降り止まない雨のわけ

 『ノアの一族』―――それは、歴史の「裏」にしか語られない無痕の一族の名。歴史の分岐点に度々出現していたが、どの文献にも書物にも記されていないという、不明(アンノウン)な存在。
 彼らは、間違う事なく『人間』である。
 但し、他の『人間』と違い、彼らは額に印象的な『聖痕』を持ち、それは彼らが彼らの『神』に選ばれた(・・・・)『人間』であることを示しているらしい。
 そして、そんな彼ら『ノア』は、到底人間とは思えない力を有し、世界を終焉に導かんとする千年伯爵と共謀する存在。
 『人間』ではあるのだが、しかし、その実、彼らは確かにエクソシストたちの『敵』なのである。


 目的の駅に到着し、マフラーを巻いて荷物を持つとアンジェは汽車を降りた。
 駅はしんとしており、あまりにもこの辺りは利用客が少ないからなのか、ここは駅員すらいない無人駅になっているらしかった。
 駅に降りたものの、事前に目を通していた資料によると、目的の村まではこの駅からそこそこ歩かなければならないらしく、ここから暫く徒歩かと考え、アンジェは「だりぃな・・・・」と思わずぼやく。
 うだうだ言ってても時間の無駄かと頷き、背後で汽車が出発を知らせようと音をあげたところで、アンジェは駅を出ようと歩き出す。

「ちょっ・・・待てよ、おい!」

「あぁ?」

 しかし、歩き出したところで背後から呼び止められ、アンジェは後ろを振り返る。
 すると、ゆっくりと動き出した汽車から慌てて駆け下りてくる男がいて、アンジェは「なんだ」と男―――ティキ・ミックを睨みつけた。

「悪いが、これ以上お前と話すことはない」

「はぁ!?いや、俺にはありまくりだわ!」

「私には、ない」

「あ、こらっ・・・・待てって!」

 お前に話したいことがあろうが私には関係ない、私は話したいことはない―――と告げ、さっさとティキを置いて歩き出してしまったアンジェに、ティキは再び慌ててアンジェを追った。

「煩わしい、ついてくんな」

「だったら話聞けよ!」

「無理だな、時間の無駄だ」

「無駄ってなんだよ、なあ、おい、止まれって―――アンジェ!」

 小さな無人駅。周りは木々に囲まれ、駅を出たところで町のひとつもない。
 確かにこんな場所に駅なんて作ったって、誰も利用しようとは思わないだろうなとアンジェはティキの言葉をはねのけながら思った。
 駅とも言えない小さな小屋を出たら、そこは森でした。なんて、利用客がいないわけである。これなら、駅が駅員一人いない無人駅なのも頷けるな―――と今し方出たばかりの駅について考えていたところ、不意にティキに名を呼ばれ、アンジェは咄嗟に足を止めてしまった。
 すると、荷物を持っていない右手首を掴まれて。

「おい―――ッ!?」

 一瞬のことだった。
 側に立てられていた、ご丁寧に周辺の村への行き方を示した簡易地図が貼られたボロボロの掲示板。そこに、アンジェはダンッ!と派手に音がたつ程、年季が入ってボロボロな掲示板には優しくない力と勢いでティキを押し付けた。背中を掲示板に派手にぶつけたティキが痛みに顔を歪めた瞬間、これまた掲示板には優しくない力加減でアンジェは掲示板を左手で殴りつけ、にこりと素敵に笑う。
 アンジェが左手で持っていたはずの荷物は、地面に雑に放り捨てられていた。

「私に構うな―――ぶち殺すぞ、クソ野郎」

 笑顔の後に、ひどい冷たい顔で睨みつけ罵倒したアンジェ。
 教団の者たちであれば、アンジェにこのように追い込まれここまで睨みつけられれば、顔を真っ青にして震え上がり訳もわからず『ごめんなさい』と謝罪の言葉をこぼしてしまうのだろうが―――。

「・・・ストライク」

「・・・・・・・・あぁ?」

 どうやら、この男、ティキ・ミックは鋭く睨みあげてきたアンジェに何故か、本当に何故か―――心を打たれたらしい。
 頬を赤く染め、見惚れるような情けない表情で『ストライク』と意味のわからない言葉を発したティキに、思わずアンジェは困惑した表情を浮かべ、引くように一歩二歩後退し、ティキから距離を置いた。
 しかし、そんなアンジェの困惑もよそに、ティキはぼんやりとアンジェを見つめて。

「惚れた」

「・・・・・・・・頭おかしいんじゃないのか?」

 まさかのティキの告白に、アンジェがドン引きした瞬間であった。
 エクソシストとしても、元帥としてもあまりきちんと仕事しているわけではないが、それでも、一応は敵側と呼べるノアのティキに「惚れた」と告げられる展開は、アンジェはあまりにも展開がおかし過ぎるだろうと言いたくなる。
 アンジェは頭がいいので、常からあまり困惑することが少ない。
 しかし、だからこそ、あまりにも自身の理解の範疇を超えた事柄と遭遇すると、アンジェは困惑を通り越して思考停止してしまうことが多々あった。
 それは最早、癖と呼べるものであったが、それは今回も同様で、アンジェは流石に頭を抱えて思考を停止させてしまう。

「な、アンジェ。俺、特にバツイチとか子持ちとか気にしないからさ」

「・・・・あ・・・・・・・?」

「ケッコンしよう」

「・・・・・・・・・お前はバカか?」

「え、なんで?」

「・・・・・・・・そうか、お前はバカか」

「いや、は?バカバカって酷くね?」

 ダメだ、理解が追いつかない―――と先に白旗を上げたのはアンジェの方だった。
 アンジェに「バカ」と罵られてムッと不愉快そうに顔を顰めるティキを、アンジェはまるで理解の範疇を超えまくった得体の知れない未確認生物にでも出会った時のような表情で見つめてしまう。

―――何なんだ、こいつ・・・・・何なんだ!?

 いくら非常に頭のいいアンジェでも、どうしたってティキの行動は理解できなかった。
 そして、アンジェは気付く。
 自身がどうにも理解できないタイプの人間は、過去、皆揃いも揃って―――全員バカだったと。
 バカ、というと言葉が悪いが、今の今までアンジェがそうカテゴリーしてきた者たちは、皆揃ってアンジェには『バカ』としか説明の仕様がなかった者たちだった。それ以外に、つける言葉がなかったのだ。
 それを思い出したアンジェは、その瞬間、 見事に正しくティキを自身の中でカテゴライズすることができた。
 そして、それは、ティキがアンジェの中で『理解不能の人種(バカ)』とカテゴリーされた瞬間でもあった。
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