Cold Brew - 1





お店を閉めてまずすることは、翌日出す水出しコーヒーの仕込みだ。最近は少しずつ少しずつ夏に近づいてきて、外を暫く歩けば大分体が温まる。気温が上がればそれだけアイスコーヒーがよく出るので、仕込む量はうまく調整しなければならない。スマホで太陽と雲が描かれたアプリを立ち上げると、明日は今日よりも少し気温が上がると示していた。ならば、今日の分よりも多めに仕込んでしまって良さそうだ。

水出し用の豆を用意してミルで挽いていくと、一帯が香ばしいコーヒーの香りに包まれる。この香りが好きになったのはいつ頃からだっただろうか。気が付くとこの香りに包まれることを心地良いと思うようになって。もちろん気分によりけりだが、美味しいコーヒーはブラックで、何も入れずにそのまま飲みたいと思う位には、大人になった。

叔父の手伝い店に入るようになって2週間ほどだが、我ながら大分仕事にも慣れてきたと思う。こんな機会もなかなかないだろうということで、叔父には夫婦で旅行でも行ったらどうかと提案した。当たり前だけれど自営業はお休みを取ってしまうとその分の売上がなくなってしまう。であれば私に任せて、好きにのんびり過ごして欲しいと思ったのだった。北欧を数国めぐると言っていた。今はノルウェー辺りだろうか。

叔父が店を不在にして1週間ほど。元々コーヒーが好きで自分で淹れることも多かった私は大分、作業も難しく考えず無心で出来るようになってきた。黙々と仕込みを進め、水出しコーヒーのセットが完了する。これを明日朝いちでチェックして、問題なければ明日出せる。これだけあれば1日持つだろう。次は何をしようか...とカウンターをぼうっと見つめていると、カランカラン、と転がるようなドアベルの音が鳴った。目線をやると、入ってきたのは身体の大きな男の人。背が高いだけではなくて、なんというか、図体が大きくて迫力があって、少し緊張する。日常生活では出会わないサイズ感で、何かスポーツでもやっているのかな、と数秒の間に思考する。

「スミマセン。もう店閉まっちゃいました?」

2,3歩足を店内に踏み入れたその人は、少し首を傾げて問う。鋭いけれど温かさのあるゴールドの眼が、ぱちくり、と大きな身体に似合わず瞬きした。なぜか、時が止まってしまったようにフリーズしてしまう。そんな私を見て、その人は不思議そうに、より首を傾げてしまった。

「あ...すみません。ご来店ありがとうございます、今日はもう閉店で...」
「アーー!やっぱり間に合わなかった...くそ.....」

目元を歪めて、がしがし、と骨ばった手のひらで首元をさする様子が、何だか野性的で動物みたいだ。

「?...寄ろうと思ってくださってたんですか?」
「あー、ウン。そうです。ずっと来たくて。今日やっと寄れると思ったんだけど、練習長引いて...あー、くそ.....」

練習。やはりスポーツだろうか。何の練習か気になったが、いけない、初対面だし、店員と客の立場だし、あまり踏み込むのも良くないだろうか。

「残りがあれば出せたんですけど...生憎今日はもうお出しできるものがなくて、」
「ぜんぜん!それはしょーがない!」

今度はけらけらと笑って。何だろう、表情や纏う空気がころころと変わって、何だか目が離せない。

「明日朝8時からまた空けるので、良かったら」
「ほんと!?じゃ練習前に寄るかな。また来てもいい?」
「もちろん。お待ちしてますね」
「リョーカイ!明日また、おねーさんに会いに来ます」
「えっ」

じゃーね!とブンブン手を振って、あれよあれよと姿を消す。嵐のようだ。私に会いに来るって、言ったけど、どういうことだろうか。でも明日会えるのは何だか嬉しいし、楽しみに思ってしまう。少し荒れた天気にワクワクしてしまうような、ちょっと外に出てみたくなってしまうような、そんな子どものような気持ち。



そのひとは、言った通り本当に会いに来てくれた。

「いらっしゃいませ。あ、昨日の...」
「へへ!来ました」
「有言実行...!ありがとうございます。何にしましょうか?」
「んー...実はおれあんまり詳しくなくて。おねーさんのお勧めで!」
「そうですね...今日は少し暑くなりそうなので、さっぱりしたアイスコーヒーはどうですか?水出しで、さらっと飲めます」
「んじゃそれで!お願いします!あと何か食いもんください」
「じゃあモーニングで用意してるクロックムッシュお付けしますね」

こちらも、自家製のソースを使ったこだわりの逸品だ。美味しく食べてもらえるといいけれど。

「店内で召し上がりますか?持ち帰りもできますが」
「少しカウンターで飲んでいこっかな。おねーさんがお喋り付き合ってくれんなら」
「っえ...」

にしし、と音が聞こえそうな笑顔で、そのひとは歯を見せて言う。

「あ、嫌だった?」
「...もちろん、嫌では、ないです。他のお客さんもまだ居ないですし。じゃあ...一応ドリンクは持ち帰れるカップでご用意しますね」

よろしくー!と会計を済ませたそのひとは、カウンターに座って私の手元を見ている。あまり見られると、いつもの作業なのに緊張してしまうんだけれど。コーヒーとクロックムッシュをトレーに並べて、カウンターに座るそのひとにサーブする。うまそう!!と目を輝かせる姿は、ちょっと幼く見えて微笑ましい。

「......っえ!!コーヒーうま!!!初めて飲む味!めっちゃうまい」
「あはは、良かった。そんなに喜んでもらえると淹れ甲斐があります」
「これがさっき言ってた水出しコーヒーなんだ」
「はい。コールドブリューコーヒーとも言ったりします」
「コールド...ブリュー........」


「あんま聞くことじゃないと思うんだけど...おねーさん、いくつ?ですか?」
「いえ、大丈夫です。今年26です」
「え!んじゃおれ同い年だ!」
「えっ」
「んじゃあさ、タメ口で話してよ。おれおねーさんと沢山話したいんだ」
「え、でもお客さんですし...」
「そのお客さんが良いって言ってるんだから良いっしょ!」
「うーん...まあ、そうなのかな...?じゃあ...わかった」

「あと、名前、教えて」
「苗字、名前です」
「名前ちゃん。可愛い名前!おれは木兎!木兎光太郎。好きに呼んでー。まあ欲を言えば光太郎がいーけど」
「む、むっ無理!木兎くんで...」
「んー、まあ今はそれでもいーや」

今は...?その言葉にはてなが浮かぶが、この様子では聞く隙がなさそうだ。出逢ったばかりだけれど、なんとなくわかってきた。結構強引だけれど、憎めない感じがあって、なんだか巻き込まれてしまう。でも、嫌じゃない不思議な感覚。

「名前ちゃん、手がきれい」
「あ、ありがとうございます...?」
「うん。おれと全然違う。バレーやってっからやっぱ指太くなるのかな?」
「、バレーやってるんです...あ、やってるの?」
「そー。おれバレーボール選手なの」
「えっ!?!?」

それってこんなテンションで言っていいものなのだろうか。バレーボール選手。選手。スポーツ選手。人生で初めて言葉を交わす。頭が追い付かないまま木兎君は話を進めていく。

「大阪のチームなんだけど、今は東京遠征中なんだ。試合終わったら大阪戻るから、あと1週間ぐらいしかいないけど」

「だから、時間ないから、名前ちゃんと話したかった」
「え?」

おれ、名前ちゃんに一目惚れしたんだ。

「だから、友達からお願いします!」

差し出された右手。何が何だか分からない。





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