8x3honey

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「ルミナスメイズの森には魔女がいるらしい。」

まるでとっておきの秘密を話すかのように、声を潜めたダンデが言う。
聞き手であるキバナはソファの上にだらしなく寝転がったまま、「ふーん」と気のない返事をした。
だって魔女だなんて。どうせブリムオンの姿を見間違えたとか、そういうオチがつくに違いない。都市伝説めいたものは嫌いではなかったが、生憎と今のキバナには余裕が無いのである。お菓子で出来た家に住んでるなんていうファンシーな文言が続くようなら鼻で笑ってやろうと考えていたら、キバナの態度の悪さを歯牙にもかけない穏やかさでダンデが続けた。

「あらゆるポケモンの、あらゆる怪我や病気を治してくれるそうだ。」
「……へぇ?」

なるほど、そう来たか。
顔の上に載せていた雑誌をテーブルの上に適当に放り投げる。長いことそうしていたから、暗闇に慣れた目がチカチカした。

見上げたダンデはごく真面目な顔をしていて、とても冗談を言っているようには見えない。なんて言おうか考えあぐねている間に、いつの間に淹れたのか、インスタントコーヒーのマグを渡された。
ぼんやり受け取って、考える。
魔女。脳裏に浮かぶのは黒衣を纏い、木の杖を持った腰の曲がった老婆である。魔女がグツグツと煮える大釜にヤトウモリの尻尾やグライガーの爪、ツチニンの抜け殻を入れてぐるぐるかき混ぜ、甲高い声で高笑いするところまで想像して、キバナは頭を振った。ダメだ。疲れている。
ダンデが淹れたインスタントコーヒーは妙に薄かったけれど、飲み物を久々に摂取する体はそれでも喜んだ。思い出したように腹が鳴って、それを見計らったようにダンデがサンドイッチを差し出してくる。BLTサンド。礼を言って受け取れば、サンドイッチを貰ったキバナより嬉しそうな顔をした。そういえば昨日は何も食べなかったような。

BLTサンドを齧りながら、もう一度、今度は真面目に魔女について考えてみた。

「魔女なぁ……。」

彼の最愛のパートナーであるジュラルドンに異変が見られたのは、今から二週間前のことだ。





その日はスポンサーの名前を冠したバトル大会の日で、全行程終了後にキバナとヤローのエキシビジョンマッチが行われた。ヤローは砂嵐対策に雨乞いを使ってきて、ジュラルドンが途中で水浸しになる憂き目にはあったが無事勝利した。その翌日のことだ。
ジュラルドンに錆が出た。
彼の体は金属の中でも特に軽い金属に似た生体組織でできている。そのため巨体に見合わぬスピードを持っているが、錆びやすいのが玉に瑕だ。だから普段から錆対策だけはしっかりしているし、対策虚しく錆びてしまった時の処理の仕方も熟知していたためそう焦らず元のピカピカに戻してやった。
問題はその次の日も、朝起きたら錆が浮いていたことだ。
一度ならば自分の処理が甘かったと謝って、もう一度掃除をやり直すだけで済んだ。それが二日も三日も続いて、段々錆の範囲が広がってきたらもうただ事ではない。極秘裏に診察を頼んだジョーイさんにもマグノリア博士にも原因不明と言われてしまい、手をこまねいている内に、ジュラルドンはすっかり弱って一日の殆どを寝て過ごすようになっている。

ナックルジムは閉めた。ジムチャレンジ期間でなかったのは不幸中の幸いだった。
1週間と少しの間は時間がある限り情報収集を続けていたが、著名な医者も、テレビに出るような研究者も、心当たりは全て当たって手がかりがなく、この数日は自暴自棄な生活を続けている。
心配したダンデが数日に一回様子を見にくるようになって今日で確か3回目。誰から聞いたのか、おとぎ話のような噂を引っ提げて来たらしい。

正直な話、1週間前ならば一も二もなく飛びついた話だと思う。カブさんに聞いたホウエンのことわざ、「下手な鉄砲数打ちゃ当たる」。トライアンドエラーは得意分野だ。大事なパートナーのために出来ること全てをやってやろうという気概はあった。あった、はずだった。けれど今、せっかくの手がかりの前で足踏みをしている。
理由は分かっていた。ドラゴンストームともあろうものが、臆病風に吹かれているのだ。

医者がダメと言った。
研究者がダメと言った。
神秘の力に縋って尚、どうにもならなかったその時は、次は何に縋ればいい?



「……キバナ。」


呼ぶ声は静かだった。

「大丈夫だ、キバナ。」

見透かされた気がした。
(もうジュラルドンは戦えないのかもしれない)(俺のせい)(ジュラルドンが死んでしまったらどうしよう)(治らないのかも)
トップジムリーダーとして、声に出せずに飲み込んだ言葉の数々。
無敗の王者は悠然と笑う。

「大丈夫だ。」
「……。」

強い瞳と、強い言葉。
それだけで本当に大丈夫な気がしてくるから不思議だった。

「早く治してもらって、また俺に負かされに来てくれよ。」
「……うるせぇ!」

手近な物が何も無かったので、頭からむしったヘアバンドを投げつけた。
彼は笑って受け止めて頭上に掲げたので、キバナはそれを取り返すために立ち上がる羽目になった。
あんなに腰が重かったのが嘘のようだった。








アラベスクタウン手前にあるルミナスメイズの森は、エスパータイプやフェアリータイプのポケモンが多く生息する幻想的な場所だ。散在する光るキノコはとても美しいけれど、一本道にも関わらず迷う者が後を絶たない惑わしの森でもあった。
ドラゴンタイプの遣い手としては、正直この森は(近くに住むばあさん含めて)できるだけ近寄りたくない。
けれども問題の『魔女』とやらは、この森の中に住んでいるらしかった。

「……よし、行くぞ。」

思い切り深呼吸をして、キバナは森に踏み入った。



ダンデ曰く、魔女に会うためには一人で来なくてはならないらしい。求める者の心根が善良ならば、森を進む内に不思議と魔女の家に行き着くそうだ。嘘くさい。道なりに進むとアラベスクタウンについてしまうので途中で道を外れる必要があるが、いたずら好きのポケモンが多いこの森で道無き道を往くのは相当に骨が折れそうに思われた。
半ばまで進んだ後、キバナは意を決して道を外れた。茂みを掻き分け先へと進む。そういう遊びだと勘違いしたらしいネマシュが後を付いてきたが、特に害はないので放っておいた。

しばらく歩き続けたが、特に変わったものは見つからない。ぼんやりと光るキノコが点々と生えているばかり。
振り向けばネマシュは2匹に増えていた。

それでも歩き続けて流石に少し疲れてきた。
手頃な木の根に座り込んでリュックを開き、サンドイッチと水の入ったペットボトルを取り出す。
ふと思い立ってネマシュの方を振り向くと、ネマシュは4匹に増えていた。ひとくち分を契って放ってやると、嬉しそうにワラワラと集まってくる。口がどこにあるのかサッパリ分からないが、ちゃんと食べられているらしい。

「なあ、おまえら。魔女の家を知らないか?」

ネマシュたちはピタリと動きを止めてキバナを見上げた。首……がどこだかも正直分からないが、小首を傾げているような気がする。
話を聞いてくれている素振りがあるので、ジュラルドンが入ったボールを彼らに見せてみた。

「俺の大事なパートナーのジュラルドンが、おかしな病気にかかっちまったんだ。魔女の手を借りたい。おまえらの住処を荒らして申し訳ないが、魔女に会えたら直ぐに出ていくよ。見たことないか?」

ネマシュたちはワッと集まって円陣を組んだ。内緒話をしているように見えるが、伝わっているのだろうか。やはり手持ち以外のポケモンとの意思疎通は難しいなと苦笑して、手の中のボールを見つめた。いつもであれば元気いっぱいにボールを揺らすジュラルドンは、今は静かに目を伏せて、起きているのか寝ているのかも分からない。
ずっと、オレさまのせいでと思う気持ちが強くて何も声をかけてあげられなかった。今は違う。かける言葉は見つかった。教えてくれたのは生涯のライバル。

「『大丈夫』だぜ、ジュラルドン。」

ボールはカタンと弱々しく揺れた。



ルミナスメイズの森はそう大きな森では無いから、これだけ歩けば端に辿り着きそうなものだが、未だに魔女の家も見つからなければ森も抜けられていないとくれば、何かポケモンに惑わされているのは確実だった。
気づけばネマシュは8匹に増え、一列縦隊を組んでぴょんぴょん付いてくる。足元にまとわりついてくるのはベロバーで、数匹が交代ごうたい様子を見に来ているようだ。遠くからこちらを伺っているポニータに、ふわふわ浮かぶヤバチャの姿もある。マーイーカが二匹顔周りにまとわりついて進みにくいので、生贄としてヌメルゴンを召喚した。ヌメルゴンは世話好きで、身体の小さなポケモンと遊んでやるのが好きなのだ。目論見通り、マーイーカはヌメルゴンにじゃれつきだした。

やがて霧がでてきた。

「まずいな……。」

ただでさえ土地勘が働かない森の中。その上既に迷っているようなものだ。戻った方がいいかと考え後ろを振り向いたが、数メートル先すら白く霞んでいて尻込みする。

足元さえ見失いそうな濃霧の中、それは静かに佇んでいた。


「へえ。珍しいな。イエッサンか。」


オスとメスで見た目も能力も違う珍しいポケモンだ。人間に友好的だが個体数が少なく野生での目撃例が少ない。
キバナの前に現れたのはオスのイエッサンで、三白眼をじっとこちらに向けていた。
俄に騒ぎ出したネマシュたちがぴょんぴょんと足元を跳ね回る。キバナの耳には「マシュ、マシュ、」としか聞こえないが、ポケモン同士では意思疎通ができているのだろうか。
イエッサンはキバナを見、ネマシュを見、それからまたキバナを……ではなく、キバナが手に持つボールを見た。


「あっ!おい!」

まるで着いてこいと言わんがばかりに、少しだけ振り返って歩き出した。

霧は更に濃くなって、ほんの数メートル先のイエッサンを見失わないように歩くので精一杯だ。
はぐれないようヌメルゴンはボールに戻した。周りのポケモンたちはいつの間にかいなくなっている。





ふとイエッサンが立ち止まった。



『珍しい客人ですね。』



霧の中から声がして総毛立った。
ついに辿り着いたのだ。

「貴方が魔女か」
『……そうですね。人が私をそう呼ぶので、定着してしまったようなものですが。』

ゆったりと落ち着いた女の声だった。
緊張してカラカラな喉からは嗄れた声が出たが構ってはいられない。
耳を澄ませども反響する声はどこから聞こえているのか特定することままならず、気配などまるで感じることが出来なかった。

「俺の大切なパートナーが目覚めなくなった。医者も研究者もお手上げだそうだ。見てやって欲しい。」
『……貴方の大切なパートナーとやらが治った暁には、貴方は私に幾ら支払うことができますか?』

息を、飲んだ。
耳を疑った。噛み締めた歯が擦れてギシリと嫌な音を立てる。

「……テメェで値段をつけろ、と?」
『私が値段をつけるより、貴方が値段をつけた方が納得するでしょう?金額如何ではまあ、お帰り願うこともあるかもしれませんが。』
「………クソッタレ。」
『魔女、ですもの。』

まだ見ぬ魔女の顔はさぞかし醜悪なのだろうとギリギリと奥歯を噛んで、キバナは考えた。
ジュラルドンの命と引き換えにするもの。
10万……そんなもんじゃ到底足りない。100万……まだ足りない。
いくら払っても足りる気がしない。
それなりの金額を支払う覚悟はあった。これならいっその事値段を提示された方がどれだけ気楽だったことか。
少し考えて、キバナは口を開いた。

「オレが払えるのは、残りのオレの人生だ。」
『人生?』
「ああ。金だけじゃ足りねえ。もし治してくれるなら、オレに出来ることは何でもしよう。……人殺し、とかは勘弁だけど」
『……それほどその子が大事だと?』
「大切なパートナーだからな。」

いつかダンデを倒す時、その場にいるのは他のジュラルドンではなく、コイツがよかった。


くす、と空気が漏れる音。恐らく笑い声だ。
そう思った瞬間、分厚い壁のようだった霧が瞬く間に晴れて、目の前にレンガづくりの小さな家が現れた。その前に、うつくしい女性がひとり。
シルエットこそブリムオンに似てはいたけれど、キバナが想像していた魔女像よりずっと若い美人が、白いワンピースの裾を摘んでお辞儀をした。

「ようこそ、魔女の館へ。」







招き入れられた家の屋根には何かの蔦が巻き付き、窓辺には沢山の小さなブーケが逆さまに吊りさがっていた。陽の当たる所には小さな鉢植えが並び、魔女の家と言うより花屋のような見てくれだ。白いワンピースに銀色の長い髪がまるで色違いのブリムオンのような魔女はティーセットを持ってきた。

「ネマシュたちから聞いて、そろそろ辿り着く頃かと思って。ハーブティーを淹れておいたんだけど、いかが?」

毒、という言葉が頭を過ぎったが、にこにこ微笑む顔からは敵意は感じられない。
勧められるがまま席に着いた。

「あのネマシュはきみのだったのか。」

道理で人懐こいと思ったと続けようとしたが、魔女は美しいかんばせを横に振る。

「あのネマシュは野生。ネマシュだけじゃなくて、イエッサンもマーイーカもベロバーも、霧を作り出したりエコーボイスでわたしの声を増幅してくれたシュシュプも野生。怪我をした時診てあげる代わりに、ここを訪れる人の選別試験に協力してもらっているんだ。」
「選別試験?」
「わたしの使う医術は古には魔術と呼ばれたものもあるし、人道的に一般公開することの出来ないものも多くてね。万が一にも心根の悪い者に知られる訳にはいかないから、いくつかの条件を付けさせてもらっているわけ。」

とぷとぷとぷ……、とカップに茶が注がれた。
魔女の言ういくつかの条件には心当たりがある。

「『森には一人で行かなくてはならない』。」
「そ。複数人で来ても、案内人であるネマシュは目の前に現れない。他にあといくつかあって、キミはそれを全てクリアした。」

コトンと目の前にカップが置かれる。

「おめでとう、ドラゴンストームキバナくん。ルミナスメイズの森の魔女は、キミとキミのポケモンのために力を尽くそう。」

驚いた顔をしたキバナに、魔女はクスクスと可笑しそうに笑った。

「人は此処を人の世の理から外れた場所のように噂するけれど、此処にはテレビもあるし、ネット回線も通ってる。それに、わたしはキミのポケスタグラムをフォローしているし」
「思っていたより俗世に詳しいんだな……。」
「まあ、とにかく、わたしはキミのファンというわけ。」

ポケットから取り出したモンスターボール。覗き込めば、中には眠り込んだジュラルドン。

「助けてもらえるか……あー、」

『魔女』と呼ぶのは憚られて言葉に詰まった。
一方の魔女は実に魔女らしく妖艶に微笑み、ボールを受け取った。

「滅多に呼ばれることは無いけれど、わたしの名前は由仁だよ、キバナくん。ジュラルドンのことは任せて欲しい。わたしが、またバトルが出来るようにしてあげる。」


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