話「真実は鏡の向こう側」



 崖から突き落とされた昊希は、震える身体をおさえつける。先程突然、自分に向けられた悪意に、気持ちが追いつかない。この震えは、きっと、冬の海の冷たさだけではないだろう。

「これ、僕じゃなきゃ、死んでいたんじゃあないか」

 切り立つ岩々にスタンドを引っ掛け、辛うじて助かった昊希だ。直撃していれば、無傷とはいかなかっただろう。それどころか、命を落としてもおかしくはなかった。その事実にぞっとする。
 その後、岩の上へ移動したとはいえ、念には念を込め、落下防止に張ったスタンドは未だ解除していない。今ばかりは、ハンモックがわりに使っているうちスタンド維持が癖になっていたことを幸いに思う。

 頭脳は大人の小さな探偵は、先程助けを呼ぶためにこの場を去っていってしまった。残った昊希には、待つことしかできない。
 下を覗くと、遠い海面が見えた。きらめきが妙に眩しく思えて、昊希は目を眇める。あれは、空洞……洞窟だろうか。崖に人が一人通れそうなほどの穴が開いていて、きらめきはそこから漏れている。波の動きに伴って、海水が出入りしているようだが、それが何かしら関係でもしているのだろうか。
 その時、昊希の見つめていたきらめきが集い、影を生む。蜃気楼のように思われたそれは、蛇のような形をとると、まるでひとつの意思を持つ生き物であるかのように動いて洞窟の奥へと消えていった。

「おおっと。これは、当たりかな?」

 ポケットをまさぐった昊希は、携帯を取り出す。カメラを起動すると、洞窟へ向け何枚かの写真を撮った。
 そのついでに、スレッドを開き、崖から突き落とされたことを報告する。正直、探偵達の絡む事件に関わる余裕はない。そこは百戦錬磨らしいスレ民達に任せてしまいたいところだ。
 そうして『事件』も『用事』も済ませて、形兆と旅行を楽しみたい。昊希の願いはそれだけである。








「さて、『事件』も片付いたことだし、今度は『用事』を済ませるとしようか」
「確認は取れたのか?」
「ああ。やはり、例の貿易商が関係していたようだ。彼の日記にそれらしい記述があった。いつからそれが土着の信仰と結びついたかはわからないが」
「そうか」

 そんな言葉を交わしながら昊希達が向かうのは、昊希の落ちた例の崖である。もう二度と近付きたくないと零していた昊希だったが、この島での用事をこなすためには避けようがなかった。

「でもまあ」

 田舎道を歩きながら、ぽつりと昊希は言葉を零す。

「犯人、検察が到着するまでに分かって良かったね」
「……別に、急ぐ必要はなかっただろう」

 形兆の、そんな言葉に苦笑した。

「君が容疑者のまま、僕だけ旅行を楽しむわけにもいかないだろう。島の調査にも支障が出る。財団に身分の保証を願ったとして、それはそれで面倒を引き起こすだろうからね」
「あの眼鏡のガキか」
「そう。好奇心旺盛なのはいいんだが、彼は危険に踏み込みすぎる」

 先に事件を片付けたのは、小さな探偵をこちらの件に巻き込まないためである。流石の彼も、眠りの探偵や幼馴染が目を光らせている状況で、崖に向かうような真似はしないだろう。……しないと信じたい。

 そんな話をしているうちに、例の崖へは到着した。目的の場所はこの下――昊希があの時見つけた洞窟だ。
 崖から降りるのに、梯子の必要はない。昊希のスタンドで全て事足りた。
 そうして、二人は洞窟の前へと降り立った。
 潮の引いている時間帯を選んだつもりだったが、洞窟の中は完全に地面がむき出しとはいかず、二人は靴を濡らすことになる。

「蛇の形をしていたんだったか」
「ああ。動きもウミヘビのようだったよ。……しかし暗いな」

 携帯の明かりで大丈夫だろうか、などと言って、明るさの調整をしていた昊希に、形兆はペンライトを手渡した。

「流石形兆、用意がいい」
「てめぇの用意が足りないんだろうが」

 そう言いながら、形兆も懐中電灯を握る。ペンライトとの明るさの違いに、昊希は目を瞬かせた。

「すごく明るいね……?」
「財団の備品だな。もうふた周りほど大きなものもあったか。そちらは鈍器としても使えそうだったが、嵩張るから持ってこなかった」

 鈍器としても使える懐中電灯。マグライトか何かだろうか。何にせよ物騒な話だった。




 ペンライトの明かりを受けてさやかに光る、錆ひとつない円鏡を前に、形兆と昊希は視線を交わす。

 例の貿易商が生きていたのは江戸の末期。この頃の鏡は表面にガラスのコーティングもされておらず、大変錆びやすいものだった。その貿易商の死から200年以上経った今も、海に晒された金属が錆びていない、というのだから――。

「スタンド、だろうな」

 これが、この島での昊希と形兆の『用事』だった。




 報告用に現場の写真を幾枚か撮影した昊希は、やれやれといった調子で溜息をついた。

「旅行ついでにスタンド絡みかもしれない事象の調査をしてこいだなんて無茶振りだよね。誰だ『簡単な仕事だ』なんて言ったやつ」
「お前だな」
「僕は花京院君からそう聞いていたんだよ! おかしいな、財団員さんも『早々当たりを引くことはない』というようなことを言っていた気がするぞ」

 お手軽なバイトのはずが、とんだ誤算だったと肩を竦めつつ、昊希は洞窟の中で悠然と輝く鏡を見る。後日、財団の方で回収されることになるのだろうこの鏡こそが、昊希の見た蛇の正体であり、今は亡き貿易商のスタンドらしかった。
 一人歩きしているタイプのスタンドのようだが、どうにも貿易商の遺産を守るという理念で動いているらしい。先ほど、昊希がこの鏡のある位置をこえ、洞窟の奥へと進もうとしたところ、鏡は蛇に変わって昊希に襲いかかってきた。

「水神信仰はこの島にふるくからあったという話だが、影取り伝説が流行りだしたのは貿易商の死後のようだったからね。関係あるとは思っていたが。『影をとられる』というのは、スタンドエネルギーを奪われて取り殺されるということだったらしい」

 言い得て妙だと昊希は顎に手をやった。
 水神は金物を好むという。案外、それと貿易商の守銭奴気質が結び付いて、強い力を持ったのかもしれない。
 そうして、このスタンドは、貿易商の死後もスタンドエネルギーを得て、今の今まで活動していたというわけだ。
 さすがにこんなファンタジーをミステリーの住民達には伝えられない。開きかけたスレッドは、少しの罪悪感とともに閉じられた。
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