愛の夢





「...、おい、起きろ」
「ん......」

まだ意識は半分夢の中。けれど、寝ぼけていても、安心する声の主はすぐに分かる。

「起きろ、名前。こんなところで寝ては風邪を引く」

こういうときの声色は、いつもの温度のない物言いよりも大分やさしくて、やわらかい。

「あれ......わか、とし?きょう、来るって言ってたっけ...?」
「何を寝ぼけている」

急に辛辣。素でこれなので最早慣れたものである。高校ではじめて出会ったときには無愛想で冷たい印象を抱いていたが、実は誰よりもバレーボールへの熱い想いを秘めストイックに高みを目指す、そんな彼を好きになったのは初めて彼の試合を見た時だったっけ。

中学の時から勉強は嫌いではなかったので、流れで決めた白鳥沢高校だったが、部活も強豪が多く、入学前には男子バレーの活躍も耳に入っていた。試合を観に行くタイミングを逃し続け、高3で同じクラスになった若利に興味を持って観に行ったのだった。

そんな彼は卒業してすぐプロバレーボーラーとなった。一般人のわたしとスポーツ選手の生活リズムが合う訳もなく、時間を見つけては一人暮らしのこの家に若利が泊まりにくる、という形を取っていたのだ。

「...一緒に住んで、いるだろう。先月から」

そんな、嬉しそうな声で言うなんて、ずるい。きっと他の人が聞いたって変化なんて分からないだろうけれど、声が一段甘くなったのが分かって、胸がきゅんと音を立てる。ほんの少しの口元の緩んで、声色で若利の纏う雰囲気が柔らかくなったのがわかる。

「ふふ、わかってる。ごめん...おかえり、若利」
「わざとか......ただいま、名前」

ゆっくりとこちらに伸ばされた厚みのある大きな手のひらが、額を撫でる。子どもの熱を測るみたいに、額に当てると言った方が正しいかもしれない。寝起きで火照った体温には、少しひんやりとして気持ちが良い。堪らず目を細めると、手のひらが前髪をふわりとさすった。

「夕飯、待っていてくれたんだな。遅くなって悪かった」
「ううん。一緒に食べたいしね...けど、もうちょっとだけ......」

まだ頭が夢から抜け出せなくて、ごろりと身体を横向きにして、もう少しだけまどろみたいことを意思表示する。

「......俺も少し眠くなってきた」
「え?」

寝転ぶわたしの横にゆっくりと若利が横たわって、腰に少し重たい腕が被せられた。若利がお昼寝、というかもはや夜だけれど、ぐだぐだするなんてめずらしい。

「...珍しい。若利がこんな風にお昼寝付き合ってくれるなんて」
「偶には良いだろう。名前が気持ちよさそうだから、つられたんだ」
「...そっか。じゃあ、落ち着いたら夕ご飯にしよっか」

そう言うと、返事の代わりのように、ぎゅう、と苦しくない程度に抱きしめられて。ああ、若利が帰ってきたなあ、と思う。厚みのある胸元に擦り寄ると、温かい手にゆるりと髪を梳かれて、眠気を誘った。




ちょうどふたり同じころに目が覚めて、少し遅めの夕食を取るために身体を起こす。きっとこれは夜なかなか寝れなくなってしまうやつだ。でも明日はふたりとも休みだし、偶には映画でも見て夜更かしするのも良いだろう。

「夕ご飯、準備しよっか」
「...ああ」

そろそろ食べたいかなって思ってハヤシライスにしたよ、と告げて立ち上がろうとすると、若利の手が私のやさしく手首を掴んだ。あまりにも大きい手のひら、わたしの手首を1周半くらいしてしまっていて、自分と全然違うそれが、なんだかとても愛おしく思える。

「家に帰ったら名前がいるというのは、良いものだな」
「......うん、わたしも、若利が先に家にいて帰ってくるとき、安心するよ」
「......結婚して、良かった」

わたしをすっぽりと懐におさめて若利が言う。家のものとは違うボディソープのにおいがした。

「......若利って、ずるいよね」
「何がだ」
「そういうこと、言うの...」
「?思ったことを言っただけだ」

そうだ、若利はこういう人なのだ。敢えて言葉にするのも恥ずかしいなと思ってしまうようなことも、気にせず言葉にしてくれる。それがわたしをいつも安心させてくれることを、きっと彼は知りもしないんだろう。

「...わたしも、結婚して良かったよ。若利にお帰りって言えるから」

顔をあげてそう言うと、いつも鋭い目が細められて、視界にうつる少し若利の顎が傾く。短く吐いた息がかかって、触れる予感がして、寄せられた唇はわたしのそれを掠めていった。こんなことがナチュラルにできる成人男性になるなんて、高校生だったころのわたしに教えてあげたい。なんてことを考えていると、また唇が奪われてしまって、今度はなかなか離してもらえない。

「..........ん、っ、わか、とし......」

少しだけ熱い舌が入り込んで、心臓のあたりがぎゅうっと苦しい。

「.......ん、あ.....わ...とし......っ、わか、とし!夕ご飯!」
「.........すまない」

そうやって身を寄せ合うのは、お腹を満たして、お風呂でさっぱりして、映画でも見ながらにしよう。映画には集中できないかもしれないけれど、長い秋の夜だから、許されるだろう。





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