「ブラッカ」
アインの声が、丸く少しだけ甘く、ブラッカの耳をくすぐる。
その声を自分はきっと、自分自身で思う以上に好ましいと感じている。――ブラッカがそう思うようになったのはここ最近のことだった。
以前と比べると同居を始めた今、彼女に名前を呼ばれる回数は文字通り桁違いに増えた。だというのにそこに疎ましい気持ちは微塵も感じず、それどころか用事がある限りいくらでも呼んでもらって構わないとさえ思っている。それは、他人と生きていくことを忘れかけていたブラッカに、懐かしさを思い出させてくれる。ああ、人と暮らすってこういうことだったな、と。
「明日さ、久しぶりにシャトラに行ってハイネとご飯食べながらエモの歌を聞いてこようと思うんだ」
帰りが遅くなるかも、と報告を受けて頷く。明日の予定はそう詰まっていないから、自分の方が帰ってくるのが早いかもしれないな、とブラッカが思案していると、アインが何かを思いついたようにあっと小さく声を上げた。
「……ご飯、ちゃんと用意してから行くね?」
「お前、オレのことを何だと思っているんだ」
飯も満足に摂れないと思われているのだろうか。じとりと責めるような重たい視線を向けると、それを軽くいなした彼女はブラッカに視線と責を投げ返すようにだって、と言って笑う。
「この前自分用に作ってたご飯、すごい見た目してたもの」
「……お前、あの時家にはいなかったはずでは」
「畑にはいたもん。ちょっと見ちゃった」
「別に、オレはあれで問題ないんだ。栄養が摂れるものを食えればそれでいい」
「そういうことじゃなくて……」
口を結ぶアインは頭の中で言葉を選んでいるようで、ううんと唸っていた。ちなみに、一応、念のため確認しておくけれど、ブラッカはここでは自分自身で食べるためにしか調理をしていない。ただの一度だって自分の料理を誰かに食べさせるためにこの食卓に乗せたことはないのだ。だから、とやかく言われる筋などないはずだ。
そうして十数秒ほど双方納得のいかない顔をしていたが、徐にアインが口を開いた。
「私が、ブラッカにはおいしいものを食べてほしいんだ。……ってのはだめかな?」
少し困ったような表情でアインは言う。お互い思うように好きに暮らす、そういう約束をしたからだろうか。それに抵触する可能性があるとでも思っているのだろうアインは、下手の方からブラッカの顔を窺うようにして首を傾ぐ。そうされてしまうと、ブラッカはどうにも弱かった。そもそも、ブラッカだっておいしい食事を口に出来るならそれに越したことなどない。ただ、それを正直に受け入れるような可愛げなどというものを、自分自身に許しはできなかった。端的に言えば、彼女に素直に甘えるのが気恥ずかしくて仕方なかった。
これは、ブラッカにとっては、他の誰かと一緒に食べる休憩での食事とは違うのだ。この家で、ブラッカのためだけに振る舞われる食事のことを言っている。これがむず痒くないはずがない。
「……別に、駄目とは言ってないが」
だから、そうやって否定も肯定もはっきりさせずに強がるだけが精一杯で。アインから差し伸べられる何もかもに自分が弱いことを思い知って、ブラッカは薄く小さくため息を吐く。
「やった。腕によりをかけて作るから楽しみにしててね」
こんな返答でも好意的に受け取ってくれるのだから、もう、本当に何を言ったってこの人に敵いはしないのだろう。毎日のようにそう感じて、それでも自分はこの暮らしを気に入っているのだから、きっとこれはもうどうしようもないことなのかもしれない。嬉しそうなアインの表情を見ると、ブラッカにはもう開き直る以外の選択肢などなかった。
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