連休前の金曜日、千尋は園子お蘭に買い物に行かないかと誘われた。初めて出来た友人からの誘いに千尋が首を縦に振らない訳もなく、すぐに頷いてみると二人が嬉しそうに笑うのでつられて千尋も笑みを浮かべる。

「真澄ちゃんは行かないの?」
「生憎と先約があってね。僕とはまた今度行こう」
「うん」

残念そうな世良の言葉に頷いて、行きたい店をピックアップしていく。どうやら園子が行きたい店が横浜にあるらしい。
ではそのまま横浜で買い物をしようと話が纏まり、じゃあまた明日と別れたのが金曜日の放課後。

ウッキウキで横浜に帰り、土曜日は友人と買い物に出掛けるのだと尾崎に告げると財布の中にお金を捩じ込まれた。ついでに中也にも。
こんなに要らないとぱんぱんに膨れた財布を手に訴えたけれど、更にお金を追加されそうになったので千尋は口を噤んだ。これ以上増やされると困る。

だが一番大変だったのは太宰である。

「何かあったらすぐ連絡するんだよ。絶対だからね」
「過保護すぎだよ」
「腕の一本か二本千切ったくらいなら揉み消せるから」
「物騒……」

この連休に泊まりがけの出張が入ってしまったようで、それに千尋を同行させるつもりだったらしい。だが友人と遊ぶと約束した以上ついて行くのは無理だ。

なので何とか説得したものの出張へ向かう直前まで物騒な言葉を吐いていた。同行予定の中島には頑張ってほしい。

色々あったが、その分楽しい一日になるだろう。
鼻歌でも歌い出しそうな程上機嫌な千尋が待ち合わせ場所に行くと、そこにはいない筈の彼がいた。

「こんにちは、千尋さん。今日も可愛らしいですね」
「こ、こんにちは……」

いない筈の彼────安室ににこやかに挨拶され、千尋はぎこちなく言葉を返す。
どうして安室が此処にいるのだろうか。疑問を口にせずとも思ったことが判ったらしく、園子が笑いを零しながら千尋の疑問を解消してくれた。

「安室さんも横浜に用事があったみたいで、ここまで連れて来てくれたの」
「そうなんだ」
「安室さん、用事は大丈夫なんですか?」

蘭の言葉に安室は眉を下げ困ったように笑う。

「それがキャンセルになってしまって……ここまで連れて来たのは僕ですし、よければ帰りも送りますよ」
「いいんですか!?」

嬉しそうな蘭と園子。
たがつまり、安室もこの買い物に同行するということだ。風船のように膨らんでいた心がしゅるしゅると萎びていく。

なんというか、大変気まずい。先日フッた相手と一緒に買い物なんて気まずすぎる。ちらり、と園子と蘭を見ると二人は楽しそうで嫌だなんて声はあげにくい。

「千尋さん?」
「……なんでもないです。行きましょう」

仕方ない。もう割り切って楽しむしかないだろう。
幸いと言うか安室はいつもと同じように振る舞っているし、千尋もそれに便乗するしかない。






と思っていたのにこれは予想外。自分の服を選びながら千尋はちらりと隣に視線をやる。するとそこにはニコニコと笑みを浮かべている安室がいて、大変居心地が悪い。

少し離れた位置には楽しそうに服を選んでいる園子たちがいるのだから、安室も其方に行けばいいのにと思うが口下手な千尋がそんなことを言える訳もなく。
諦めたように息を吐き、安室がついて来るのを受け入れるしかない。

適当に服を手に取りつつ、自身が持っている服を思い出す。そろそろ新しい服が欲しいと思っていたし、此処で買うのもいいかもしれない。
手に取ったのは薄桃色をした、薄手のカーディガン。これからの時期に丁度いいなと思っていると隣の安室が話し掛けてきた。

「千尋さんは、淡い色がよく似合いますね」
「そう、ですか?」
「ええ。桜色とか……これからの時期はあまりないかもしれませんが」
「……ありがとうございます」

褐色肌の指先が黒髪を滑る。まるで恋人同士のような触れ合いに、周囲から小さく黄色の悲鳴があがった。
故意的なものか、そうではないか。判断に迷ってしまうが、どちらにせよ気分のいいものではない。

そっと距離を取った千尋に、安室が寂しげな顔をしたけれどそれは見なかったことにしよう。自分たちはあくまで他人なのだから。

ついてくる安室を適度に交わしながらショッピングを楽しむみ、園子が行きたかったという店は見終わったので、周囲にある店を眺めながら人通りの多い横浜の街を歩く。

女性三人と男性一人。ちらほらと視線を向けられていることに園子と蘭は気付いていないようだが、目敏い安室がさりげなく周囲を牽制しているのを見て千尋はぱちりと瞬きを一つ。
意外と、そういうこともしてくれるらしい。

「千尋ちゃんは普段何処で買い物してるの?」
「ええっと、確か……この辺りのお店」

歩きながら園子が問うてきた。千尋が普段身に付けているものの殆どは尾崎や太宰から買い与えられたものであり、それも店舗で購入することは殆どない。だがそれでもよく買ってくれる店がこの辺りに─────

「あ」
「あ」

声が重なった。
あの店だよ、と指をさそうとした先にあった黒髪が振り返って目が合う。切れ長の瞳が見開かれ、それから嬉しそうに綻んだ。

「千尋さん!」
「銀」

出入口に立っていた、可愛らしい妹分の声が千尋の名を呼ぶ。
いつも結っている髪を解き、黒ではなく白のワンピースを纏って笑うのは、可愛い可愛い妹分である銀だった。

「銀も買い物?」
「はい、兄さんと一緒に」

店内に視線を向けた銀につれられ、千尋も其方を見ると芥川が真剣な顔で服を選んでいて思わず口角をあげてしまう。
銀の服を選んでいるのだろうか。女性ばかりの店内で男である芥川が浮いているが、それを気にしている様子はない。

口も態度も悪いが、存外面倒見のいい弟分にほっこりだ。なんて思っていると誰かに勢いよく腕を掴まれる。

「千尋ちゃん千尋ちゃん!彼って東都デパートの時の人よね!?」
「……ああうん、そうだよ」

妙に興奮している様子の園子が千尋の腕を掴んで問うてきた。その言葉に一拍置いて頷く。
園子が言っているのは、東都デパートで薬物中毒者に襲われた時のことだろう。そういえばあの時はバタバタして、禄に紹介することなく解散したので芥川について説明もしていない。

太宰の代わりに、と東都に来ることもあるだろうし紹介しておくかと声を掛けようと芥川に目を向けるが、少し目を離した瞬間何処かに行ってしまったようで見失ってしまった。
じゃあまた今度かな。そう思っていると隣に立つ銀が「あ、」と声をあげる。

「性懲りも無く千尋さんに近付いているのか、貴様は」
「……邪な感情なんてありませんよ。今日の僕はただの送迎ですから」

いつの間にか千尋と安室の間に身体を滑り込ませていた芥川の言葉に、安室が困ったように笑う。蘭と園子は芥川の接近に気付かなかったようで、驚きで瞬きを繰り返している。

正直千尋も気付かなかった。成長したなぁと思いつつ安室に牙を向いている芥川に声を掛けた。ここで騒ぎを起こすのは得策ではない。

「芥川。私の友達に挨拶」
「はい。…………芥川だ」
「……もう」

愛想の欠片もない言葉に呆れたように溜息をつく。愛想の無さは千尋もそうだが、ここまでではない。出会った時からこんな様子の芥川だったが、もう少しその辺りも躾たらよかった。

横目で蘭たちの反応を確認すると、特に気にしていないようでそっと胸を撫で下ろす。園子に至っては顔立ちの整っている芥川に目を輝かせているので、不快感を抱いたということはないだろう。
……よかった。

「あ、あの!東都デパートではありがとうございました!コナンくん……うちに住んでる子が、あの時襲われてて」
「……僕は大したことはしていない。気にするな」
「兄さんたら、素直に受け取ればいいのに」

わかりやすく視線を逸らした芥川に銀が笑みを零す。
うちの弟分と妹分が可愛い。千尋がほっこりしていると、蘭がおずおずと口を開いた。

「そうだ。もし時間があればなんですけど……一緒にお昼とかどうですか?」
「よかったらオススメのお店とか教えてください!」

楽しげに笑う蘭と園子。それにぎこちなく頷く銀と、素っ気なく「好きにしたらいい」と言いながらも拒否する様子はない芥川。
胸に温かいものが広がる。今なら、自分と中也のやり取りを見ながら穏やかな笑みを浮かべる尾崎の気持ちが判るような気がした。

────だから、この場の空気をぶち壊そうのする輩には容赦しなくともいいだろう。

「お姉さん、一人?俺らと一緒に遊ばない?」
「結構です」

千尋がみんなから少し離れた位置に立っていたので、一人だと勘違いしたのか見るからに軽そうな男に声を掛けられた。その背後にはもう二、三人いる。
にやにや此方を見ている目が不愉快で眉間に皺を寄せるが、男は気にせず話し掛けてきた。

「えーそんなこと言わずにさぁ遊ぼうよ。お姉さんも暇でしょ?」

どうして暇だと決めつけられなければならないのか。へらへらと笑っている顔に沸々と怒りが湧き上がってきた。
蘭たちは此方を見ていないし、『処理』するのなら今がチャンスかもしれない。

『腕の一本か二本千切ったくらいなら揉み消せるから』

思い出すのは心配そうな太宰の言葉。
マフィアではない今、本当に揉み消せるかどうか判らないけれど────いっそ全て飲み込んでしまえば証拠なんてあがらない。

笑いながら近付いてくる男が手を伸ばしてくる。

「うるさい。しつこい。目障り」
「ぐっ……!」

それを叩き落として、腹に蹴りを一発。体勢を崩して尻もちをついた男を冷ややかに見下ろしているとざわりざわりと影が揺れた。

今なら誰も見ていないだろうかこのまま飲み込んでやろうか。そんなことを考えながら、座り込んでいる男に近づく。
恐怖から動けない男を置いて、他の男たちが散っていくのを見ながら千尋はそっとしゃがんで目線を合わせた。

「遊びたいなら遊んであげようか。どうなっても知らないけど」
「ヒッ……!!」

笑う。嗤う。嘲笑う。
その笑みは見る者が見れば判る、『裏』の笑みで。──それを見ていたのはたった一人。千尋はそれに気付かない。

引き摺り込む為にそっと男へと伸ばした手を止めたのは、大切な友人の声だった。

「……千尋ちゃん?」
「!」

後ろから声が掛かって、千尋は伸ばしていた手を止める。そして慌てて立ち上がり、弁明の言葉を並べ始めた。

「ち、違うの、なんか突然転んで、それでその」

我ながら苦しい言い訳である。だが大切な友人たちに嫌われたくは、恐れられたくはない。いや、彼女らがそんなことで人を嫌うような人間ではないと判っているけれど、単純に見られたくないというか。

あわあわと混乱しながらもどうにか言い訳を並べる千尋に蘭と園子が駆け寄ってくる。

「大丈夫だった!?」
「ごめんね、気付かなくて…!変なところとか触られてない!?」
「う、うん、平気」

千尋のことを心配してくれている言葉に、見られていなかったのだとそっと胸を撫で下ろす。好機だと逃げ出した男を芥川が追い掛けていったのを横目で確認したが、それを止める心算はない。
癒しの時間を邪魔したのだ。灸を据えられても自業自得だ。

ランチに行こう、と手を握ってくれた友人にうん、と言葉を返す。これからの時間は邪魔が入らないといい。
……入ったところでどうにかするけれど。









「…………今のは」

優雅な休日



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