10キロの生肉を食べないと出られない部屋


『10キロの生肉を食べないと出られない部屋』

スネイルは七色に光るネオンライト看板を見上げ今一度メガネを押し上げる。一見表情は普段の冷然としたそれだがよく見ると口角が引き攣っている。
その隣できょとんと安っぽい看板文字を見上げるレイヴンは、足元から迫り来るようなスネイルの不機嫌の気配に気付いている。
だが、そんなことより二人っきりであることが久々で、「ふたりっきりだね」と言うとこちらを見ないまま片手でほっぺをつねられた。
「いひゃい」
***
仮想空間はなにも戦闘シミュレーションのみしか用途がないわけでは無い。
たとえば海。山。四季。社員の士気を上げるために様々な夢を見せることにも使われる。
勿論、夢は夢でも悪夢を見せることだって可能だ。まあその辺の管轄は主にスネイルが担当しているのだが。
そういうことでアーキバスに多大なる恩恵をもたらしていた仮想空間システムだが、最近ある問題が発生していた。
平たく言えばバグだ。
戦闘シミュレーションで設定したものと違う敵にコテンパンにされるなら可愛い方で、海辺の故郷に帰ったものは、枯れた海と燃やされた故郷と砂浜に並べられた家族の首を見たらしく、現実に帰ってきてからおよそ三日間発狂状態だった。逆のパターンもある。仮想空間から戻ってきた尋問中の捕虜が「俺のことをそんな目で見ていたのかアーキバスめ…!」と赤ら顔と荒い息でなにやら興奮していたので満場一致で再教育センターに輸送された。
とにかく、つまるところ事前に設定したそれと違うシチュエーションが提供されるバグである。しかも何故かバグが起こっている間は外部アクセスができない。つまり、本人の口から聞く以外バグの内容が把握できない。
無論そんなものを使用できるはずもなく、しかしバグを放置するわけにはいかない。上層部は頭を悩ませた結果、
「やっぱり強靭な強化人間が内部から直接直すしか無いんじゃ無いかな!ねえスネイルくぅ〜ん」
……お言葉ですが、直すというのは?
「だからぁ直接入ってなんか原因を突き止めるんだよ!そういう映画あったよねぇ〜あ、君ら世代じゃないかなスネイルくぅ〜ん」
はぁ……ですが大雑把な計画ですと失敗した時のリスクが少々大きいかと……
「スネイルくぅ〜ん」
……なんでしょうか
「大雑把って僕たちに言ったのかな〜」
「頼むよスネイルくぅ〜ん」
「スネイルくぅ〜ん」
極めて個人的な理由で彼らも仮想空間を早々に必要としているのは分かっていた。その理由が目も背けたくなるくらい下衆なものだということも。
***
絶対に殺す。
スネイルは上を脱ぎうなじのコネクタを剥き出しの状態で俯き殺意に震えていた。それに気圧された技術者たちが緊張に唾を何度も飲みながらスネイルのコネクタと仮想空間のそれを慎重な手つきで繋いでいく。
「スネイル、」
隣で同じようにコネクタを剥き出しにして技術班に背中を預けている彼女が、名前を呼ぶ。
「大丈夫。怖くないよ」
見当違いの心配。いつもなら冷たく突き返すところだが、全身が茹で上がるほどの怒りに包まれているスネイルにそれはなんだかストンと腹の奥に落ちていく。そして無言で隣の恋人の頭を撫でる。
背後で二人のコネクタを接続していた技術班たちは、冷酷が服を着たような上司の貴重すぎるデレを目にしてあわあわと顔を赤らめた。

仮想空間でのバグは、同時に接続する人間が多ければ多いほど後遺症も被害も少ない傾向があるというのは分かっていた。
スネイルの私室で今回の件についての資料を偶然見つけたレイヴンは真っ先に「私も行く」と言い張り、当然絶対にダメだと許さないスネイルだったが、彼女はそれ以上に譲らなかった。その言い争いは最終的に流血沙汰になったが、結局はスネイルが折れた。

「では、転送を始めます」
ポッドにそれぞれ寝かされた二人は、同時に瞼を伏せる。強烈な衝撃の後、意識が破裂するように飛んだーー


ーー冒頭に戻る。
真っ白な部屋。件のネオンライト甲板。
そして、中央の床に直接転がっている謎の巨大な肉塊。
部屋の設定は、「ガーデンパーティーで大きなケーキを食べる」だったはずだ。
スネイルは額を押さえる。悪夢だ。最悪の方向にバグが働いた。
レイヴンは一通り周りを歩き回り、壁をノックしたり床を嗅いでみたりして「うん、密室だよ」とスネイルに手を振った。
そもそもスネイルはこんな方法でバグの解決策を得られると思っていなかった。とりあえず入って出て行って「はいだめでしたよ」と言って上を納得させるのが目的だった。
ネオンライト看板が示す「出られない」の意味に気付かないほど愚かではない。どちらにせよ、状況がわかっていない技術班は異変でも起きない限り我々の接続を解除しないだろう。
中央の、グロテスクな塊に再度目をやる。
10キロの肉塊。実際10キロなのかは見ただけでは分からない。赤く、大きく、重そうだ。
いわゆるサシがとにかく多くて、赤身と脂身が5:5で混在したようなまずあり得ない見た目をしている。恐らく、というか確実に生き物の肉ではない。表面はしっとりとしているようで、ある部分では肉汁が次から次へと滲み出て下にもう肉汁だまりができ始めている。
食欲どころか、嫌悪感が湧く。
スネイルは口元を押さえる。一方レイヴンは肉塊の側に歩み寄り、生き物でも観察するようにじいっと視線が釘付けになっている。
「なんの肉かな」
「考えたくもありません」
「食べる?スネイル」
「……」
「嫌なら、大丈夫。私に任せて」
言うが否や、レイヴンは大きく口を開ける。きらり照明を受けて光った犬歯と綺麗に並んだそれ以外の歯が肉塊にぶつりと突き刺さるのを、スネイルは信じられない気持ちで見ていた。
「コラ!!」
肩を掴んで引き剥がす。その拍子に肉がぶつんと千切れる。もぐもぐと口から垂れた手のひら大の肉をそれでも咀嚼しているレイヴンにスネイルは目を覆って大きなため息をつく。
「これだから、駄犬は……」
「鉄の味がする」
ごくん、と肉を飲み込んだレイヴンの口の周りは肉の汁まみれで赤くなっている。
今ので100グラムくらい減っただろうか、とスネイルは頭を抱えながらも考える。しかし、目の前の肉塊はまるで大きさを変えていない。レイヴンがまた直接齧り付こうとしたので、スネイルは首の後ろを引っ張って止めた。
「齧り付くのはやめなさい」
***
強化人間の握力をもってスネイルが肉塊をどんどん千切っていくのをレイヴンは膝を抱えて見ていた。
びたん、びたん、と小さくなった肉が放り投げられどんどん山になっていく。繊維が千切れたせいか、汁の量は夥しく、千切った拍子のものが辺りに飛び散り鉄臭い匂いが充満している。
「さて」
肉塊を全て肉に変えたスネイルが、手袋をつけたままの手をぴっぴっと振って、……やはりため息をつく。
その場に座って、レイヴンに視線をやる。
「食べますか」
「うん」
スネイルがちぎった肉は一口大ではない。勿論小さいものもあるが、どれもおおよそ鶏胸肉の半分ほどの大きさである。早く終わらせたい思いが千切る肉の大きさに表れていた。
肉を持つと血が滴って床に落ちる。スネイルは意を決して口を開くと、がぶりとかぶりつく。口の中に広がる血の味。ぶにょぶにょとした舌触り。こってりとして重いだけの脂の臭い。肉の旨みなど一切感じることができない。それでもなんとか歯で咀嚼するたびに、肉から血と油が滲み出て口の中にたまっていく。それを飲み干し、咀嚼する。スネイルの眉間には皺ができていた。
なんとか一つの肉を胃に収め、口の周りを袖で拭いながらレイヴンにちらと視線をやる。
案外平気そうな顔で両手で肉を持ち食い千切っている。咀嚼、嚥下、咀嚼、嚥下。滞りがない。見れば肉塊も明らかに減っている。
これは、いけるのではないか?
果たして10キロの肉が何人分に相当するかは分からないが、スネイルは一抹の希望を見た気がした。
***
スネイルが、あの意外と大きな口を開けて、肉に齧り付く。犬歯と歯茎を剥き出しにして噛みちぎる。頬を膨らませて咀嚼し、飲み込む。喉の隆起が見える。口の周りについた肉汁を拭う。
レイヴンは、赤らんだ頬を隠すように次から次へと肉を飲み込む。

しかし、見てしまう。見惚れてしまう。
でも、たぶん、というか絶対、言ったら怒られる。
***
肉はみるみる減り、半分ほどになったところでいよいよスネイルは口元を押さえて後ろに倒れた。
「何故、私がこんな目に……」
その様子を見ながらもレイヴンはもぐもぐと肉を咀嚼をやめなかった。二人で丁度半分食べた。つまり、単純計算で恐らく一人2.5キロ。レイヴンのボディスーツに包まれた下腹はぽっこりしていた。
「しかしよく食べますね、あなたは……」
レイヴンはもぐもぐと肉を咀嚼していたので、しっかりそれを飲み込んでから口を開く。
「お腹いっぱいになったことないの」
へー。とスネイルは思った。
……ん?
いや、それは
「今すぐ食べるのをやめなさい!!」
「どうして?」
満腹中枢がイカれてるだけじゃないか!!
もし、このままキャパシティオーバーしたレイヴンが嘔吐したとして、「肉の完食」の「肉」にその嘔吐物も含まれていたとしたら、悪夢だ。
レイヴンから肉をとりあげたスネイルは、ハアハアと肩をいからせきょとんとしたレイヴンを見下ろしている。髪を乱したスネイルを見上げるレイヴンは、眉を下げて「ごめんなさい」と口にした。
「私、役に立たないね」
「……」
かける言葉が見つからない。さっきは一抹の希望を見たが、戦力が減った今見えるのは絶望だけだ。
それを言葉にするのも酷だと思ったスネイルは、無言でレイヴンに背中を向けて横になる。べたべたの口周りが気持ち悪かったが、ややして背中に慣れ親しんだ温度がくっついてきたため、ある程度は安眠できた。
***
うすら目を開く。真っ白の天井。真っ白の壁、真っ白の床。
中央には、崩れた肉。
この部屋の気温が何度かは分からないが、見た感じ腐った様子もないので安堵する。また喉の渇きがなければ、排泄欲も無い。本当に「肉を食べる」ことにのみ重きを置いた部屋なのだと疲弊した脳みそで理解する。
寝ている間に気付けばいつもの癖で抱きしめていた少女が「んん」と身を捩る。ぱちりと大きな眼を開いて見上げてくる。
「おはよう、スネイル」
「……ええ」
この時計も何もない部屋で狂わずにいられるのは、彼女のおかげかもしれないとスネイルは思ったが、口にするのはやめた。
スネイルの腕の中から這い出たレイヴンはまた肉に手を伸ばす。一つ手に取り、上を向いて口を開けて舌を出して、そこに肉を乗せてずるんと飲み込む。
「……レイヴン」
「?」
スネイルも体を起こして彼女を呼ぶ。
「もう、食べるのをやめなさい」
仮想空間で起きた身体ダメージは現実世界に影響はない。だが、精神ダメージは例外だ。この旧世代は満腹中枢以外の機能もトんでいる可能性だって大いにある。このまま続けて、どんなショックが起こるか分からない。
レイヴンはじっとスネイルを見ていた。なにも感情の読み取れないふたつまなこだ。ややして控えめに頷く。
「分かった」


それから、スネイルはひたすら食べた。
血が口を伝い、顎先から滴り、それも気にせずまた肉にかぶりつく。口周りの血はもうほとんど拭わず、ひたすら牙を肉につきさし喉を唸らせ飲み込む。
腹はとっくに満腹だ。口が拒否して舌が逃げる。喉肉が戦慄き、嘔吐感が湧き上がる。だが、喉を逆流せんとするものを更に肉で押し込み、また腕を伸ばす。
意に反する食事を続け、気付くと彼は肉の血まみれだった。
レイヴンは、愛しい恋人が血に塗れながら肉を食べる姿を、膝を抱えてただじっと見つめていた。

そうして最後に残った肉片を口に入れ、歯を食いしばって飲み込む。
ピッピロピー♪
なんとも場に不釣り合いな軽快な音楽が流れる。
肉が残した血まみれの場所から光が強くなり、徐々に広がっていく。
光が強くなる中レイヴンはスネイルに飛びついた。ありがとう、おつかれさま、なんて言われた気がするが、疲労困憊でぼうっとしているスネイルの耳にはうまく届かなかった。
***
『レイヴン!ああよかった!』
目覚めて最初に認識したのは、エアの声だ。
『お疲れ様です。ポッドが開きます、危ないので動かないでお待ちくださ』
レイヴンは開きゆくポッドを蹴り開ける。ビーーー!!と警告音が鳴り響いたが、構わず隣のスネイルに駆け寄る。
「スネイル!!」
脂汗を滲ませ目を閉じたまま呻いている恋人の姿に、レイヴンはもう一度名前を叫ぶ。
スネイルの目がゆっくり開く。
「……ヴン」
「スネイル!よかった!大丈夫?苦しくない?」
「…………い」
「え?」
「…………………きもちわるい」
***
レイヴンはトイレの前で膝を抱えていた。中からはスネイルが呪詛と呪詛の間に盛大に吐く音がきこえてくる。
20分ほどしてトイレから出てきた真っ青の顔のスネイルにレイヴンはすかさず抱きつく。
「大丈夫?」
「大丈夫に見えますか?」
げっそりとしたスネイルが睨みながら離れろとジェスチャーする。大人しく離れたレイヴンは、手洗い場でスネイルが手を洗うのを待ち、また隣に並んで二人でアーキバスの廊下に出る。
横に並んで歩きながら、レイヴンはスネイルをちらっと見上げる。
「手、繋ぎたい」
「嫌です」
あ、機嫌悪い、とレイヴンは思った。
***
結局、バグの原因は分からずじまいだが、ーー一応解決には至った。
これまでバグが起きた状態でのシミュレーションは外部からのアクセスが不可能だったが、何故か今回ばかりは外から仮想空間内での二人の状態が見えた。状況を見て即座にログアウトさせる案も出たが、いかんせんこの状況下での強制ログアウトは何が起きるか分からないということで安全第一に二人が自動離脱するのを待つこととなった。
どちらにせよ、今回これだけのデータが集まったならバグの解決はもう成したも同然である。
技術班は、今回のイレギュラーについて、「強化人間……特に最新手術を終えたスネイル閣下ですからコネクタ接続にエラーが発生したのかもしれません」と述べた。
実に曖昧な考察で、実際のところはなにも分からないが、もし仮にそうだとしたら、上層部の読みは当たっていたと言うことになる。
つまり、だ。
やはりスネイルの機嫌は、最高に悪かった。
***
「……」
「……」
丸一日は何も食べたくない。
げっそりとしたスネイルが自室備え付けのシャワーを浴びて出てくると、帰らせたはずのレイヴンが床で座っているではないか。
「まだいたのですか」
「……あなたに謝ることがある」
「はあ」
「無理について行ったくせに、役に立たなくてごめんなさい」
顔を伏せるレイヴンを見下ろしたまま、スネイルは考える。
もし、今回のシミュレーションが一人だったらーーゾッとする。
「そうですね。次からは私に逆らわないように」
「あとね、」
「はい」
「あなたが苦しんでいる時、私……苦しんでいなかった」
「それはそうでしょう。ほとんど私が食べたのですから」
「ううんちがう、えっとね……その、…………怒らない?」
「分かりません」
レイヴンは顔を逸らす。
「あなたが無理矢理食べる姿……すっごく、セクシーだった」
反応が無い。
レイヴンは恐る恐る顔を上げる。

ド ン 引 き。

「…………帰ってください」
「ごめんスネイルねえちがうのきらいにならないできらいにならないできらいに」
「なってないなってないですから帰ってください今すぐ」
「うそうそうそうそうそうそなのぜんぶうそじょうだんねえスネ」
「帰れ」
「あしたもくるねすねい」
少女を部屋の外に押し出し、扉にしっかりと鍵をしたスネイルはハアハアと恐怖で引き攣った顔で肩で息をしていた。

その後、スネイルに1ヶ月近く避けられたレイヴンの限界がきてアーキバス本社にACで乗り込むことになったのはまた別の話。