さらさらと降る秋の雨だった。
 朝からすっかり分厚い雲に覆われた空は穏やかに雨を降らして、辺りをすっかり肌寒い秋の気温に変えた。寮の部屋で課題を広げる彼女も、今日は普段の部屋着に一枚薄手の上着を羽織っているようだった。……温度を上げた方がいいのだろうか。部屋の主は一瞬そう考え、空調のリモコンに手を伸ばそうとするが、確か菅野さんはエアコンの風があまり得意ではなかったことを思い出し、やめた。
 ぐ、と腕を伸ばして肩の力を抜く。一度目の前のノートから引き上げた意識をすぐに戻す気にはなれなくて、一旦ペンを置いた広瀬は掛布団の上に置いた毛布に手を伸ばし、風羽に声をかけた。

「菅野さん、ひざ掛けとかいる? 用意がなくて、薄めの毛布しかないけど」
「おお、お気遣いありがとうございます。しかし大丈夫ですよ」
「そう。じゃあここ置いとくから、後でやっぱりいるなって思ったら許可とかいらないから遠慮なく使って」
「御意」

 軽く畳んで傍に置くと、ちょうどキリがついたのか彼女もペンを置いている様子だった。特に示し合わせたわけではないがちょうどいいから休憩にしよう、という雰囲気を感じる。教科書のページをめくる音もノートにペンを滑らせる音もなくなった部屋には、雨音がよく響いた。

「すっかり秋になりましたね」
「本当にね、こないだまで夏だったのに」
「十月ですから」
「台風とか来ると一気に季節変わる感じするよね」
「季節の変わり目というやつですね。雨も増えます」

 なぜだろう。なぜ、彼女が得意げな顔をしているのだろう。内心に複雑な心地を抱えながら、広瀬は曖昧に頷いて返した。

「そういえば先日、外出の折に土砂の如き雨が唐突に降りました」
「それは……大丈夫だったの? 濡れたりしなかった?」
「はい、運良く建物の陰におりましたから。とはいえ、持参の折り畳み傘でも心もとないほどの勢いでしたので、しばらく雨宿りをさせていただきましたが」

 雲の流れてくる先が明るかったので、通り雨かなと。そんなことを説明する彼女が一瞬言葉を止める。どうしたのだろうと思っていると、不意に、その瞳がまっすぐにこちらを見た。ばちんと強く目線が交わって、それだけのことで己の体温が僅かに上がったのを感じる。

「空を眺めて待っている間、漠然とあなたを思い出しました。広瀬くん」
「俺? ……って、まあ理由はなんとなく察したけど。いつもご迷惑をおかけしてます」
「とんでもない。私が、好きであなたのそばにいるのです。……それに、雨が降っているとあなたに好い事が起こったのかと思えて、嬉しくなりますから」

 もう何度も聞いた口説き文句に続けて、初めて知る言葉を聞く。想像の外側から急に殴られたようだった。堪らず、広瀬は「えっ」と喉を鳴らして風羽の様子を窺う。
 にこりと微笑む彼女の表情は普段通りのそれで、ゆえに、なんだか引っ掛かりを感じる広瀬自身の方にこそ何か誤りがあるような気がしてしまう。……いや。いやいや。こればっかりは絶対にそんなことないだろ。大きく揺らいだ気を強く持つように、誤魔化すように、広瀬は笑った。

「そんな大げさな。全否定はしないけど、さすがに、ただの天気ってこともあるでしょ」
「はい。広瀬くんの体質はご自身の嬉しいと思う気持ちに反応して雨が降る、ということは理解しています。雨が降っているからといってそうとは限らないと。けれど事実がどうであれ、そう考えてしまう。そして、過去嬉しげにしていたあなたを思い出して、今もそうであってくれたらと願ってしまうのです」
「そう、なんだ。……なんか、つくづく思い知らされるけど、俺って身に余るほど愛されてるよね」

 冗談めかして言う。そうでもなければ、そのくらいの勢いでなければ、こんなことは言えなかった。こんなにも深い心で想ってくれているのに、それが冗談でないことは身に染みて理解しているのに、素直に「ありがとう」と言うには頑固な理性と意地がまだ邪魔をしてしまう。
 しかし彼女は、そんな広瀬の屈折した性格由来の抵抗と葛藤を知ってか、それを咎めるようなことは決してしなかった。或いは知らないけれど、許容してくれているのか。どちらにしても、そんな菅野さんだからこそ心を預けて寄りかかってしまうのだけれど。

「……ふふ。あなたのこれからが、降りしきる雨のように嬉しいことで満ちていますように。お誕生日おめでとうございます、広瀬くん」
「ありがとうございます。正直、もう十分すぎるくらいだけどね?」

 窓を叩く雨粒のその勢いの良さが、そのまま広瀬の心の浮き上がりを表していた。広瀬の視線を追いかけて外を見た風羽がおお、と薄く驚いたような顔をする。

「先ほどよりも雨脚が強まっていますね」
「本当にね。……まあ、今日はもう少し雨が続くみたいだし、ちょっとくらいはいいか」
「?」

 きょとんとして首を傾ぐ風羽を広瀬は手招きで呼ぶ。警戒の様子など微塵も感じさせないまま隣に座った彼女を、そのまま広瀬は腕の内に努めて優しく抱き寄せた。顔は見えないが、はっと息をのむような音が耳元でしたのが少しくすぐったかった。

「……広瀬くん?」
「ほら俺今日誕生日だし、たまにはいいかと……思いまして」
「そのように理由付けなさらずとも、私はあなたの彼女です」

 それは、そうだけど。適当なところにも理由があった方が行動しやすいこともあるんだよ。実直で行動力の塊みたいな君には、あまり馴染みのないことかもしれないけど。
 そんな思いと理由に支えを得ながら、広瀬は風羽をそっと抱きしめ、頬を寄せた。……遠くで雨音がする。

「ふふ、こうしていると温かいですね」
「やっぱり少し寒かったんじゃない?」
「先ほどはそうでもないと思ったのですが。しかし、今広瀬くんから離れたらきっと寒く感じるのでしょうね」
「……うん、そうかもね」




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