ハメ撮りを送りつける話
簓と初めて会った日のことを思い出していた。雨、そう雨が降っていた。雨粒が窓に叩きつけられる音ばかり聞こえる土砂降りの日、簓は拙僧を見つけた。傘を持っていなかったから拙僧は事務所で雨宿りしていた。後から本人に聞いた話だと、簓もあの日雨宿りをしていたらしい。嘘かもしれないけれど、それがいいなと思った。土砂降りの雨宿りで居合わせた者同士、拙僧ら二人にはピッタリだ。
その日はこれといった予定が無かった。省エネ志向の拙僧はその日は寝て過ごそうと朝いちばんから決めていた。左馬刻の部屋なら許可が無いと誰も入ってこないし寝るには丁度いい。早速そこに向かうとラッキーなことに部屋の主は留守だった。寝心地のよいお気に入りのレザーソファーに飛び込むように横になった。それから目を閉じてすぐ、部屋の扉が開く音がした。
「君、お寺の子ねんて?」
ぱちり。ソファーで眠っていた拙僧は瞳を開ける。そのまま瞳だけを声がした方に動かすと、ソファーの背もたれに肘をついて見たことが無い男がこちらを覗き込んでいた。ザーザー。ノイズのような雨音の中、男の声は不思議なほどよく通った。
「だれ」
「ちょっとここ、タッチしてくれん?」
拙僧の言葉を無視して男がズイッと差し出してきたのはスマートフォンだ。寝起きの剥き出しの眼にブルーライトが文字通り刺さるようで、思わず顔を顰める。露骨に疎ましがる拙僧に構わず、男は「一回二百五十ジェム」と「十回二千五百ジェム」という大きなボタンの内、「十回〜」の方を指で「こっち、こっちな」と指す。
「……」
いつもならこの時点で無視をするか、もっと機嫌が悪ければ手が出ていただろう。しかし、どうにもこの男からは尋常でない気配がした。この一連の不躾も、この男の頭が足りていないのではなく、会ったばかりの拙僧が腹を立てるギリギリのラインが見えていてあえてそこに迫っているような狡猾さが細い指先に滲んでいた。実際、この男の距離感とか、口調とか、たしかに不愉快なのだが、一線はたしかに引かれている。つまり、何が言いたいかと言うと、この男はこの一瞬で十二分に己の賢さを拙僧にアピールしていた。
そして拙僧は賢い大人に弱い。
指を持ち上げて言われたボタンをタップする。画面が切り替わる。R、R、SR、R、……
「おー!SSRやん!やーすごい!えらいねぇ!」
わしゃわしゃと頭を撫でられる。頭を撫でられるのは嫌いではない、賢い大人からに限って。フン、と鼻を鳴らす。
「頭触んな」
「お礼に車でうまいもん食わせに連れてったろ。くるやろ?」
「いく」
ソファーから立ち上がり、欠伸をしながら伸びをする。肩甲骨を伸ばしながら振り返って、ソファー越しに立つ男の身長が意外と高いことに気付く。頭の先からつま先を視線で何度も往復していると、携帯を尻ポケットに仕舞った男が背筋を伸ばしてこちらを見た。その立ち姿が一瞬息を呑むくらい整っていて面食らった。擦り傷一つでもできたら全身がほろほろ崩れてしまうんじゃないの、そんな危惧感を抱くほど男は完璧だがどこか儚い。横顔なんて特に、ほら、ああ…………男が笑う。ハッとして開いていた口を閉じる。
「俺な、簓。白膠木簓。呼んでみ?」
言う事に従いたい、と丁度思っていたので、その申し出はありがたかった。
「ささら」
「いい子」
じゃ、行こっか、と言って拙僧の前を歩く男の背についていきながら、ああ、やばいかも、って思った。
結論から言うと、その晩に処女を食われた。
「かわいいね」「俺、きつい目の別嬪好きやねん」「君とかすっごいタイプやわぁ」「なあ俺とか、どう?」
よく覚えてないけれど、たぶん、酒を飲まされた。だからか、簓の言葉はびっくりするくらいするすると耳から脳に届いて拙僧を気持ちよくさせた。東都に出てから似たような言葉を浴びせられることは何度かあったけれど、簓のそれは別物だった。簓は賢い。賢い大人。絡めとられることに無抵抗でいるのがこんなに心地よいなんて知らなかった。東都にくる前、拙僧の周りの大人たちは拙僧を守ろうとばかりしていたから。
うん、この男なら、忘れさせてくれるかも。
抱かれた時、痛すぎて泣いた。簓は慰めるでもなく、「泣いている顔がかわいい」と拙僧の頬を撫でた。別に守っているわけでもなかった大事なものを奪われたその晩、拙僧はあの男のことを思い出して、悲しくないのにまた涙がこぼれた。
わざとゆっくりゆっくり抜くさまを、簓は熱心にカメラに映していた。つぷん、と抜けきると奥からとろとろと残滓が垂れる。その様をよくよく映してようやく録画を停止する音がきこえた。
「ハー……これ売ったら高いやろなぁ」
売らんけど。とぼそりと言って、簓は携帯を操作しながら素早く数枚抜き取ったティッシュで己の局部を拭う。
「売らねぇの?」
「売るかい。くうちゃんは簓さん専用やからな〜」
拙僧もどろどろの股間を早くきれいにしたかった。でも体を起こす気力はもう残っていないし、腰はばかほど痛い。簓が気付いてくれないかな……とちらりと男を伺うが、彼はさっき撮ったばかりの映像に夢中である。
「あ〜ものごっつかわいいわぁ。見る?」
簓が拙僧の隣で横になって、ほらと携帯の画面を見せてくる。激しく上下に動く画面、ぐちゃぐちゃの顔の拙僧のうるさいくらいの喘ぎ声。ぐちゃぐちゃの結合部。これがそんなにいいものか?と眉間に皺を寄せる。
簓の要求にはなるべく応えるようにしていた。一緒に住みたい、と言われたから部屋に転がり込んだ。ベランダでヤりたいと言われたらヤらせた。ハメ撮りをしたいと言われたからさせた。それだけだ。
簓の言う事に従った拙僧のことを、簓は基本的に褒めるけど、たまに呆れる時もある。「お前、簓さんがしろっていったらなんでもすんの?」って言われたからうんって答えた時もだ。簓は何か言おうとして、結局言葉がまとまらなくて、拙僧の頭をぽんと押した。あ、呆れてる、ってわかった。
分かってる。二人の間には圧倒的に言葉が足りていない。拙僧は簓を通してしか自分を見ない。歪。二人の関係を表す言葉は無い。それが心地よくて、この男のそばにいるのがやめられない。共にいればいるほど自分がすり減っていくことが分かっていても、やめられない。きっとこの生活を続けた先に拙僧はどこにもいなくなるんだろう。でもその時は簓も一緒だから、別に、怖くないと思う。
「な?かわええやろ」
「かわいくない」
「うせやん!」
大げさに驚いたリアクションをする簓がおかしくて、ヒヒッと笑う。
心地よかった。簓といることを選んだのは拙僧自身だ。
夕暮れの陽が窓から射し込んで八畳のワンルームをオレンジ色でいっぱいにしていた。オレンジ色の簓はいっとう好きだ。優しく見えるから。それを伝えようと思う気まぐれが胸中に湧いた、時。
“クソ弁護士『元気か?』”
画面上部にバナー表示された通知はすべてをぶち壊した。
目を見開く。
なんで、今。
「だれ?」
隣の簓が発した声があまりにも優しくて全身に鳥肌が立つ。平静を保てなかったのは全て己の未熟さ故だ。力の入らない腕で携帯を簓の手から無我夢中でむしり取る。
簓に背中を向けて、メッセージを開く。最後のやりとりは二か月前。業務連絡で終わっていたそれの今日新たに更新された部分が輝いて目に痛いほど。
結局、拙僧は、この男を忘れられていないし、簓はまだ忘れさせるに至ってない。
たった一度の、相手の顔も見えないメッセージで簓が横にいるのにこんなに舞い上がってしまう。口角はゆるゆるだし、耳まで熱くて体は宙に浮きそう。思わず獄のアイコンをタップして、プロフィールを開いた。
瞬間、ホーム画面いっぱいに表示される知らない女の顔。
息が止まる。酸素を求めてハッハッと喘ぐ。背中に冷や汗が垂れて、肋骨が軋んだように痛む。
おもいっきりあがって、おもいっきりおとされた。
「夕飯、――でええ?」
背後で簓がなにか言った。しかし耳鳴りが酷くて聞き取れなかった。ぶるぶる震える腕でプロフィール画面を閉じて、なんとか細いながらまた息が通る。涎が口端から垂れて枕に染みを作るのが分かる。
ぶっ殺された方がマシ。
咄嗟に頭をよぎるのはそれ。結局拙僧はなにも変わっていない。拙僧が望んでいたものは拙僧が思っているより単純だった。ただあの男を忘れたかった。忘れられなかった。憎い。憎くてたまらなくて歯を噛み締める。拙僧をここまで苦しめるあの男が。愛おしい。愛おしくてたまらなくて目にじわぁと涙がたまる。相反する二つの感情の間で磨り潰されそうになりながら、一つはっきりと確かなのは、今すぐ獄に殺された方がマシだってことだけだ。
なら、死んでみる?
トークメッセージ入力欄の隣にある写真アイコンをタップする。一番上に表示される、曖昧に肌色がぼやけたサムネイルの動画ファイル。十分四十三秒のそれ。タップすると、選択されたという意味合いでファイルを囲む四方が白から緑になる。あとは送信ボタンを押すだけ。これで死ねる。
「あーやっぱ肉食いたいなぁ……」
簓がまたなにか言う。今の男と昔の男が交差する。頭がおかしくなりそうだ。指が震える。じっとりとスマホを掴む手のひらに汗が滲む。獄、簓、ささら、ひとや、拙僧は、せっそうは、オレは!!
「ん」
「あ」
背後から伸びてきた簓の白い指が、あっと思う間もなく送信ボタンを押した。
「あ」
また声が漏れた。大きなサイズのファイルだからまだ送信完了にはなっていない。残り三十秒。そんな表示が、秒読みとはおよそほど遠い不規則なリズムで徐々に減っていく。いま送信停止すればまだ間に合う。オレの命のカウントダウン。
二十秒、二十二秒、十五秒、十秒……
腹に簓の両腕が回る。ちゅ、と頬にキスされて、鼻から変な汁が出るかと思った。おかしくなる。おかしくなる。カァカァ、カラスが鳴いている。
九、八、七、九、六、……
「空却」
五、四、三、一、
「夕飯、食べにいこっか」
送信完了。全身の輪郭が背後からくっついてくる簓と有耶無耶になる。一つになった。オレは、拙僧は、死ん