8x3honey

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片翼の烏


通りは俗物で溢れかえっていた。

華やかな表通りとはまるで別世界だ。日常に飽きた貴族が物珍しさにかられて足繁く通う。
嗄れた声を精一杯張り上げた客引きは喧しく騒ぎ立てて通行人の気を引き、道端に倒れた男からは酒精の臭い。暗がりでは薄衣の女が手をこまねき、その更に奥には冷たくなった人間が横たわる。
秩序も何もない路地を歩く斎宮宗は、息を止め、眉間に皺を寄せ、鳥肌を立たせながら進んでいた。
普段であればこんな道通ることすら億劫であるが、今日は目的があるから仕方ない。路地、建物の隙間、物陰、くまなく目を走らせては俗物の汚らしさに吐き気を催す。

宗が歩いているのは深夜の劇場裏通り。
一切の秩序が排除された無法地帯である。



(いったいこんなもののどこに金を払う価値があるのだか……やはり俗物の考えは分からないのだよ。)

独りごちた宗は自らの作品を思った。
天女の纏う羽衣のごとき白さと滑らかさを持つ肌。ルビーの輝きを放つ瞳は深い色をたたえ、愛らしい唇から零れる声は楽園の響き。
可愛い可愛い僕のマリオネット。




「さぁ、いらはいいらはい!そこの道行くお兄はん、見ていっておくんなせえ!世にも珍しい『宝石の涙』を零す人間やでぇ!おっと、お姉はん、興味ありまっか?是非見ていってやぁ!ココだけの話、見目もとてつもなく麗しい青年でっせぇ!」



威勢のいい商人の声が飛び込んできた。独特な訛りだ。内容から推察するに見世物小屋らしい。
ほんの少しだけ興味をそそられて目をやった先には大きな檻があった。
隅っこに、人影。

体育座りをした緑の黒髪の青年はしくしく泣いていた。左眼は青、右眼は黄色。色違いの双眸から零れた涙は頬を伝う端から固まって、床に零れ落ちる時にはキラキラと照明を反射する宝石になってバラバラと散らばっていた。
そこだけ見れば幻想的とも言える不思議な光景だ。青年の足に、重く冷たそうな枷が嵌められていなければ。
「おお、」
「なんと美しい」
それは醜悪な光景であった。
人を売り物にした見世物は一応政府に規制されているはずだ。それを知りながら笑って呼び込みをする店主も、他人を押しのけて見物しようとする客も、みな等しく怪物であった。
青年の、色の白い頬を伝う宝石。後から後から流れては固まって、檻の中、敷かれたベニヤ板の上は宝石の山。
魅入られた1人が手を伸ばして、青年が怯えたように身を縮めた。
「んあっ……ごっ、ごめんなさい、」
打たんでください、痛いのは嫌や。譫言のように呟かれた言葉のひとつひとつが哀れであった。よく見れば青年には化粧が施されていて、それで痣を隠しているらしい。長袖で隠されたガリガリの手足にもたくさんの痣が浮いている。宝石の涙を流すため、他のモノより殴られ蹴られただろうことは簡単に予想がついた。
……哀れだ。

不意に、人の壁の向こう、両の足首を鎖で繋がれた青年と目が合った。
色違いの目。
心の底から哀れんで、宗は踵を返した。








翌日も宗は見世物小屋のある通りを訪れていた。
その日はたまたまエイプリルフールの前夜で、頭の浮いた蛮族共で通りは溢れかえっていた。舌打ちして前に進む。
此処にいると言って宗を呼び出したのは旧友である。昨日からさっぱり見つからないことに腹を立てつつも、彼の狙いがそんな宗を見て楽しむことだと分かっているため態度には出さない。
昨日と同じく路地を見て、物陰を覗き、通り中を探して回る。

関西の訛りがある呼び込みの声は、今日は聞こえなかった。ほんの少し、一欠片だけ、小指の甘皮ほど気になって見てみれば、移動式の小屋があった場所には『勧告』と書かれた貼り紙がある。

(ふん。当たり前なのだよ……)

どうやらあの後差し押さえられたらしい。
昨日見た光景の匂い立つような醜悪さを思い出して、宗は整った顔を顰めた。

(だいたいにして、あの商人は自らの所有物に対する愛がなかった。モノとはいえ、自らのものを大切に扱わないからああなるんだ。嗚呼、愚かしい。青年期の良さはあんなものではないのに、足首に枷など付けて。僕であればもっと……、)

思考の波に沈みかけて、はたと気付く。

「あれは……」

薄暗い夜更けの路地裏、ゴミ捨て場。
ゴミ袋の間に埋もれるようにして、昨日の青年が蹲っていた。





声をかけたのは気紛れだ。

「……君、そんな所で何をしている」

ビク、と肩を震わせて、青年は両腕で抱え込んだ膝から顔を上げた。

「昨日の人……」

どうやら覚えられていたらしい。



「見世物小屋なら摘発されたんだろう。貼り紙を見たよ。それなのに、君は何故此処に居るんだね?どこへなりとも逃げればいい。」
青年はヘラリと締りのない顔で笑った。歪んだ笑みだった。
「親切なおまわりはんに逃してもろてんけどなぁ、行くところがないんよ。」
寝るところもなくて、とりあえずゴミ捨て場に来たらなぁ。此処あったかいなぁ。死なずに夜を越せそうやわぁ。

そんなことを笑顔で言って、裸足の足を寒そうに擦り合わせる。
痩せた足首に赤黒い痕を見て、宗は彼を憐れんだ。
数歩の距離をスタスタと長い脚で詰め、驚く彼が怯える前に細い腕を引っ掴む。

「僕のところに来い。」
「へ」
「拾ってやると言っているんだ。」

ポカンと見開かれた目は右と左で色が違う。コレは可哀想なモノだ。人として人の生き方が出来なかった、憐れな人形。出来損ない。

遠く、何処かで歓声が上がった。どうやら日付が変わったらしい。今日はエイプリルフールだ。差し押さえの勧告文をエイプリルフールの冗談だと思っているらしいお気楽な貴族達は、貼り紙を見てまた明日来ようと笑う。

真っ直ぐ宗を見る彼の目から、ぼろりと涙が零れた。頬を伝って、顎のあたりで宝石に変わる。色は黄色。近くで見ると更に綺麗だなと思って、地面に落ちるのを見送った。

「……来るのか?来ないのか?はっきりしたまえ。僕は無駄なことが嫌いなんだ。」
「い、行ぐ……」
「そうか。……君、名前は?」
「名前……」

そこで彼は何故かまた涙ぐんだから、足元に赤い宝石が散らばった。

「か、影片みか……」
「ふむ、かげひら……影片か。悪くない名だね。名前まで半分で、出来損ないの君に合っているし。」
「ほんま?おおきに」
「褒めた訳ではないよ。」

未だ座り込んでいたみかを引っ張り上げる。彼は従順に、宗の動きに従った。

「僕は斎宮宗。自分でこう名乗るのは好きではないのだけれど、芸術家だ。」




◇◇◇◇




宗の工房は町外れ、古びた時計塔の天辺にある。老朽化が進んで新しい時計塔が建てられることになった際、取り壊されるはずだったところを買い取った。今は好き放題改装して耐震工事もバッチリな上、風呂トイレ完備どころかエレベーターまで付いている。


みかを連れたまま30階分をエレベーターで一気に昇り、ツヤツヤとビンテージ特有の輝きを発する重厚な扉を開けた。

「ただいま。」

おかえり、と返る言葉がないから、みかが不思議そうな顔をした。独り言だと思われたのだろう。けれど相手はちゃんといる。愛しい愛しいマリオネットが。
ややもして、奥の部屋から小さな物音が聞こえた。パタパタ軽い足音は走っているようだ。

間もなく姿を見せた小柄な影は、宗を見るなり飛び付いてきた。柔らかく受け止めて抱き締める。

「ただいま、仁兎。すまないね。今日も見つからなかったよ。」

ショボンと肩を落とした彼が愛らしくも可哀想で、宗は光り輝く金糸をよしよしと撫でた。

「大丈夫。きっと見つけるから。君は安心してくれていいよ。」
「……、…………。」
「ああ、心配ない。それより僕がいない間にその服を試してくれたんだね。思った通りとても似合っているよ。着心地はどうだい?」
「……!」
「そうか、よかった。」

喋れない代わりに全身で嬉しさを表現する彼は、その場でぴょんぴょん飛び跳ねて喜んだ。
「ふわわ、キレーな人やぁ……」
みかの声で漸く彼の存在に気付いたなずなが、木苺のような目をきょとんと丸める。

「仁兎、コレは影片みか。さっきそこで拾ってきた出来損ないだ。今日からここで暮らす。」
「……!」
「そして影片、この美しくも愛らしい人形は仁兎なずな。僕の最高傑作だ。今はとある事情で声が出せないが、本来なら見た目に相応しい美しい声をしている。……いいか、影片。くれぐれもその薄汚れた手で僕の仁兎に触るなよ。先に手を洗ってからにしろ。万が一にも汚したら、君じゃ到底責任が取れないからな。」
「わ、分かった。気をつけます……」

お互いに宗の陰に半分ほど隠れながら挨拶をした。この2人はどちらも人見知りだ。しかし人見知り同士だということが功を奏したのか、なずなの方からジリジリと歩み寄った。

「な、なに?」
「……、…………!」
「え?わ、ごめんなぁ。全然分からへんよ。でも、ぴょんぴょんして可愛らしなぁ。ふふ、よろしゅうお願いします。」
「…………!」
「あっこら、仁兎!それに触るな、汚いぞ!触るなら先に風呂に入れてやれ!」

宗の忠告を聞いているのかいないのか、なずなはみかの手を両手で引いて浴室へ向かった。
「まったく……」
零れ落ちる溜め息は優しい。




「なずな兄ィは……あ、なずな兄ィて呼んでもええ?おれの方が背ぇは高いけど、先輩やし」

今まで入ったことがないほど大きな浴室には、何のためなのかカウチが設置されていて、なずなはそこに腰掛けて入浴するみかを眺めている。

少しの間で仲良くなった先輩マリオネットに訊ねると、コクコクと嬉しそうに頷いた。

「おおきに。なずな兄ィは、宗さまといつから暮らしてはるの?」

指が2本立てられた。
2日、2週間、ちゃうな、2ヶ月、これもちゃう……

「2年?はぁ〜、なっがいなぁ。宗さま、長いこと大事にしてくれはる人なんや。優しいええ人に拾われて良かったわぁ、おれ。」
「…………、」
「うぉわ!?び、びっくりした。なずな兄ィ、どうしたん?綺麗な服、濡れてまうよ」

いつの間にかすぐ後ろに立っていたなずながみかの背中に手を伸ばした。柔くて白い綺麗な手で、肩甲骨のあたりを撫でられる。

「ん?ああ、傷……なずな兄ィ、心配してくれてるん?ふふ、優しいなぁ。だいじょ〜ぶ、痛ないよ。おれ、涙が宝石になるからな、鞭で打たれることも多くて……わっ、わわ、泣かんで、なずな兄ィ!」

綺麗な顔がちっとも歪まずに、涙だけがほろりと零れる様は壮観であったけれど、とてつもない罪悪感を伴った。
拭ってあげようとして、自分の手がびしょ濡れなことに気が付いた。引っ込める。

「……なずな兄ィは涙も綺麗やね。おれとは大違いや。」

歪に笑った。





入浴を済ませて工房へと戻るとナイトドレスが用意してあった。

「間に合わせだが、とりあえずそれを着ておけ。趣味で作ったものの中から一番君のサイズに合いそうなものを選んできた。女物なのは我慢しろ。仁兎のものは着られないだろうし」
「……え、ええっ!こんな綺麗な服、おれが着ていいん!?」
「それを着ないとしたら、君はその薄汚れた服で歩き回るつもりか?許さないぞ。」
「ふわぁ!ありがとう宗さま!今まで貰ったモン……まあそんなにないけど、とにかくいっちゃん嬉しいわぁ!」

体に当てがってクルクル回る。フリルとレェスがたくさんついた女物のドレスでも、綺麗なことに変わりはない。嬉しい。

いいから早く着てこいと呆れ顔の宗の隣で、なずなは何やら字を書いていた。
「なずな兄ィ、何書いてるん?」
声をかければ快く見せてくれる。というより、どうやら最初からみかに向けたメッセージだったようだ。

「わ、なずな兄ィ、字ぃもまるっこくて可愛らしなぁ。えーっと、なになに……『お師さんが作った服は着心地も良くてきれいだから、きっとみかちんも気に入るよ』……お師さんて宗さまのこと?カッコええ呼び方やな〜!おれもそう呼んでええ?」
「……好きにしたまえ。だいたいその『宗さま』というのも君が勝手に呼んでいるだけだろう」
「やって、おれ拾われた身ぃやし。宗さま……んあー、お師さんがご主人様やろ?」

当たり前の事だと思ったのに、何故か良い顔はされなかった。
「……君はまずその奴隷根性をどうにかするべきだね」
うんうん、となずなが同意する。
みかには何が悪いのか分からなかったけれど、この短時間で思考は完全に彼らに流れていた。お師さんとなずな兄ィがダメやって言うんやったら、ダメなんやろうなぁ。その程度に理解してナイトドレスに着替える。初めて履くスカートは足がスースーして、信じられないほど肌触りがよかった。

なずなは続けて『今日のところはソファで我慢して』と書いたが、みかは元々檻の中で丸まって寝ていたので文句などない。宗となずなによく似合う赤紫色のソファが、今日のところの臨時ベッドだ。
宗からも好きに使えと言われたので思い切って横になってみる。ふっかふか。すごい。

「んあ〜、気ン持ちええなぁ。幸せや〜」
「君の幸せは沸点が低いね。……おやすみ、影片。」
「……うん。おやすみ、お師さん。なずな兄ィも。」

隣室に消えて行く宗となずなを見送ろうとして、ふと思い出して背中に問いかけた。

「あ、そうや。さっきお師さん、『事情があって話せない』って言うてたやろ。なずな兄ィ、元は喋れたん?」

なずなは困ったように笑って頷く。


「……何があったか、聞いてもええのん?」
「盗まれたのだよ。」
「ぬすまれた?」



「ああ。巷を騒がせる怪盗…………僕の旧友にね。」






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