「あ、スグリくん」

 生徒で賑わう教室の中、馴染みのある声に呼ばれてスグリは振り返った。教室と廊下の境目からこちらを覗いている人物を見つけ、そして同時に、あれ? と思う。リーグ部四天王のタロが普段通りの人当たりよい笑みを浮かべ、スグリに向かって手を振っていた。

「一年の教室までくるなんて珍しいね。何か用事……?」
「うん、アオイさんがスグリくんのこと呼んでたって伝えに。放課後にセンタースクエアで待ってるって言ってたよ」

 スグリは未だ、スマホロトムを所持していない。だからだろう、こうして時折人を介して情報を受け取ることが多いのだけれど、私用の伝達を受けるときにはなんだか毎度申し訳ない気持ちになった。この先輩も恐らくは、たったこれだけを伝えるためにわざわざ学年の違う教室まで出向いてくれたのだろうと想像に難くないだけに。

「ごめん、ありがとう」
「いえいえ。ブルーベリー学園の生徒として、交換留学生と仲良くできてるのはいいことですし。それに……」
「それに?」

 一歩、タロがスグリに近づく。そうして抑え目の声量で言葉を続けた。

「仲の良いお二人を見ているとかわいいなぁって思うので。忙しくないときなら、このくらいのお使いは喜んで」
「かっ……!?」

 まるで耳打ちをするように、ひっそりと。ではでは、用件はそれだけです。そんな言葉といつもの笑みと、ついでに硬直したままのスグリを残し、"可愛い"を愛する先輩は去っていった。

「……スグリ、タロ先輩になに言われたんだ?」
「いいなー。オレもタロ先輩にひそひそ話されてぇよ」

 茶化すようなクラスメイトの言葉も今はするりと耳を通り抜けていく。たっぷりの時間を置いてようやくスグリが我に返ったのは、教室に先生がきてからのことだった。


 そりゃあ。スグリだってアオイのことはかわいいと思っていた。いつもにこにこしていて、一生懸命で、強くて、あとポケモンの話をしているときは特にきらきらしているように見える。そんなところが眩しいし、憧れるし、好きだなって思う。
 とはいえ、なんというか、セット扱いでそういう評価を受けるとむず痒いものがあった。嫌悪感があるというわけではないが、落ち着かないというか、居た堪れない心地になってしまうのだ。
 いっそ、アオイと仲良くしているところを誰にも見られなければいいのに。内緒にできてしまえばいいのに。……そんな荒唐無稽な考えが脳裏を過っては、ぱっぱと払うように消す。多分、実際そんなことになったらそれはそれで、俺はアオイと友達なんだよ! と主張したがる自分がいるのだろう。そんな様子が簡単に想像できて、そのどうしようもなさに笑いが込み上げてきた。おかしくて、ではなく呆れた果てに、だが。

 約束の放課後。テラリウムドームの真ん中、センタースクエアまで足を運んだスグリは空いていたベンチに腰掛けた。二人にはなんとなく、ここでの待ち合わせをするときはこの辺で、という暗黙の了解があった。このエリアではこっち、あのエリアはあっち。当然、その日次第でやたらたくさん人がいて賑わっているときもあるけれど、でも、できればそこから見える場所で。口にしたことこそないけれど、お互いになんとなく、そういう風にして相手を探すのがお決まりだった。
 今日は、アオイはまだ来ていないようだ。先に到着したスグリはそのままぼんやりと行き交う生徒たちを眺めていることにした。ほとんどの生徒はスマホロトムを持っていて、各々それに呼びかけている。ある人はブルレクの課題を確認したり、別の人は地図を見ていたり。画面を使って顔を合わせた通話をしている人もいた。
 スグリのようにスマホロトムを未所持の生徒でも一応、学園から生徒専用端末の貸し出しはされている。ロトムは入っていないが、ブルレクやテラリウムドームの情報、学園からの連絡事項は確認できる最低限の機能は備えてある。が、個人的な通話やメールのやりとりを行うような機能はついていない。あくまでも、学園との通信機でしかないのだ。
 今まで──林間学校に行くまで──のスグリであれば、そのことを不便に思うことなどなかっただろう。けれど今となってはスグリにも多くはないが友人がいる。近しい彼らが当然のようにスマホロトムを持っていてコミュニケーションを取っているところを見ると、やっぱり俺もほしいな、とも思う。

「いいな……」
「何がー?」
「わっ!?」

 ぽつりと声をこぼした瞬間、図ったかのようなタイミングで背中側から声が降りかかった。咄嗟に視線を彷徨わせることでスグリは今まで見ていたものを誤魔化す。ばれてない、よな。出来うる限りの平常心を装いながら、スグリはゆっくりと肩から上を回すようにして後ろに立つ声の主に視線を合わせた。

「ごめんね、待たせちゃったかな」
「いや。俺のところのホームルームが早かっただけ、だと思う」
「もうちょっと急いでくればよかったなあ。……あっそうそう、忘れないようにタロにお礼言っておかないと」

 アオイはスグリの隣に座ると、慣れた様子でロトムを呼んだ。ぴょこんと元気良く飛び出してきたアオイのスマホロトムは、彼女の言葉を流れるままに電子のメッセージへと変えていく。──持っている人にとっては当たり前の動作なのだろうが、それは縁のないスグリから見れば鮮やかな仕草に映るものだった。……やっぱりこうして見ると、わや便利なんだなあ。
 少し、想像を膨らませてみることにする。今はこうして顔を突き合わせて話したり遊んだりしているが、それぞれが違う場所にいるときにも言葉のやりとりができたなら。アオイと、そんな風にやりとりをできたなら。それはきっと、とっても楽しいことなのではないだろうか、と。
 そう、思案して。自分自身も気づかない間に、スグリは顔を綻ばせるようにしてにへへと笑みを浮かべた。

「……? スグリ、楽しそうだね」
「ど、どうして?」
「なんか嬉しそうに笑ってたから」
「えっ」
「何かいいこと思いついた? わたしにも教えてよ」

 言葉でも物理的にも、アオイに無邪気に寄られてスグリはたじろいだ。きみと通話をしているところを想像してにやけていただなんて、まさか、言えるはずもない!

「だ、だめ。アオイには内緒」
「ええ、どうして?」
「なんでも。内緒」
「むう、ケチ」

 ケチでもなんでもいい。内緒なものは内緒だ。ひたすらに素直なアオイとこういう時意固地になるスグリとでは押し問答の決着は一瞬だった。
 じゃあいいもん、とむくれたように言っているアオイだが、実はそれほど内容を気にしていないということをスグリは知っていた。あっさりと引き下がるのも、そこに執着があまりないからだ、と。食い下がられると困るくせに、あまりにも興味がないのもそれはそれでちょっと悔しいような気持ちになって、その複雑な思いにスグリはまた挟まれることとなる。
 例え問答に勝っていても、違う何かで完全に敗北している。それが今の二人のパワーバランスだった。スグリにとっては非常に悔しいものであるということは言うまでもない。

「……そのうち、教える」
「そのうちって?」
「いつになるかはわからないけど……近いうちに」

 だから結局、こうやって回りくどく遠くから気を惹くような真似をしてしまうのだ。こんなものでは、目まぐるしく変わる彼女の視界には留まれないことを理解していながらでも。
 だけど、袖の端を引っ張るが如くささやかな言葉だったとしても、アオイは真正面から答えてくれる。だからスグリはいつだってその優しさに甘えてしまうのだった。今回だって、次にこの話題を出す頃にはこんな曖昧な内容なんて彼女は忘れてしまうかもしれないと思いながらも、話すことをやめられなどしない。

「約束する。一番にアオイに教えるから」
「……うん? じゃあ、待ってるね」

 そんな言葉を素直に信じて。……まあ、アオイがもし忘れていたとしても、スグリからしてみれば違えるつもりのない言葉ではあるけれど。
 スマホロトム、ちゃんと買おう。心の中で強く決意して、この話は一旦ここでおしまいだ。
 やりたいことを一つ増やしたスグリはベンチから立ち上がるとアオイに向かって手を差し出す。今日は、どんな風に過ごそうか。




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