膝の上の心地よい重さが、もぞり、と動くのを感じて私もハッと覚醒する。
恭弥と過ごす時間は温かくて、穏やかで。私を優しい気持ちにさせる。
ついウトウトしてしまうのも無理はない。
膝の上に乗った丸い可愛い頭を見やると、恭弥は綺麗な切れ長の目をいつもよりも細めて、こちらを見ていた。
「おはよう、恭弥。もう帰るの?」
「…よだれ垂れてるよ」
「えっ、誰が」
「君以外誰がいるの」
むくりと起き上がった彼と向かい合う。
私の頬を彼の手が包んだかと思うと、親指で口の端を拭われた。
わわっ、と声を漏らすと恭弥は珍しく楽しそうにクツクツと笑う。
「ごっ、ごめんなさい」
「良い度胸だね」
そういうわけじゃないけど。
窓の外は夕陽も沈んで薄暗くなり始めている。
運動場では部活中の生徒が引き上げていく。野球部の中に武がいた。窓に駆け寄って手を振る。
「おーい、お疲れー!」
「お、彩乃!一緒に帰るか?」
「え、いいのー?」
思ってもみない申し出に心が躍る。
1日の終わりの薄暗い道を1人で歩くのは、怖いというわけじゃないけれど、何だか寂しい気持ちになってくるよね。
私は武に それじゃあ、すぐ降りるね、と、言おうとしたのだが
「むぐっ!」
何故か私は恭弥に引き寄せられて腕の中に閉じ込められた。
(ちょ、近い!)(ていうか見られてる!)
え?彩乃?なんて言いながら武が呆けてるのが見える。
「…今日は僕が送っていくよ」
私にだけ聞こえる声で、確かに恭弥はそう言った。
「、はっ!?」
「ヘルメットそこにあるから、それ被って正門で待っててね」
そう言って先に部屋を出て行ってしまう。
呆然と見つめるその先には確かにフルフェイスのヘルメットがあったけれども。
恭弥が私を送ってくれる…?
「ねぇ」
「はっ、はい!」
先に出て行ってしまったと思い込んでた恭弥が開け放たれた扉の向こうにいて、思わずビクッと身構える。
「早くしてよ。君が出ないと鍵閉められないんだけど。」
「あ、ごめんなさい」
なんていうのも無理はない。
送ってもらうことはおろか、
一緒にここを出ることすら初めてなんだから。
慌てて自分の鞄と恭弥に借りたヘルメットを持って部屋に出ると、恭弥が応接室を施錠する。鍵を持つ指の細さにさえ見惚れてしまう。
「なに」
「いやっ、なんでも…でも、本当にいいの?送ってもらうなんて…」
「…別に。校内で不純異性交遊なんかされたら、風紀が乱れるからね」
「なっ、」
なんだその理由は!
「わ、私と武は別にそんなんじゃっ」
「そうかい?君はともかく、彼の方はわからないけど」
ん?武が?私を?
「あはは、ないない!」
「…ふぅん」
……なんなんだ、この空気は。
「そうだ武!一緒に帰れないから謝らないと。じゃあ後でね!えっと、正門に居ればいいんだっけ?」
「そう。間違わないでね」
そう言って恭弥とは階段の手前で別れた。
階段を下りていくと校舎の入り口に武がいる。
「武!部活お疲れ様!ごめんね、今日実は」
「あのさ彩乃!彩乃って…雲雀と付き合ってんの?」
……は!?何なんだ今日は。
恭弥には武のことで勘違いされるし、
武には恭弥と付き合ってると思われてるの?
…でも確かに恭弥とは、みんなには言っていないけれどお昼寝のこともあるし、応接室に通っているのはみんな知っているからそう思われても無理はないのかもしれない。でも
「付き合ってないよ!あはは、恭弥だよ?他人に興味ある感じじゃないじゃん。自分勝手だし」
「そうか?じゃあどうして彩乃は雲雀のところに通うんだよ」
珍しく武の目が真剣だった。
そんな目に貫かれて、私はつい考える。
どうして?どうしてなんだろう
「私は、恭弥の自分勝手さに振り回されてるだけだよ」
「…そうかよ。今日は、雲雀と帰るんだろ?」
「それは…」
どうして私は恭弥と帰るんだろう。
そのことだって、恭弥の自分勝手さが原因だ。
校内の風紀が乱れるとか言って、いつも私をみんなから引き離そうとする。群れれば咬み殺されるし、誰かと帰ろうとすれば風紀が乱れると難癖をつけられる。
…恭弥に縛られている自覚はある。でもそれを悪い気がしないのは、どうしてなんだろう。
「…ごめんね武。また恭弥のいない時に」
「何してるの?」
バイクの排気音と共に、さっきまで応接室で会話をしていた相手の声。恭弥だ。
「雲雀…」
「…悪いけど、この子は僕が送っていくよ」
「…そっか!じゃあ仕方ねえな」
恭弥を前にして、武にいつもの眩しい笑顔が戻る。なんだかほっとする。
「彩乃、また今度な」
「うん、ごめんね武、また家で!」
「あぁ、週末な!」
武に手を振って見送った後、
恭弥の肩を借りながらバイクの後ろに跨った。
初めてだから緊張する。どこに掴まればいいんだろう
私が口を開く前に恭弥が言葉を発する。
「ね?言ったでしょ」
「え、何のこと?」
「彼が君のことを好きだって」
「…」
確かに、先ほどの真剣な目に、私も何も感じなかったわけではない。でも、
「恭弥には関係ないでしょ!」
「…」
沈黙が少し気まずい。この空気を誤魔化したくなって、話を変えようと頭を働かせる。
「カッコいいバイクだね、恭弥にぴったり。」
「そう。掴まって」
「えと、どこを」
「なるべく近くに寄ってもらった方が、危険はない」
「…」
結局言葉を失ってしまったが、気まずい空気よりは幾分もマシだった。何なら少しウキウキ、ドキドキしてくる。思い切って恭弥の腰に手を回した。
「こ、これでいい?」
「上出来だよ」
「きゃっ!」
エンジンをふかして恭弥が地面を蹴るのと同時にバイクが走り出す。
家までの短い道のりだけれど、私は恭弥と過ごす時間が楽しみだった。
縛られている?そんなものではない。これは私が望んでいることでもあるのかもしれない。
友達と過ごすのはもちろん楽しい。でも恭弥と過ごすのは、また違った新鮮さがある。
胸の高鳴りと、恭弥の背中の温もりを感じながら、私は恭弥に対する自分の気持ちを振り返っていた。