春の陽気というものはどうしてこうも睡魔をそそのかしてしまうのだろうか。
 木陰から降り注ぐ日の光も、どこからともなく運ばれる花の香も、優しく頭を撫でるような温い風も、そのどれもがあまりにも心地よくて、アリスは大きく開きかけた口を閉じて欠伸をこらえる。その隣では、早々に眠気に屈した恋人が静かに寝息を立てていた。
 やれやれと思う反面、人の気配には敏感で誰かがそばに来ると起きてしまうと言っていた恋人の寝顔はどこか甘く感じられるのだから不思議だ。
 せっかくの機会だ、少し眺めていようかな。
 ふとそんなことを考えると、想像の中の恋人が顔を赤くして怒る。そんなに見るな、と声が聞こえてくるようで、アリスは独りでに笑みをこぼした。
 この人は愛情というものをよく知っているように思う。与えられるそれに時折照れくさそうにして逃げ回ることもあるけれど、それが決して嫌悪からくるものではないことをアリスは知っている。だから今となっては、唐突に発せられる回りくどく飾られた言葉の数々も、微笑ましいと感じた。

(って油断してたら、突然素直になったりもして……)

 好きだと告げれば、オレも好きだよと返してくれる。そんなやりとりがアリスの心をふわりと浮つかせる。言葉を欲しがっているからそう告げているわけではないのだが、それでもその答えをいつもほんの少し期待してしまっていた。
 ……ああそういえば、あの時は。脳裏に過った光景をアリスはそのまま思い起こしていく。隣の吐息に後を押されるようにして描いたのは三度目の……いいや、実質は一回目の、デートでのこと。
 確か、湖で待ち合わせをしていて──

「……あの時も、リュカさんはこんな風に寝てたっけ」

 愛してる、なんて寝言を呟きながら。
 夢の中に私がいたと証言はあったし、それ自体に決して悪い感情などは持っていない。いない、はず、なのだけど。

「私、まだ、言われてないですよ」

 えい。と人差し指で軽く頬を刺して悪態づく。どうしようもない嫉妬心だと思うのだけど、夢の中の私が羨ましかった。私だって言われてみたいのに。夢の中の私には言ってるのに。そんな複雑な乙女心というもので、あどけない寝顔をつついた。えい。もひとつおまけに、えい。
 そんな風に夢中になっていると、少しの身じろぎの後リュカの瞼がうっすらと開く。ぼんやりと眠たげな瞳がゆっくりと瞬きを繰り返して、その後アリスの顔を捉えた。

「……なにが……?」
「あ。起こしちゃいましたか」
「いや……それはいいんだ。けど、さっきのって?」
「さっき……」

 しばしの思案。沈黙。薄く眠気を残した瞳と視線を交わす一瞬でアリスはすぐに思い至った。

「あ……ああ! き、聞いてたんですね!?」

 完全に独り言だったのに。というか、あの時にはもう意識があったのだとすれば、やきもちからくるその後の行動も全部知られてしまっているかもしれない。急激に自分のしたことのすべてが恥ずかしくなってきて、アリスは顔を赤らめた。

「なんでもないですっ!」
「本当に?」
「本当です」
「……そうか」

 心なしかしおらしく見えるリュカの表情に思わず、意地を張ってしまったことを少し後悔したい気持ちになる。
 ううん、でも、やっぱり言わないでおきたい。こればかりは言葉を引き出したいわけじゃなくて……うん、やっぱりリュカさんの言葉で聞きたいから。
 夢の中では言ってくれたのだ。だからいつかは、きっと。

「もう少し休みますか?」
「いやいい。確かに昼寝にはちょうどいい天気だが──今はアリスがいるからな」

 寝起きだからだろうか、あるいはもっと別の理由があるのか。寝てばかりではもったいない、なんていつもより柔らかい笑みで言う。ほら。……ほら、そういうところだ。普段は、前は、そんなこと言わなかったのに。この人の飾らない言葉はいつも不意に放たれて、あまりにも直接的にアリスの心をくすぐっていく。
 ずるいなあ。──言葉の代わりに微笑んで、ついでに少しだけ座る距離を詰める。短く息を止める音がしたものだから、どうやら意趣返しは成功したらしい。気恥ずかしそうに少し目線をうろつかせながらも、近づいた距離をそのままにしてくれる恋人に嬉しくなる。

「……リュカさん」
「ん?」

 この人との関係も、自分自身すらも、過去よりも未来の方がずっと長いものになるだろう。まだまだ知らないことばかりで、毎日何らかの初めてを得るような日々だけど、それが楽しい。知ることが、楽しい。

「好きですよ」

 楽しくて、こんな気持ちがこの先も続いていくのだと思うと嬉しくて仕方がない。
 いつか彼から贈られる言葉を知る日が来るのだろうか。その日を待ち遠しく思いながら、アリスは今日も想いを告げた。


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