話「イルカと口笛、甲板にて」
波音に交ざって、遠くでうみねこの鳴く声がする。甲板を吹き抜ける風は、潮の香りがした。
「あっ、イルカですよ」
「かわいいー!」
「見にいこうぜ」
イルカの群れに声を上げた子供達は、甲板を駆け出す。
「急に走ると危ないぞい」
阿笠は声を掛けるが、三人の耳に入ってはいない。案の定と言うべきか、「ヘーキヘーキ」と口にしていた元太が足を縺れさせ、バランスを崩したところで――若い男にぶつかった。
「――おい。気をつけろよ、ガキ」
地を這うような、低い声が響く。黒いスーツに身を包んだその男は、忌々しげに舌打ちをした。
固めた金髪に、刺すような鋭い瞳。その人相は、どう見てもカタギのものではない。そのガタイのよさと背の高さも相まって、威圧感を醸し出している。元太達はというと、そんな男に萎縮してしまっていた。
「あの男、ぶつかったことは悪かったとはいえ、あの態度はないんじゃない?」
甲板での出来事を見ていた園子が目を吊り上げる。
「ちょっと抗議してくるわ」
「その必要はないんじゃないかな」
園子にコナンが伝えるとほぼ同時に、男に声をかけた者がいた。
「また子供に怖がられているのか、形兆」
どこかからかうような声は、男と気安い仲にあることを推測させるに十分だった。
現れたのは、その男より一回り背の低い黒髪の男だ。静かな瞳には、知性の色を携えている。
彼は男に、何か手のひらに乗るほどの小さなものを手渡すと、腰を落とし、未だ萎縮し固まっている子供達に目線を合わせた。
「すまないね、彼の怖い顔は元々なんだ。こう見えて、家族思いのいい奴なんだよ。怖がらないであげてくれるかい?」
「おい」
W形兆Wと呼ばれていた金髪の男は不機嫌そうな声を出すが、黒髪の彼は笑みを返すばかりで、その言葉を撤回する気はないらしかった。それどころか、「怖くない、怖くない、握手しても噛まないよ」などとフォローなのかジョークなのか分かりにくいことを言う。
そのうち子供達も、金髪の男が危害を加えてくるような人物ではないと理解して、その緊張を解いたのだった。
コナンは彼らのもとに駆け寄る。
「久しぶりだね、木村さん!」
コナンの呼び掛けに、黒髪の男――木村昊希が顔を上げた。
「おや、江戸川君。毛利さんも、奇遇だね」
コナンの後ろに蘭の姿を確認し、昊希は片手をあげる。軽い会釈を返す蘭を、園子が横からつついた。
「ちょっと蘭、知り合い?」
「うん、以前に旅行先で」
子供達も同時にコナンに詰め寄る。そうして、孤島の洋館で共に事件に巻き込まれたという情報と併せて、昊希・形兆両者の名が伝えられたのだった。
「事件ですか!」
「オレらがいればすぐに解決だぜ」
「私達、五人合わせて少年探偵団なの」
三人がそれぞれに名乗り、コナンと哀が団員であることも告げる。それを聞いて、昊希はにっこり微笑んだ。
「それは頼もしいな。キッドが来ても安心だね。形兆、これだと僕らの仕事はないかもしれないぞ」
形兆は子供達を一瞥して、昊希に正気を疑う目を向ける。コナンは昊希の口にした『仕事』の語に引っかかりを感じ、どういうことか尋ねようとした。
「ねえ、仕事って、二人は大学生じゃ」
「あーっ! イルカがいなくなってるー!」
コナンの問いは、歩美の声にかき消された。歩美の視線の先には海。そこに、先ほどまでいたイルカの姿はない。
「群れのいたところを過ぎてしまったんでしょうね」
「そんなぁ」
哀の冷静な見解を聞き、落ち込む三人を見て、昊希も困ったように眉を下げる。それから、何かを探すように辺りを見渡した彼は、幼い少女を連れた白いスーツの男に目を留めた。
「すみません、お願いしたいことがあるのですが」
彼は男と幾らか言葉を交わし、何かの了承を得たようだった。
抱き上げていた少女を降ろした男が口笛を吹く。変化は如実にあらわれた。
「――イルカだ」
イルカが再び海面から顔を覗かせる。
「タイミングがよかったね、丁度口笛でイルカを呼べる人と知り合いになったところだったんだ」
どういう知り合いだよ、とコナンは内心で突っ込んだ。
「それで、昊希さんたちはどうしてこの船に?」
コナン一行と昊希たちの自己紹介が一通り済んだところで、コナンが話を切り出した。
「アルバイトだね。警備スタッフを担うことになっている」
何気ないことのように答えた昊希に、その言葉を聞いていた園子が眉根を寄せる。
「セキュリティの関係上、一般人が警備に駆り出されるなんてことは、よほど特殊な経緯かコネでもないとあり得ないわ」
園子は言外に二人が警備員であることを疑うが、しかし、昊希は動じた様子もなく言葉を返した。
「そうだったのか。僕は一方的に、頼まれたことを請けただけだったからな、知らなかったよ」
「要はコネってことね」
まあそうだと思ったわ、と哀が呟く。きょとんとしている昊希に、彼女は語った。
「だってそこの彼ならまだしも貴方、鍛えている様子はないもの」
「手厳しい」
【会場】
ちゃお、と声を掛けられて、振り向いた先にいた人物に昊希は目をまるくした。
「ジョルノさん。こんな場所で奇遇ですね」
「《兄も来ていますよ》」
イタリア語で言葉を返し、にっこりと微笑む彼の姿は、いつもながらそつがない。スマートで格好いい『出来るオトナ』そのままの見た目であった。
「《昊希は、招待客という様子ではありませんね》」
「《財団関係で、少し。友人も一緒です》」
ジョルノはそこで、少し考えるような仕草をした。
「《貴方が来たということは、スタンド絡みですか》」
「《いえ、スタンドはキッドの変装対策です。そういった話は出ていませんよ》」
「《そうですか》」
頷いたジョルノは、次いで声を潜め、告げた。
「《……これは噂程度に聞いた話ですが、今回の事業の協賛企業に幾らかきな臭い動きがあるようですよ》」
「《貴方が噂程度に掴んでいる時点で、何かあるということではないですか……。情報ありがとうございます》」
ジョルノに礼を述べながら、昊希は主催者に伝えるべきか、その前に財団に調査を依頼すべきか考える。
「《ちなみに今回のパーティーに出される料理では、プリンがおすすめですね。カスタードへの印象が変わると思います》」
「《食べなければ》」
ほぼ反射的に答えた昊希は、スピードワゴンの粋な計らい(お食事券)に、今改めて感謝の念を抱くのだった。
そんなジョルノとの会話を終え、会場の巡回に戻ろうとしたところで、昊希は園子に捕まった。彼女は小声で昊希に尋ねる。
「ちょっとアンタ、ジョルノ様と知り合い?」
園子の側にはコナンを含む少年探偵団達や蘭の姿もあり、先程までジョルノについての噂話をしていたようだった。その話題は、間違いなく園子から振ったものだろう。彼らの間では既に、ジョルノがイタリアを本拠とする有名企業の代表取締役である情報が共有されているようだった。だからこそ、そんな人物と会話していた昊希に、何故どうしての視線が向いている。
「彼の従兄弟と仲がよくてね、その縁で知り合ったんだ」
「じゃあじゃあ、木村さん達がさっき話してたのってイタリア語?」
コナンの問い掛けに、昊希は肯定を返した。光彦が少し驚いたように言う。
「木村さん、イタリア語が話せるんですか」
「簡単な会話ならね。イタリアには半年だけ住んでいたんだ」
「へえー! いいなあ、歩美も行きたい」
「イタリアっていうと、あれだよな! ピザにスパゲティ!」
「そのジョルノさんの従兄弟とイタリアで知り合ったってこと?」
「いや、知り合ったのは日本でだよ。……さて、これ以上はお客様のプライベートにも深く関わるからね。警備スタッフである僕の口から、お話しすることはできません」
期待に満ちた園子の瞳に苦笑しつつ、昊希はそう述べやんわりと対処すると、スピードワゴンの姿を捜しにその場を立ち去った。
【ワイングラス】
「おい、コーキ。グラスが空いたぞ」
「僕は警備スタッフであって、ウェイターではないのですけれども」
そう言いながらも、昊希はその空のグラスと濃い葡萄色の液体の入ったグラスを交換する。満足げに受け取ったディオは、一口含んだ途端に表情を変えた。
「葡萄ジュースではないか!」
「ふはは」
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