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人には瓜二つの顔を持つ者が三人ほどいるとかいないとか。
ただの噂に過ぎないけれど、彼らを眺めていると、あながち嘘ではないのかもしれないと錯覚してしまう。
…いや、そもそも彼らは人ではないが。
演練部隊を束ねて演練会場へと赴いてから、まだ十数分しか経過していないものの、飛び込んで来た光景に審神者は早くも眩暈を覚えでいる。
対戦相手となる部隊は五部隊。
そのうち一部隊については、審神者や彼らより一回り程上級者。
刀剣男士に練度というレベル階級があるように、審神者にもレベルがある。
簡潔に言えば、刀剣男士を戦場へ派遣しその勝利数が、主に審神者としての経験となり、経験が蓄積されてレベルが上がる。
その経験値の上昇に関わってくるのが、審神者の日々の職務成績というわけだ。
真面目に書類作成や報告を行っている審神者は、当然経験値の付与率が高い。
そして逆もまた然り。
前任の負の遺産がここでも生きており、この本丸の経験値付与率は低い。
この本丸担当の職員が言うには、「真のブラックに比べたらマシですよ。だって+どころか−ですから」らしいが、そもそも論外と比較されていること自体、審神者側からしたらたまったものではない。
配属されて三月、地道な努力で零に近い付与率を徐々にではあるが改善している。
それでも順調に進んできた同業者らと比べれば、まだまだ先は長い。
何が嬉しくて審神者のレベルと付与率まで引き継がなければならないのかと内心不満に思っても、規則は規則。
ここで臍を曲げて仕事を放棄すれば前任と何ら変わりない。
それに、引継ぎに前任の尻拭いはつきものだと前職で嫌と言うほど学んでいる。
だから今は審神者にとって一番の踏ん張り時である。
「そんなに構えたら相手の審神者も何事かと思うぜ」
「構えているつもりはありません」
「そうかい。そりゃ悪かった。いやなに、きみがあまりにも眉間に皺を寄せているからなあ」
「私に構わず他の仲間に配慮していただけますか?」
「ああ、それなら三日月が世話してるぜ」
「……あれは世話というより介護では?しかもされている方ですね」
声をかけて来た鶴丸国永の視線を追えば、ふらふらと演練会場を逍遥する三日月宗近を和泉守兼定が捕まえている光景が見えた。
そして、三日月同様物珍しさでこちらも視線を慌ただしく動かしている鯰尾藤四郎に、落ち着いてほしいと宥めている前田藤四郎、我関せずで腕を組んで静観している大倶利伽羅。
幸い審神者としての総合的な力はそこそこあるらしく、複数いる同位体の中から自分の刀剣男士を見分けることができている。
担当職員に識別力は問題ないと言われていても、審神者自身、実際に自分の目で確かめてみないと不安があったので、実は密かに安堵していた。
「あなたまで徘徊されていたらどうしようかと思いました」
「その時はきみが捕まえに走るのかい?」
「…審神者の情報共有サイトによると、審神者界隈では鶴丸国永を一同に集めると碌なことにならないとあります。この場にはあなたを含めて三振りいらっしゃいますね」
「きみは俺より見ず知らずの人間が言う噂の方が信じられるって言うのかい?」
「あなたも真似してやんちゃをするのであれば、信じることにします」
まあ実のところ、のんびりとその羽を伸ばしている余裕が彼にはなかったのだろう。
どちらかと言えば前の主のお守で手一杯だったはずだ。
だからと言ってその鬱憤をここで晴らそうとはっちゃけられても困るのだが。
そのような思いで審神者がちらりと上を見上げれば、当の彼は何やら神妙な顔つきで周囲を眺めている。
きっと新鮮な環境だらけで何だかんだ言っても興味が尽きないのだろう。
途端、何かに気づいたように鶴丸が視線を僅かに上に上げた…かと思えば、急に審神者へと視線を戻してきたではないか。
子どもが悪巧みを思いついたとでも言おうか、とにかくゆるりと両端の口角を上げキラキラと瞳を輝かせている。
嫌な予感が審神者を襲う。
「さて、そろそろ始まるみたいですね」
「なあきみ。単に戦うだけでは面白みがない。一つ賭けをしよう」
「手合せとはいえ真剣な勝負を前に言う台詞ではありませんね」
「なら他の連中の意見も窺おうか。なあ伽羅坊」
「…慣れ合うつもりはない」
恐らく開始時間となって集まって来たのだろう。
唐突に巻き込まれた大倶利伽羅は、手合せ以外興味ないと仏頂面で視線を合わせようとしない。
遅れてやって来た残りの面子も、手を振りながら歓待する鶴丸国永に、何事かと首を傾げている。
(ああ、もう。お願いだからこれ以上の面倒は起こさないで……)
早く時間にならないかと時計を睨めていると、背後から聞き慣れない声が審神者を呼ぶ。
「初めまして」
声につられて審神者も挨拶を返した。
恐らく彼女が初戦の演練相手なのだろう。
組み合わせの決め方は時によって違うらしく、くじだったり先着順だったりする。
知り合いもいないし、今回の演練は彼らに演練と言う場に慣れてもらうのが目的で、別に相手は誰でも構わないのだが、審神者としては出来れば同レベルの部隊と手合せたいところだった。
けれど、残念ながら審神者の引きは変な所で悪いようで、目の前にいる相手の落ち着いた所作や率いる刀剣男士の編成を見るに、この場唯一の上級者であるらしい。
当たり障りのない自己紹介を済ませ、自分の部隊の元へ戻った審神者を待っていたのは、既に時効となっていたはずの賭け話。
「皆に話はつけたぜ。賭けをしようじゃないか」
「賭けはいたしません」
「えー。いいじゃないですか。俺、鶴丸さんの意見に賛成しまーす」
「ですから…」
「なんだ、賭けに負けるのが怖いのか?この前の意気地はどこに行ったんだよ」
「そうやって煽っても私は二度と乗りませんので、悪しからず」
「まあ主や。賭け事の対象を聞くくらいはしてやってもいいだろう」
「流石三日月さん。良いこといいますよねー」
「はあ…聞いたら最後のような気がしてなりませんが」
「実はだな、この演練で勝ったらきみには言葉を直してもらいたい」
「あなた方に対する敬意が足りなかったのでしたら善処いたします」
「あー、違う違う。むしろその逆ですよ。逆」
「そういうことだ。何て言うんだったか?びじねすらいくもいいが、もう少しふらんくになってもいいんじゃねえか?」
「誰の受け売りですか、それは」
「燭台切光忠殿です」
「ああ、あの方ですか…」
言い笑顔で回答する前田に、審神者は天を仰ぐ。
そもそも、聞くとも言っていないのに各々話し出すわこれ幸いに要求し出すわで、全く堪らない。
額を押さえて気持ちを落ち着かせようとしていると、これまた私が意図を理解していないと勘違いしたじじいこと三日月宗近が、補足だとばかりに口を開く。
「難しく考えなくても良いぞ。要は俺だけにしているようにすれば良い。そうすれば楽になる」
「激しく誤解を受けるような言葉を敢えて選ばないでいただきたいのですが」
「うんうん。無理をするのは良くないなあ。主はもっと自分に素直になればいい」
「そうだぜ、主。ほら、試しにあっちの審神者のように喋ってみろよ」
和泉守兼定が示した先には先程の審神者がいる。
世間話ついでに得た情報から推測するに、彼女の年は恐らく私と変わらないくらいだろう。
審神者がストレートでこの職に就いていたら、もしかしたら彼女の同期となっていたかもしれない。
審神者と彼女、近いのは年齢だけで、それ以外は皆異なる。
キャリアも成績も、そして彼らへの接し方も。
演練相手ということで左程離れていない距離にいるため、会話の内容こそ聞き取れないものの、凡その話し方は聞き取れた。
『堀川君、あっちに兼さんがいるからって見惚れたりしないでね』
『酷いなあ主さん。いくら兼さんがかっこいいからと言って、手合せで気を抜くなんて真似しませんよ。あ、でも今は見ていてもいいですよね』
『もう、うちにもいるでしょう?浮気するの?』
『人聞きの悪いこと言わないでください。兼さんに誤解されちゃうじゃないですか』
『まったく、どっちの兼さんなんだか』
どこにでもいる普通の審神者と刀剣男士のやりとり。
そう言い切ってしまえばそれまで。
要するに和泉守兼定を始め、彼らが言いたいのは無闇に畏まった物言いをするのではなく、彼女のような接し方で構わないということだろう。
勿論、刀剣男士に対して親しみより敬意を払う審神者は少なくはない。
末端とはいえ付喪神である彼らは、本来審神者よりも格が上。
それでも審神者に力添えしてくれるのは、彼らが刀剣の持ち主である審神者を主として認めているからこそのこと。
ああ、まったく。
演練に参加して終わるはずが面倒なことに巻き込まれた。
彼女らから逃げるように審神者の視線は下へと落ちる。
「で、どうだ?簡単だろ?」
「そういう問題でしょうか?」
反論しようと和泉守兼定が口を開きかけたところで、演練開始を告げるサイレンが会場に鳴り響く。
交渉時間が切れたことに内心ほっとするも束の間、「そんなら勝てば文句ねえだろ、勝てば!」と、去り際に捨て台詞を吐かれてしまった。
他の面々も彼の台詞に感化されたらしく、気合は上々。
そんな彼らと入れ違いに演練相手の審神者が、こちらにやって来る。
「随分と面白い話をされていましたね」
「恥ずかしいところを見せてしまいすみません」
「そんなわけないですよ。引継ぎが上手くいっている証拠じゃないですか」
「だと良いですけど。なかなか難しいものですね」
「みなさん個性が強いですから」
「確かに」
「でも、良いものですよ、仲間というのは」
「仲間…ですか」
視線は戦場と化した会場の中心にいる自分の部隊を見据えたまま、審神者は彼女の話に耳を傾ける。
「ここで言うのも憚れるんですけど、私、子どもの時に虐められて不登校になったことがあります」
「そうですか」
「学校に行けなくなった私に、両親は無理に行く必要がないって言ってくれました。でもやっぱりずっと引き籠っているのが嫌で、最後は学校に通ったんですけど」
「大変でしたね」
唐突に自分の暗い過去話をされて困惑する審神者を余所に、彼女は視線を戦場へ向けたまま話を続ける。
「私が学校へ行けたのも、友だちのおかげなんです。その子が一緒に行こうって行ってくれなかったら、私は学校に行けなかった。いじめっ子は違う学年だったのもありますけど」
「…それでも行くことを自分で決めたのなら、それは凄いことだと思いますが」
「ありがとうございます。でも結局、その子とも違う大学に進学して、真っ白な人間関係を一から作ることになって、…怖かった。また虐められるんじゃないかって。だから極力人と関わらないようにしました。おかげで虐められることはなかったんですが、すごく息が詰まる大学生活を送っていたのかもしれません」
「………」
「そんな中、私に審神者の資質があることが分かって、就活を始める前にこの道を進むことを決めました。まあ最初は大学の時と同じようにつかず離れずの距離で彼らと接していたんですけど、ずっと本丸にいるわけだから素の自分を出せる場所がなくて、限界だった時、堀川くんが言ってくれたんです。『主さんは主さんのままでいいですよ』って。なんだか全て見透かされていたみたいで、恥ずかしかったけど嬉しくもありました」
「そうですか」
延々と続く自分語りに、最早どうしていいか分からず、肯定することしかできない審神者に、漸く我に返った彼女は慌てて視線を合わせた。
聞えてくる声がより近くに感じられて、審神者もまた仕方なく視線を彼らから彼女へ向ける。
最初から分かりきっていたことだが、戦況は劣勢。
制限時間にならずとももうじきこちらが敗北する。
格下の相手に多少なりとも合わせたと思われる彼女の部隊相手に、彼らは善戦したほうだろう。
いくら戦闘終了後は負傷がなかったことになるとはいえ、誰かが傷つくのを見るのは堪える。
それが人で非ざるモノであっても、見た目は人そのものなのだから、余計に。
「あの、ごめんなさい。私つい熱く語ってしまって…」
「気にしないでください。そうしたいと思うことがあったんでしょう」
「えっと、少し似てると思ったのでつい…」
遠慮がちにそう口にした彼女に、審神者は眉を顰めた。
似ている?誰が、誰と…?
まさか―――。
「そんなに私は虚勢を張っているように見えますか?」
「え、あ、そういう訳では……。ただ、その…」
否定しようと彼女の両手が忙しなく胸元で動くも、結局明確な言葉として紡ぐことが出来ずにいる時点で肯定ということなのだろう。
ここは気にするなと一言言えば済むことなのに、辛辣な物言いになってしまうということは、きっと図星だったのだろう。
見ず知らずの、それも初対面の相手に見透かされたのには、大人げないと分かっていても審神者とて堪えるものがある。
けれどもここで感情的になって彼女に当たるのは、もっと大人げない。
これから先の仕事の人間関係にも差し障るとなれば、尚更良くない。
それに、初めて出会った、それも今後会うかも分からない仕事仲間に対して、わざわざ心を砕いてくれる人間はそういないのだから。
「すみません。どうも、事実を指摘されてしまったもので…恥ずかしい限りです」
「いいえ、私の方こそ。不快にさせてしまいすみませんでした」
「ご指摘、感謝します」
「え、あの、私、そんなつもりじゃ…」
軽く一礼すると、彼女は愈々慌てたようにおろおろと顔を左右に振って狼狽えてしまった。
もしかしたら、先程の審神者の発言が尾を引いて、嫌味のように聞こえたのかもしれない。
審神者が顔を上げてみれば、案の定、若干涙目な彼女と目が合った。
(まあ、仕方ない。ここはお人好しな彼女に倣って私も素直になろう)
少なくともそう思えるくらい、審神者の中で燻っていた毒気は彼女の言葉と雰囲気により抜かれていた。
「嫌味に聞こえたら謝ります。こういう耳に痛い注意や心配をしてくれる人はそういないから、有難いことだと思っています」
「え、あ、その…」
「でも、やっぱり痛いものは痛かったですけどね。恥ずかしいったらありません」
そう言って審神者がおどけたふうに肩を竦ませると、漸く彼女に笑顔が戻った。
頃良い具合に演練の勝敗を知らせる放送が入ると、審神者たちは互いに会釈をし、自分たちの部隊を労うべく刀剣男士の元へ向かった。
試合には負けたが、不思議と審神者の心は軽く、気分が良い。
そのきっかけが対戦相手でありこの試合の勝者である彼女というのが、また面白い話だ。
「えへへ、すみません。負けちゃいました」
「申し訳ありません」
「お疲れ様」
そういう割にはどこか満足そうな鯰尾に、労いの言葉をかける。
続いて残る面々も審神者のところへ戻って来た。
「あー…くそっ。あと少しだったのによ」
「はっはっはっ、負けたなあ」
「何楽しそうに言ってんだよ、じいさん。あんたが一番酷かったじゃねえか」
「いやいや、すまんすまん」
「まあいいじゃないか。なあ、伽羅坊」
「俺に振るな」
「とはいえ、賭けはなしになったからなあ」
顎を撫でてこちらをちらりと一瞥する鶴丸に、審神者は内心ほくそ笑む。
今に見てろ、と。
「相手が上級者だった時点で賭けも何もあったものじゃないでしょう。そもそも私は賭けなどしないと言ったはず」
「なんだ、もう少し労ってくれても罰は当たらねえだろ?」
「これでも私なりに労っているつもりなんですけどねえ。“いずみん”は手厳しい」
「だからその態度が……ちょっと待て、今なんつった?」
「だからいずみんは手厳しい、と」
「もしかしなくてもその間抜けな名前は俺のことか?」
「あれ?渾名で呼んでほしいのでは?」
「ブッ、いずみん。いずみんのかみさんですか!」
「違う、そうじゃねえ!ってこら鯰尾!何笑ってんだよ!」
「こりゃいい。じゃあ主、俺はどうだい?」
冗談に悪乗り…まさかふざけた渾名を所望されるとはあまり想定していなかったので、鶴丸に振られて審神者はふと思案する。
(鶴、びっくり爺、あとは……ああ、そうだ、あれ、一昔、いや、大分前に流行ったような?)
そう、あれだ、あれ。
もう面倒なのであれでいい。
「えっと、つ…鶴ピッピ?」
「「ブハッ!!!」」
いずみん以上に間の抜けた名前に、堪え切れず鯰尾と和泉守が盛大に噴出した。
かろうじて笑いを堪えているのは前田のみ。
大倶利伽羅でさえ、何かツボに嵌ったのか、声を押し殺せずに不自然に咳き込んでいる。
残る三日月はというと、「そうか。鶴ぴっぴかぁ」と、何やら感慨深げに頷いている。
そして、当の名づけられた鶴丸は―――。
「きみ、それはないんじゃないか…?」
案の上、この渾名は不満のようだった。
まあ私も冗談で言ったのであって、常時これで呼んでくれと言われたら逆に困る。
「はい、冗談はここまで。もう一試合行くよ。野郎ども、準備はいい?」
「「!」」
そう言って近くにいた鶴丸と和泉守の背中を思いっきり叩き、二戦目の相手が待つ方へと審神者は歩き出す。
後を追うように背後から軽く走る音が聞えたかと思うと、右側から鯰尾が、左側から前田が、ひょいと顔を覗かせてきた。
一方は満面の笑みを抑えきれず、そしてもう一方はニヤニヤしつつも嬉しさを隠しきれない顔をしている。
「主君、あの…」
「賭けはしないんじゃなかったんですかー?」
「してないよ。まあ私とて鬼じゃないので、皆の頑張りには応えます。その代り…次の試合、分かってるよね?」
「はい、必ずやご期待に応えてみせます!」
「任せてください!先陣切って空気を掴んでぶん投げてみせますよ」
「こらこら、俺のセリフを改悪しないでくれないか」
「それなら鯰尾が捨てた空気をあなたが拾えば万事解決で」
「きみなあ…。」
背後から聞こえる溜息が聞えるが、それもまたよし。
抑えきれずに零れた笑みが一段と深くなる。
こんなに清々しい気分になれたのは、もしかしたら転職して以来だと初めてかもしれない。
ふと、先程の演練相手が言った言葉が審神者の脳裏に蘇る。
彼女は彼女のままでいい。
ならば審神者も審神者のままでいいのだろう。
そう、それでいい。
「憑き物が落ちたような顔をしているなあ」
「吹っ切れたのかも。昔は昔、今は今。そもそも職場環境からして比較しようがないんだから、意固地になる必要もないし」
「おお、それはよきかな。して主や。俺は何と呼ばれるのだろうか?」
「ん?何の話?」
「月ぴっぴではちと語呂が悪いと思うのだが」
「………は?」
はたと足を止めて隣を見上げれば、にこにこと満面の笑みでこちらの言葉を待つ三日月。
ちょっと待て。
先程審神者はこの話は終わりと言った。
なのに何故未だに話を持ち出すのだろうか。
更に視界を隣にずらせば、先程自身の渾名に異を唱えた鶴がいた。
…が、彼もまた先の冗談に関心があるようで、審神者の出方を至極楽しげに窺っている。
じいさん二振り相手に持久戦へ持ち込んだところで、結局演練が終わってからの延長戦となりかねない。
更に言えば、このままだと先を行く鯰尾たちもこちらに気づいて戻って来るだろう。
「おじいちゃんじゃ駄目?」
「じじいなのは鶴も一緒だぞ」
「そうきたか。じゃあ……みかづき…みかちか、あー、みかち?」
「おお、みかちっちか!」
「なんでそうなる?」
「んん、違うか。みかっぴっぴだな」
「だからぴっぴに拘り過ぎ。もうじいじでいいでしょ、じいじで。ね、鶴ぴっぴ」
「そこできみがそれを言うのかい?」
「人を見世物にして笑いを堪えていた罰です。常に呼ばれたくないなら、こののほほんおじいちゃんを鯰尾たちのところへ連れて行って」
「じじいがじいじの世話をするかあ。うん、これぞ老老介護というやつだな」
はっはっはっ、と、呑気に笑う三日月に、何もしていないのに審神者は疲労でぐったりとなりそうだ。
ずきずきと頭痛を覚え出したところで、2回目の演練開始を告げるアナウンスが響き渡る。
左手で額を押さえながら、未だ傍にいる二振りへ他の刀たちのもとへ行くように右手をぞんざいに振って急かした。
「うん、では行ってくる」
「任せてくれ。今度こそきみをあっと驚かせるような勝利をもたらそう」
「はいはい。勝つことも大事だけど、折角の演練なんだから経験を積めるだけ積んできてください」
「ああ、そうさせてもらうぜ」
結局、この試合も惜敗という結果に終わったものの、非常に有意義な経験を得られたことだけは間違いなかった。
審神者にとっても彼らにとっても。
*****
「そう言えば、だ」
演練後、帰路に就くなり鶴丸は口を開いた。
静かな執務室に二つの「「は?」」が木霊する。
「今なんて?」
「だから伽羅坊は何て呼ぶんだい?」
「は?」
「おいおい、『は』だけじゃ面白味がないだろ。ほら、もっとこう驚きに満ちた言い方があるんじゃないか?」
「『馬鹿じゃねーの?』、とか?」
「きみ、言うようになったじゃないか!だがそうじゃない。話題を逸らそうとしても駄目だぜ」
面倒な奴に捕まった。
胡乱げに鶴丸を見る審神者の瞳はそう言っている。
それを横目で見ながら、大倶利伽羅はこれ幸いにさっさと報告書作成にとりかかる。
最初こそ鶴丸に虚を突かれて反応してしまったものの、すぐさま面倒事の流れを察知し、我関せずを貫くことを決め込んだ。
審神者もどうせ己に助けを求めることはしまい。
そう高を括っていた大倶利伽羅だが、切り替えの早い、所謂“吹っ切れた”彼女の対応は違った。
「それなら私じゃなくて、まず当事者の希望を聞いたら?」
「………おい」
「呼ばれたい呼び方があれば検討します。以上」
審神者はぴしゃりと言い切ると、もう取り合わないとばかりに鶴丸から液晶へと意識を完全に向ける。
そして、矛先が大倶利伽羅へと変わる。
「聞いたか、伽羅坊。相変わらずの好待遇だな」
「どうでもいい」
「そんなこと言うもんじゃないぜ。呼び方が増えるってのは、それだけ愛着があって嬉しいだろ」
「興味はない」
「いやいや、折角の機会だ。君もしっかり意見は言っておいた方がいい」
「くどいぞ」
つれなくしても何のその、相変わらずの鶴丸の調子に大倶利伽羅の眉間に皺が刻まれていく。
それにしても、今日はいつになく絡んでくる。
鶴丸にとって、余程演練からの審神者の心境の変化が喜ばしかったのだろうか。
だとすれば大倶利伽羅からしたらたまったものではない。
互いに干渉しない仕事上の淡々とした関係が揺らぐ危機。
審神者とあの女とは根底からして異なると頭で解っていながらも、過去の不快な記憶が過ぎってしまう。
消化しきれない諸々の感情が胸の内で渦巻くのを感じつつ、ふと当の審神者を一瞥すれば、彼女は完全に無視を貫き通すつもりらしい。
意図的に無視するというのではなく、今のうちにとばかりに書類へと意識を全力集中しているようだった。
話を強引に振られさえしなければ、大倶利伽羅とて同じ状況で仕事に専念できたのだ。
なんともまあ理不尽な話である。
が、それを甘んじて受け入れる気は大倶利伽羅にはない。
やられたらやり返す。
この場に光忠がいたら、「もう、大人げないよ、伽羅ちゃん」と苦笑されるだろうが、幸い彼は夕餉の支度で忙しい。
「なあ伽羅坊」
「呼びたいように呼べば良い。これで良いだろ」
「お、そうきたか。…だそうだぜ、主」
「……」
「俺としてはきみが『伽羅ちゃーん』って呼ぶ姿は全く想像出来ないんだが、いや逆に想像出来ないだけにありかもしれないな」
「………」
「とはいえ、きみは伽羅坊より年若い…いや、当たり前なんだがな、とにかく若いから俺のように『伽羅坊』と呼ぶのは難しいな」
「…………」
「単純に『大倶利伽羅』じゃあ何の捻りもないし驚きがない」
「………………」
「おーい、主―。気は確かかい?」
(あんたがな……)
ひらひらと審神者の目の前で手を振る鶴丸に、大倶利伽羅は内心呆れた。
そして、当事者である審神者の意識は尚も画面から動かない。
それにしても凄い集中力ではある。
余程今日中に終わらせたい案件でもあるのだろうか。
(どうでもいいな)
それよりも己の用を済ませばそれでいい。
鶴丸の興味は審神者へと向けられたままのため、これ幸いに大倶利伽羅は鈍っていた作業を加速させる。
集中してしまえば大したことの無い作業である。
数分も経たないうちに終わり、後は審神者に一言告げてここを立ち去れば良い。
そんな折りのこと、審神者の空気を察して途中から口を噤んでいた鶴丸が、徐に口を開く。
「しかし、きみは良くやるよなあ。この調子でいけば今週と言わず明日か明後日にでも片が付くんじゃないか?」
「…どうだか。まだ数ヶ月分の記録整理が残っているし、再確認も要るからなんとも」
漸く今日分の目途が立ったのか、審神者も鶴丸の問いかけを流すことなく真面目に返した。
「何というか、“あの子”のやり残しがこれほどあるとは、正直予想外だったぜ。いやあすまなかったな。俺たちが手伝えたら良いんだが」
「審神者権限のものしかないから仕方ないでしょ。全くこれだけ中途半端にやり残せるんだから、ある意味才能と言えば才能かも」
「辛辣だなあ」
「ああ、ごめんなさい。流石に言い過ぎたか」
「いいや、きみにはぼやく権利がある」
「やれる余裕がある内にさっさと処理しておきたかったから、つい。あー、でも、無理するのは良くないや。愚痴が出る」
「そうだ、無理は良くない。ちゃんと解っているならいいぜ」
「まあこれで漸く出口が見えたから、もう無理は必要ないかも。これなら大丈夫」
「これで伽羅坊を出陣させられる、ってことかい?」
(――!)
鶴丸の一言に大倶利伽羅は思わず彼女らへと顔を向けると、一人と一振りのにんまりとした、満面の笑みとしたり顔。
一人は目標をやり遂げたという達成感、一振りは…驚かせてやったという満足感。
大倶利伽羅としては一振りの性質の悪さに思わず舌打ちをしたくなる。
しかし、ここでそれをしては、負けを認めたも同然のようで、何とか避けたかった。
それに、審神者のあの清々しい笑顔。
大倶利伽羅へと向けられたものではない上、彼への当てつけという感情は一切ない。
顔に書いてあることを簡潔に表せば、「良かった、やりきった、満足だ」である。
それまでの淡々と事務処理をこなしてきた審神者を見てきただけに、分かりやすいくらいに素直だった。
その素直さをうっかり垣間見てしまったため、大倶利伽羅の中に刺さっていた毒気がポロリと抜ける。
彼からしたらあの白い刀に誘導されたかのようで、不本意以外の何でもないのだが、過ぎたことは仕方が無い。
「それで、伽羅坊の念願叶っての出陣はいつになるんだい?」
「ああ、もう決めてあって、…これ」
液晶に映し出された情報が示すのは、一週間後に開催される戦力拡充計画。
模擬戦みたいなものではあるものの、油断をすれば命取りになる。
それに、と審神者は続けて言う。
「うちの本丸は検非違使に出会ったことがないから良い機会だし、今回の拡充だと総大将倒したらお迎えするこが出来るかもしれないでしょ」
「お迎え……?」
ニィっと楽しげに口角をつり上げて視線で合図する審神者につられ、二振りが液晶の情報を目で追うと、総大将撃破の報酬として馴染みの刀の名が記載されていた。
「貞、か…」
「そういうこと。折角の機会だから、お迎えよろしくお願いします」
「新たな任務だな、伽羅坊。責任重大だぜ?」
「ふん、勝手に言っていろ」
「では来週、それなりに期待しているので」
本気なのかどうなのか解らないくらい軽い口調で審神者が言った。
期待なんぞは勝手にしていればいいと思いながら、大倶利伽羅は手元にある書類を彼女へと差し出す。
「あ、どうも」
「勝手に貸された借りは仕事で返す。それでいいだろ」
「ん?借り?」
貸し借りも何も、そもそも貸した覚えがない審神者は、首を傾げた。
疑問符を頭に浮かべる彼女を余所に、当の大倶利伽羅は今日の仕事は仕舞いだとばかりに、そのまま執務室から姿を消す。
「え、何、どういうこと?」
「へえ、成程ねえ…」
審神者が問いかけるも、目の前の鶴丸は含んだ笑みを浮かべるばかり。
かくして一週間後、予定どおり大倶利伽羅は、開催された戦力拡充計画へ出陣し、無事旧知の刀を本丸へと迎え入れることに成功することになる。
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