類の内容ではないらしい。
極めつけは鶴丸の笑顔。
面白いものを見つけた子どものように、高揚感を抑えることなく全面に出したこの笑顔…心なしか嫌な予感がする。
先程とは別の意味で審神者は身構えた。

そんな審神者の様子を知ってか知らずか、鶴丸は喜々として彼女へ近づいた。
よくよく彼を見るとその両腕は後方へと隠されているではないか。
何やら後ろに隠し持っていることを察知した審神者は、右手を突き出し近づく鶴丸を制止した。


「ストップ。止まって。」
「おいおい、この距離じゃ渡すものも渡せないじゃないか。」
「やっぱり。隠しているものを見せなさい。」
「まったく…折角きみを驚かせようとしたんだがなあ。これでは面白みがないし、きみも驚き半減じゃないか。」
「今日出陣のあなたがここに来た時点で、何事かと心臓に悪い驚きを頂戴しましたが?」
「ああ、それはすまなかった。きみに要らん心配をかけたのは想定外だった。」
「それで、早く隠し持っているブツを出して。」
「きみなあ…。そういう言葉遣いをするから歌仙が嘆くんだぜ。」
「私だってTPOを弁えてますよ。」
「やれやれ、ああ言えばこう言うか。仕方ない。ほら、受け取ってくれ。」


鶴丸は意外にも抵抗せずに隠していた物を審神者に差し出した。
審神者は受け取る前に遠目でそれが何であるかを確認する。
一見したところ、綺麗な薄紅色の包装紙のようだ。
中身は開けてみないと分からないが、受け取れということは自分へということなのだろう。
漸く納得した審神者は、恐る恐る鶴丸の手からそれを受け取った。
丁寧に包装された紙を破らないよう細心の注意を払って開くと、そこにあったのは――。


「…簪?」
「ああ、折角髪が伸びたんだ。」
「私、伸ばしたいんじゃなくて切りたいと言ったはずだけど。」
「切るのはいつでも切れるさ。それまで楽しむのもいいんじゃないか。」
「……それは難しいかもね。」
「何故だい?」


渡された1本の玉簪を厳しい目で眺めながら、審神者は言った。
彼女の反応に鶴丸は納得できないと制止されていた距離を詰める。

確かに髪を切りたいと言っていた。
その時は鶴丸もさして気にも留めなかったのだが、彼女の髪を乾かしているうちにふと考えが変わったのだ。
そう、もったいない、と。

だからこうして髪を切らない理由を作ってしまえばいいと思ったのだが、少々軽率だったらしい。
眉を寄せ手に取った簪を凝視する審神者を見るに、このままでは即返品と言い出しかねない。
受け取り拒否となっては困ると鶴丸が口を開こうとした矢先のこと――。


「私、不器用だから簪は難易度が高い。」
「…………そっちなのか。」


成程、それなら渋い顔をするのも頷ける。
けれども、このままだと余計彼女は髪を伸ばす理由がなくなる。

ならば、また作ればいい。
彼女が髪を切らないという新たな理由を。


「ではきみに一つ提案がある。」
「結えるように練習しろ、という提案なら却下するけど?」
「ああ、きみはしなくていい。するのは…俺だ!」
「は?」


「何言ってんだ、こいつ。」と、訝しむ様子を隠さない審神者に、鶴丸は名案とばかりに頷いた。
一人納得する鶴丸に、審神者は呆れつつ、これはもう言い出したら聞かない流れだと頭を抱えた。
男士は審神者に似る…とは、果たして誰が言ったものだろうか。
ズキズキと精神的疲労を訴える頭痛を堪え、審神者は審神者で腹を括った。
伸ばすことは多大な時間を要するが、切るのは何時でも切れる。
心の中で嘆息すると、審神者はキラキラと目を輝かせて返事を待つ一振りに「やれるものならやってみろ。」と投げやりな了承をするのだった。
主からの了承を得た鶴丸は、その日から宣言どおり彼女の髪結い役となる。



そして、時はあれよあれよと進むもので、髪結い宣言からかれこれ二週間が経っていた。
悲しいかな、頑固で不器用な主に似たらしく、宣言当日の出来は…お世辞にも巧いとは言えないものだった。
けれども、そこで終わらないのが彼である。
記憶のみ頼りに結った初日の失敗から学んだ彼は、端末にて手本を探し出し、見様見真似で結い始めた。
元より要領は良いためか、コツをつかんでからの上達は早いもので、自ら送った簪の結い方を三日経たらずで多様な結い方を習得していた。
これで満足するかと審神者が思ったのも束の間、次の日、彼はまた別の贈り物を彼女へ手渡してきたではないか。
但し、それで審神者の髪を結うのはやはり審神者ではなく鶴丸である。

近侍であろうがなかろうが、毎朝律儀に審神者の髪を結いにやって来る彼に、審神者は呆れつつも悪くはないと思っていた。
以前鶴丸に言ったとおり、世話されるのは悪い気分ではない。
ただ、飽きるどころか趣味と化してやしないかと、審神者が不安に思うのもまた事実であった。

鶴丸が彼女に贈ったものは、何も先程述べた二つだけではない。
更に言うなら、ここ最近に至っては簪という枠組みを飛び越えて髪飾り全般に派生する始末である。
ネタの出所はというと、やはりというか何というか、乱や加州らしい。
机の上にずらりと並んだ多種多様な髪飾りを見て、審神者は一人思案に耽る。

自分の髪で結えない代わりに審神者の髪で結っているのではないか。
このまま女士力が上がったら、ただでさえないに等しい審神者の女子力を軽く上回るのではないか。
いやいやそれより何かに目覚めてしまっていたら…。

等々、思うところは山ほどあるものの、それを当刀に向かって言う勇気はさらさらなかった。
とはいえ、流石に某○○嬢盛りをされた時には、お前は主をどうしたいんだと危うく口から出かけたが。
鶴丸自身も趣味ではなかったのか、「これはきみには似合わなかったな。」と一人批評兼反省会を開いていた。


「今日は何を持ってくるんだか…。」
「え、水羊羹だけど?」
「ん?」


つい漏れ出た独り言を拾ったのは、本日の近侍である加州清光だった。
彼の持つ盆に視線をやれば、言葉どおり二人分の水羊羹と緑茶がある。
そう言えば茶菓子の時間にするところだったと、審神者はふと思い出す。
集中の切れた思考でぼんやりとしていたところ、ふとこちらを眺める視線に気が付いた。


「清光?」
「ねえ主、水羊羹嫌いだった?」
「まさか。好きだよ。」
「じゃあさ、何を期待してたの?」
「え、別に何も…というより清光が私の苦手なものを持ってくるなんて思っていないよ。」
「それは当然じゃん。って、そうじゃなくて、誰が何を持ってきてくると思ったの?」
「あ、あー…うん。」
「気になるなら万屋行ってみたら?まだ帰ってきていないからいると思うけど。」
「いや、流石に仕事放棄して遊びに行くわけにはいかないでしょ。」
「どうせこれからもう暫くは休むんだし、いいじゃん、たまには。」
「たまにはねえ…。」
「そ、たまにはいいじゃん。もちろん主一人で行かせるわけにはいかないから、護衛として俺も行くよ。ね?」


にこにこと上機嫌で小首を傾げる愛らしい近侍に、審神者が否と首を振ることはなかった。



*****



「最初は切るのに賛成してたのにねー。」


隣でぼそりと呟かれた言葉は、恐らく独り言ではない。
可憐な見目をここぞとばかりに活用し、上目遣いで鶴丸を見る彼、こと、乱藤四郎。
主である審神者ならここですんなり絆されるが、残念ながら鶴丸には効くことはなかった。
勿論彼とてそれは十分理解した上での行動である。
要するに、揶揄しているわけだ。


「気が変わったのさ。なに、君たちにとっても悪い話じゃないだろう?」
「ふふっ、そうだねー。でもまさか本当にあげるなんて思わなかったよ。簪。ボクも贈ろうかなー。あ、櫛の方がいいかな?」


ちらり、と、無邪気を装った探りの視線が鶴丸に向けられる。
どうやらこの短刀はこちらの心情の変化を察して楽しんでいるらしい。
全く困ったものだ。

実際、彼の読みどおりここ数週間で鶴丸の中である心境の変化があった。

簪を主へと贈った当初、然程意図してしたことではなかった。
他者からの好意を無下にできない彼女のことだから、それを贈られれば少なくとも一度は使おうとするだろう。
定期的にそれらを贈れば、髪を切る機会は自ずと遠のいていく。
当時の目的はただ単にそれだけだった。
故に目的が達成されるのであれば、彼女へ贈る相手は本来誰でも良いはずだった。
それが他の誰でもない自分でなければならないという独占欲が鶴丸の中で芽生えたのは、割と早い段階のことである。

ともあれ、自身の心の内における変化の兆しは前からあったのだ。
内に生まれた新たな感情の正体に気づくのは、些か苦労した。

刀剣男士は総じて己を顕現した審神者に好意的だ。
人の物として使われる元来の性質としてもだが、そもそも審神者の声に応じて付喪神として降りるのだから、彼らへの好意がないわけがない。
その段階からさらに主たる審神者にどういう思いを抱いていくのかは、各刀様々ではあるが。


「もー、鶴丸さんったら、ぼーっとしてないでよね。」
「いやぁ、すまんすまん。…ほら、これはどうだ?」
「まったくもうっ。ボクはあるじさんじゃないから知ーらないっ。それに、ボクはイイ子だから寄り道しないで真っ直ぐ帰るんだ。」


冷やかしはこれまでとばかりに、乱はくるりと踵を返すと「期待して待ってるからねー。」と鶴丸を残してあっさり万屋を後にした。


(やれやれ小さな嵐が去ったな。)


鶴丸の恋路を邪魔するわけでもなく、どちらかと言えば面白半分応援半分で眺めている彼の短刀の背を見送った後、鶴丸は再び店内の小物に目を向ける。
贈り続けてそろそろネタ切れになりかかっているのは、正直否めない。
審神者も審神者で毎度関心を示してくれているものの、鶴丸としてはもう少し最初のような驚きを彼女に与えたいと思っている。
あれでもないこれでもないと、云々唸っていた折、再び隣から声が聞こえた。
今度は先程の見目愛らしい短刀ではなく、この店の店員である女性だった。
ほぼ日参で通い詰めていたためか、彼女の顔には見覚えがある。
恐らく向こうもそうなのだろう。
数ある本丸に鶴丸国永はいるが、ここ数日、いや、毎日に近い頻度で通いつめているのだから、同一個体だと凡その検討がついたのかもしれない。


「お探しの物は見つからないなら、こちらは如何でしょうか?」


そう言って彼女は自身の前髪に止められた留め飾りを指で指す。
それは鶴丸がこれまで審神者へ渡してきたものよりも簡素だったが、不思議と何か心惹かれるものがあった。


「納得のいく既製品がなければ、自分で作るという手もありますよ。」
「これは君が作ったのか?」
「はい。と言っても私は不器用なので、これくらいしか作れませんが…。」
「いやいや、そんなことはないぜ。それに俺も器用な方じゃない。」
「まさか。鶴丸様は手先が器用そうに見えますが。」
「個体差ってやつだ。生憎俺は我が主殿に似てしまったらしい。」


参ったと口では言うものの、ちっとも困った素振りを見せず、どことなく嬉しそうに笑っている白い付喪神に、店員は思わず笑みをもらす。
きっと彼はそんな些細なことでさえも、主と共有できて嬉しいのだ、と。


「しかしそれにしてもよく出来ているもんだな。」
「残念ながら、褒めても値引きはできませんので。好きな御方へ贈る物に金銭を出し惜しむのは如何なものかと。」
「ははっ、確かに。」
「それでは初めての方にお勧めのものを紹介しますね。」
「ああ、よろしく頼―――。」


そう言いかけた矢先、視線は店の外を行くある人物を捉えた。
誰などと言わずもがな、当の話題の彼女、己が主である審神者である。
向こうもこちらの存在に気づいたらしいが、次の瞬間にはハッと我に返ると視線を余所へと向け、何事もなかったようにそのままこの店を素通りした。
彼女の隣を歩く加州清光が、足取りを速めた彼女に慌てて付いて行くのを横目で追いかけたところで、店員の声により鶴丸の意識は店の中へと戻された。


「どうかされましたか?」
「ああ、…いや、気にしないでくれ。」


焦ることはない。
彼女を呼び止めなくとも、帰る場所は同じなのだから。
そして、後で思いっきり彼女を驚かせてやればいい。
無意識的に彼女の跡を追い駆けようと店の外へと向けた足先を戻すと、本来の目的を達成するべく再び店内へと足を向けた。



*****



鶴丸が本丸に戻って来たのは、あれから小一時間のことである。
材料を選び、作り方を一通り聞いたのだから、それなりに時間がかかったというわけだが、どういうわけか主はまだ出先から帰っていないらしい。
先に帰路に就いていた乱が言うには、ちょっと寄るところがあるとだけ加州から連絡がきたということだった。
お互い入れ違いに出入りしたらしく、「もうちょっと長居すれば良かったなー。」と彼は一人ぼやいていた。
そういうわけで、彼女のいない間に早速例の物を作り上げてしまおうと、鶴丸は一人自室へと籠ったのだった。

そして、その数時間後、事件は起こる。
主の帰還を告げる声を聞くや、待ってましたとばかりに飛び出した乱藤四郎の悲鳴が本丸中に響き渡った。


「酷いよ。ボク、そんなの聞いてないよ!ねえ、なんで?」

じろり、と、乱が非難の視線を彼女の隣にいる加州へと向ける。
同志と思っていた彼の裏切りに、何か申し開きはないかと言外に問い詰めるも、加州が口を開く前に当の審神者が乱へと頭を下げた。


「ごめんね。帰るまで内緒にしてって、私が加州にお願いしたんだ。」
「……寄るところってそこだったの?」
「………もともと切るつもりだったから。勢いかな。」
「そんなところに勢い使わなくても良かったのになー。」
「この髪型は嫌い?」
「うーん、ボクは長い方が好み。でも、今のも似合ってるよ。」
「ありがとう。」


困ったように笑う審神者を見ると、乱も加州もそれ以上何も言えなかった。


「さて、気分転換もしたから夕食までもう一仕事してくるね。加州、付いてきてくれてありがとう。今日はもう休んでいいから。」
「どういたしまして。今度出かける時も連れってってよね。」
「分かった。それじゃあ後でね。」


背を向け執務室へと向かう審神者を見送った後、乱は再び口を開く。


「…で、雑貨屋さんに行くはずが、どうしてこうなったの?」
「そんなの、俺が聞きたいよ。主が急に立ち止まったかと思ったら、突然行先を変えたんだから。」
「お店の前で?」
「そう、店内をちらりと見ただけだけど、うちの鶴丸さんらしき男士がいたわけ。多分主も気づいてたはずなんだけど。」
「それがどうして美容院へ向かうことになるの?」
「分かんない。声かけても暫く振り返ってくれなくて、俺嫌われたのかもって超焦ったし。」
「もー、主さんが理由もなしに突然ボクらを嫌いになるわけないじゃん。それより、鶴丸さん!」


唐突に乱が彼の名を呼んだかと思うと、背後の廊下より鶴丸がひょっこりと現れた。


「お、御指名かい?」
「なんだ、帰ってたんだ。」
「ああ、君たちは遅かったな。一体どこに寄っていたんだ?」


どうやら審神者とは出くわさなかったらしい。
何ともなしに鶴丸がふった軽い世間話は、今の乱と加州にとってその問いかけはある意味地雷そのものであった。
二振りしてぐるりと体ごと鶴丸に向き直ったかと思えば、食って掛からんばかりの勢いで鶴丸へ詰め寄った。


「どこにって?あるじさんと会えば一目瞭然だよ!」
「なんで追いかけてくれなかったわけ!?鶴丸さん気づいてたよね!」
「そうだよ、なんで止めてくれなかったの!?鶴なのに!その一声無駄にしてどーするの!」
「おいおい、落ち着いてくれないか。一体主の身に何が起きたんだ?まさか怪我をしたとかじゃないよな?」
「「はあ゛ぁあ!!?」」
「…いや、すまん。俺が軽率だった。だから俺にも分かるように説明してくれ。」


いきなり二振りから凄まれ、降参とばかりに鶴丸は両掌を彼らへ向ける。
鶴丸からすれば、彼らに非難される心当たりは皆目見当がつかない。
ただ、彼らの言い分からするに、店の中と外とで審神者と出くわした際、彼女のもとへ行くべきだったらしい。

とはいえ、先程の乱の絶叫を除けば、本丸は至って平和である。
彼らの言動から察するに、審神者の身体に危険が及んだというような類ではないようだから、鶴丸にとっては益々訳が分からない。
鶴丸は彼らから事の成り行きを聞き取るべく、只管低姿勢を貫いて、興奮状態の二振りを宥めることに徹する破目になった。



*****



歩く度軋む床板に苛立ちを深めながら、審神者は執務室への障子に手をかけた。
気持ちを切り替えるためにバッサリ…とまではいかないものの、短く切った髪先に触れながら室内へと入る。
ここに来るまでの間、刀剣男士と出会う度に髪のことについて問いかけられた。
髪が多少短くなっただけのはずが、どうも目敏く気づかれては、挙句、失恋したのかだの、相手は誰だの、食いつかれるものだから、正直髪を切るのも儘ならないのかと頭を痛めた。
しかも当の散髪した理由が理由なだけに、問われても真実を告げることはできない。
なにせある意味失恋とも同義なのだから。


(ほんと、我ながら馬鹿だね。)


自身の気持ちに気付くのが遅すぎた。
偏にこれに尽きる。
ただ、無意識にそれを認めるのが怖かったのかもしれない。


(まあ気づいたところで何もならないわけだけど。)


緩慢な動作で腰を落とすと、審神者は机に並べられたままの髪飾りをぼんやりと眺めた。
これらが届くから散髪を延ばし延ばしにしてきた。
最初こそ呆れていたが、今となっては届けられる贈り物を楽しみにしている自分がいたし、もっと言えばそれを彼の手ずから結ってもらえること自体を喜んで受け入れている。
当たり前になりつつあるから、余計にその心地良い関係を望んでいた、あの光景を見るまでは。


『嫉妬とかよくないよ。鬼になっちゃうからね。』


脳裏にその言葉が過ぎった審神者は、胸で渦巻く感情を振り払うように首を振った。
それでも容易く霧散してくれるほどのものであれば、こうも苦労はしないし、そもそも衝動的に髪を切るなどということはしない。


「大人げないにも程があるのにな。」
「なら子どもは大人しく大人に甘えるもんだぜ。」
「!」


審神者が咄嗟に見上げると、障子に手をかけこちらを眺める鶴丸と目が合った。
何時もなら一声かけてから障子を開けるはずの彼だが、今日に限って何故…と、我に返った審神者は、そう言えば自分が障子を閉めていないことを思い至る。
思いの外動揺していたらしい。
後悔しても今更とはいえ、当事者である鶴丸がこの場にいる事実に、審神者の心は休まるどころかより一層混乱を極めていく。


「何か用?」
「つれないことを言わないでくれ。用がなきゃきみのところに行ったらダメなのかい?」
「少し仕事を進めたいから、先に食堂に行ってくれない?」
「まったく、きみは懲りないな。」
「その言葉そっくりそのまま返しても?」
「やれやれ、本当に頑固というか何というか。まあそれもまたきみらしくて好きだぜ。」
「…………。」


何気ないその一言に審神者は酷く心を乱された。
彼の言う好きと自分の好きは一致しないと頭では分かっていても、今言われると堪えるものがある。
審神者はぐっと口元を引き結び、気を抜くと溢れ出しそうになる諸々の感情を何とか抑え込んだ。
その間もこちらへと向けられる視線はなおも外れることはない。
審神者の沈黙から何かを感じ取ったのか、鶴丸もまた口を閉ざす。
自然と下へと向いていた審神者の視界には、鶴丸の姿は見えなかった。
―――が、それまで端に映っていた影がゆっくりと近づいてくるのを捉えた途端、審神者は息を呑んだ。
畳に映る手の影がそっと審神者へと近づいたかと思うと、彼女の髪に触れる。


「…切ったんだな。」
「元々切るつもりだったし、別に構わないでしょ。」
「確かにきみの自由だ。だが残念ではあるな。これじゃあ机にあるやつらは当分使ってやれそうにない。」
「鶴丸の趣味に付き合えなくなって悪いけど、良い機会だからもうこれ以上は要らな―――」


相変わらず視線を伏したまま言葉を言い切ろうとした審神者を制して、鶴丸は彼女の目の前にある物を差し出した。
色のパールが付いた銀色のバレッタ。
よくよく見ると、4つのパールのうち1つに金の色で鶴の紋が施されている。
細かい作業で筆が震えたのか、市販の機械で描かれたものでも、ましてや職人が描いたものでもなさそうだった。


「もしかして手作り…?」
「ご名答。初めてにしては良くできているだろ。」
「まあ…私よりかはマシなんだろうね。」
「最近髪がかかって仕事の邪魔だとぼやいていただろう?これなら髪の長さは関係ないぜ。」
「そうだけど…。」
「おっと、これだけでは不満そうだな。ならこれでどうだい?」


空いていた左手から差し出された物に、審神者は目を見開いて固まった。


「櫛…。」
「当然もれなく俺も付いて来るぜ。これならきみも大満足だろう?」
「…その残念なセールストークで一気に目が覚めた。」
「覚める必要があるほど驚いてくれたのは何よりだ。そしてきみはこれを贈られる意味を知っているな。」
「……、ドッキリにしては性質が悪い。」
「それは心外だぜ。それこそ性質の悪い冗談だ。」
「だってそんな感じじゃ全然なかったのに?」
「ああ、そりゃそうだ。最初の目的はきみの髪を切らせないためだからな。ただ、まあ…そうだな、単に自覚するのが遅かっただけという話なんだが。」
「勝手に自己完結しないでくれる?」
「なら答えをもらえるのかい?」
「………鶴丸は意地が悪い。」
「冗談にしようとしたきみが悪い。」


そう言い返されてしまっては、審神者はもう口を噤むしかない。
答えなど、とうに決まっている。
ただ、素直に答えるのがどうも悔しいのだ。


「なあ、きみ。嘘偽りのない答えをくれないかい?」
(ああ、もう本当に……)


目の前の刀に対する小憎らしさと愛おしさを吐き出すように、審神者は大きく息をつく。
いずれにしても、してやられてばかりは性に合わないのだ。


「…鶴丸。」


覚悟を決めて審神者は鶴丸へと視線を合わせたかと思うと、ニイッ…と、不敵な笑みをつくる。
これには鶴丸も予想外だったのか、虚をつかれたらしく、どうしたものかと動きを止めた。
その隙を見計らった審神者は、未だ彼の左右の手にある物たちを彼の手ごとそれぞれ手に取った。


「私、欲張りだから、貰うよ。一切合財全部。」
「――!ああ、本当にきみは…いつも驚かせてくれるな。」
「今更なしだなんて言わせないから。子どもだから聞き訳が悪いの。」
「ハハッ、そりゃいい答えだぜ!」
「満点の解答でしょ?」
「ああ、最高だ!」
「そうと決まったら……やるよ。」


審神者は宣言するなりくるりと執務机へと向き直る。
先程の雰囲気はどこへやら、彼女の思考は見事に仕事モードと言わんばかりに鶴丸へ視線を向けることなく、立ち上げた液晶へ意識を集中させた。


「なあきみ、そりゃないだろ…。」
「それはそれ。これはこれ。」
「やれやれ、俺の番は仕事中毒ときたもんだ。」
「……ッ、相方なら道ずれになってくれてもいいんじゃない?」
「まったく、ああ言えばこう言うかねぇ。」
「こう言うからああ言うの。」


さらりと投下される言葉に僅かに動きを止めて動揺しつつも、負けてなるものかと応戦する審神者。
彼女の一挙一動に愛おしさを感じながら、今日の攻防戦はこれまでと鶴丸もまた審神者の隣に位置を移動する。
それから、一向に戻って来ない鶴丸に痺れを切らした乱たちが、夕餉を言い訳にこっそり覗きにくるまで、いつもの、いつもどおりの穏やかな時間が続くのだった。





(完)

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