気に入らない。非常に気に入らない。
眉間に皺を寄せ、不機嫌だと丸出しにしている中也の視線の先には千尋に引っ付いている太宰。中也が不機嫌だということは判っているだろうに気付いていないふりをしているのが非常に腹が立つ。

嘗ての生で先に死んでしまった千尋が見つかり、尾崎に引き取られ早数年。漸く太宰と通じ合えたのは良いことだが、だからといって太宰ばかり構っているのは如何なものか。
否、それを千尋に云ったところで無駄だろう。くっついているのは千尋ではなく太宰なのだから。

ベタベタ、ベタベタ。
人目など気にせず四六時中べったりな太宰を見ると、中也の中に苛立ちが溜まっていく。

────俺だってやりたいことがあるンだっつーの。

出来なかったことがある。果たせなかった約束がある。
もう二度と会えないと思っていたから諦めていたというのに、また出会えたのなら叶えたいと思うのは当然のことだろう。

だから中也は。

ぎゅうぎゅうと千尋のことを抱き締め乍らちらちらと視線を向けてくる太宰に舌打ちを一つ零して、その間に割り込む。
自分よりも細く華奢な腰に手を回し、ぱちりと瞬きをしている千尋の体を己の方へ引き寄せると、中也はそのまま窓へと近づき────千尋ごと、外へと足を踏み出した。

異能力を使ってゆっくりと浮上していくと、窓から身を乗り出した太宰が中也に向かって怒鳴りつけた。

「ちょっと!!千尋をどこに連れて行くんだい中也!!」
「うるせェ!俺ァずっと我慢してンだよ!手前も少しは我慢を覚えろ!!」

返せ、と怒鳴ってくる太宰に怒鳴り返して中也は千尋の腰を抱いたまま一気に上昇する。
ビルの屋上を超えた辺りで太宰の声も聞こえなくなり、ふう、と息をつく。びゅうびゅうと風を切る音だけが耳に届き、ひんやりとした空気が先ほどまで渦巻いていた激情をゆっくりと冷ましていく。

中也、と控えめな声に名前を呼ばれて腕の中にいる千尋を見下ろす。すると千尋も中也を見上げていて、黒曜石の瞳に映る自分を見た。

「急に如何したの」
「あ?」
「何か、あった?」
「………別に」

子供じみた嫉妬をしただなんて素直に云えなくて、中也は千尋からそっと目を逸らした。けれども千尋には筒抜けのようで、クスクスと笑みを零している。

「前も似たようなこと、あったよね」
「あー…」

笑う千尋を横目に中也は前の生を思い出す。
弱り、道端に倒れていた千尋を拾って「羊」に入れたのは中也である。拾った当初は中也の後ろをずっとついてきていた千尋だったが、時間が経つにつれて他の仲間とも親しくなり中也の後ろをついてくることも無くなった。
特に同性である柚杏と親しくなったようで四六時中一緒にいるようになって────それが面白くなくって、今と同じように空へと連れだしたのだ。

「なァ」

何かを云おうとして言葉に詰まる。
今自分が何を云おうとしたのか、中也自身にも判らない。どんな言葉を並べたら、この心の内は晴れるというのだろうか。

「中也」

己のものよりも小さく柔らかい手が伸ばされ、中也の頬を撫でる。普段表情が乏しい顔は、いつもより柔らかく微笑んでいてその笑みから目を離すことが出来ない。

「私ね。中也とまた会えて、嬉しい」

緩く笑みを浮かべる姿に嘘は見えなくて、なんだか色々と考えてしまっている自分が馬鹿らしくなってしまった。
千尋も自分も、また此処にいる。生きて、空の下を歩いている。それで十分じゃないか。

くつりと喉を鳴らす中也の隣で、千尋がはためく髪を押さえる。

「これからどうするの」
「そうだなァ…偶にはどっか行くか」

このまま戻ってもいいが、折角太宰から引き離したのだ。空中散歩にでも出かけようか。
緩く握られた手。この手を二度と離してなるものか、と力強く握り返した。

君と歩む



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