今日先輩が卒業する。
卒業式が終わり、在校生や卒業生でごった返す校庭を抜け先輩の教室に向かう。
通い慣れた廊下を歩きながら、初めて先輩に会った日の事を思い出した。

それは入学したばかりの放課後だった。
春特有の突然の嵐に、傘もなく立ち尽くしていた時『傘ないん?』と声をかけてくれたのが先輩だった。
傘を貸してくれた先輩は、名前も告げずに去って行ってしまった。
傘を返さなければいけないのに名前もわからないなんて、と言う心配は次の日杞憂に終わった。
クラスの女子が、1年の女子が騒ぎ立てる“かっこいい先輩”と言うのが昨日傘を貸してくれた先輩だったのだ。
聞けば名前も学年もクラスもわかった。
彼と彼の友達の錦戸先輩は校内で有名な人物だった。
この学校の女子は、“怖くて近寄り難いけどそこがかっこいい錦戸先輩”と“優しくてふんわりとした雰囲気が王子様みたいな大倉先輩”のどちらかに別れていた。
そんな先輩の所にのこのこと傘を返しに行けるわけもなく、思いついたのが放課後の誰もいない時間に先輩の机に掛けておくと言うもので、こっそりと向かった教室でまさかの大倉先輩と出くわしてしまったのだ。
そこから会えば声をかけてもらえたり、学食で一緒にお昼を食べたり、意地悪もされたけど時間を掛けながらゆっくりと親しくなった。
先輩はモテる。言わずもがな。
大倉先輩と錦戸先輩のグループには丸山先輩や安田先輩の他に、綺麗な佐藤先輩や可愛い内田先輩がいた。
1つしか変わらないとは思えない大人の雰囲気を持った佐藤先輩達といつも一緒にいて、そんな先輩は私にも優しく接してくれた。
その佐藤先輩が大倉先輩の彼女だろう、みんなが口を揃えて言っていた。
悔しいけど美男美女でお似合いだ、と。
だから私は後輩として可愛がってもらえてるだけで嬉しかった。
でも人とは欲張りなもので、もっともっとと求めてしまう。
その欲求を必死に抑えていた。
下手に動いてこの関係を壊したくなかったから。
でも、それも今日で最後。
大倉先輩は錦戸先輩と同じ国立の四大に進学する。
先輩の事だからきっと大学でもモテると思う。
叶わなくてもいい。
私が先輩を好きでいた事を知って欲しい。
明日からは会う事もないんだ。
恐るものは何もない。

先輩の教室に入り、卒業おめでとう!と大きく書かれた黒板を眺める。
本当に最後なんだ、先輩と会えるのも。
窓から見下ろす生徒達の中に、大倉先輩はいない。
先輩は来てくれるだろうか。
きっと色んな人に追いかけられてるんだろうな。

「名前?」
「あ、先輩...」

現れた先輩は学ランは疎かワイシャツのボタンまでもが全部取られていて、疲れたような顔をして学ランを手に持って現れた。

「すごい...」
「これ?全部取られたわぁ(笑)」
「さすがですね」
「まーボタンぐらいええねんけど。で?なんかあったん?」

『あー疲れたぁ』とため息混じりに、窓際の椅子に腰を下ろした。

「あ、あの...卒業おめでとうございます」
「んふっありがと」
「それで...」
「それで?」

いつもより低い位置から先輩にじっと見つめられて言葉に詰まる。
色素の薄い瞳が好きだった。

「あの...私、」
「うん?」
「私...先輩が好きでした」
「知ってる」
「えっ...」
「名前が俺の事好きなんは知っとった。それで?」

突然不機嫌になる先輩に戸惑う。
私が好きだった事がそんなに嫌な事だったの?

「あ...えっと、すみません...」
「なにが?」
「好きになって...最後にどうしても伝えたくて...」
「最後、な...ほなこれいらんの?」
「えっ?」

ひらひらと目の前で揺れるのは先輩が持ってた学ラン。

「...くれるんですか?」
「あげたろって思っててんけど、もう俺の事好きちゃうみたいやし?いらんか」
「えっ?どういう...」

好きじゃないなんて言ってないのに...先輩の言ってる意味が理解出来ない。

「だって俺の事好き“だった”んやろ?ほなもういらんやん」
「なんで...そんな風に言うんですか...?」
「自分が言ったんやん。好きやったって。好きやったって事は今は好きじゃないんやろ?」
「何言ってるんですか?そんな事言われたら私...」

期待しちゃうじゃん...
じんわりと視界が滲んできて、ぐっと歯を食いしばる。
泣いてはいけない。

「なに?」
「こんな時まで意地悪しないでください...」
「意地悪してへんやん。今は好きちゃうんやろ?って確認しただけやん」
「...好きです!先輩の事、今でも好きです...っ」
「...最初からそう言えばええのに」
「え...?」
「ほら、これ」
「わっ、ありがとう...ございます...」

押し付けられた学ランからは先輩の香水の匂いがした。
先輩に良く似合う、爽やかな香り。

「ん?...あれ?」
「どうしたん?(笑)」
「これ...ボタン着いてます...第二ボタン...」
「当たり前やん。制服だけあげてどうすんねん(笑)」
「でもっ...先輩全部取られたって...」
「それ以外は全部取られてん。」

『見たらわかるやろ?』と笑う先輩はいつもの先輩で。

「んん?なんでこれだけ...」

これが一番重要なんじゃないの?

「大事な子にあげるから、これ以外にしてって言うてん」
「...?大事な子にあげるのに私がもらっていいんですか?」
「ちょっ、もう!どんだけアホなん!」
「えっだって...」

勢い良く立ち上がった先輩は私を囲うように腰より少し上の窓枠に手を付き、ため息を吐いた。

「他にボタンをあげる大事な子がおったらこんな所に来てへん」
「...私...期待しちゃってもいいんですか?」
「ほんまにアホな子(笑)」
「えっ...せ、先輩?」

先輩の綺麗な顔が近付いてきて、気が動転する。

「ほら、目瞑って」
「あ...っせんぱ、んっ」

柔らかくて暖かい先輩の唇がチュッと音を立てて離れて、先輩の大きな手のひらが私の髪を撫でる。

「せんぱ...」
「名前、好きやで」
「...うそ...」
「ほんま」
「なんで...」
「なんでって逆になんで気付かへんの?」
「だってぇ...まさか先輩が私の事...」
「俺、好きじゃない子にあそこまで構う程暇ちゃうで(笑)」
「うそ...嬉しい...」

涙が意思とは関係なくボロボロとこぼれ落ちる。
好きだって伝えたいのに、しゃくり上げてしまって声にならない。
先輩の腕が背中に回り、抱きしめられる。
暖かい胸の中で先輩の鼓動が心地良い。

「もー泣く程好きなん?(笑)」
「すきっ...で、すっ...」
「ほんまに...可愛い子やな」



「私、先輩は佐藤先輩と付き合ってるんだと思ってました」
「あー、それよう言われたわ」
「そう、ですよね...」
「でもあいつが好きなん、亮ちゃんやで」
「えっ!そうなんですか?!」
「うん。安心した?」
「はい...えへへっ」
「ん。ええ子」