今日は一日休み。いつもより少しだけ遅くルカが起こしにきてくれて、朝食をとると、私はとたんに暇になってしまった。幹部長室を覗いてもダンテの姿はなく、リベルタも見当たらないからひょっとしたら二人共海に出ているのかもしれない。ノヴァはおそらく巡回中。ルカは実験をすると今朝言っていたので居場所はわかるし、訪ねれば話し相手くらいにはなってくれるだろうけれど、実験をそっちのけにするであろうことが容易に想像できたので邪魔はしたくない。

昨日のうちに何か予定を入れておくんだったなと後悔しながら屋敷の中を一通り回って廊下をとぼとぼと歩いていると、厨房の中からマーサやメリエラ達の話し声が聞こえた。


「何もすることがないの?そうねえ、せっかくの休みだし、ただ時間が過ぎてしまうだけで一日が終わってしまうのはもったいないわよね」
「あっ、じゃあ何かつくりませんか?」
「何かって、お菓子とか?」
「そうそう、それで差し入れするの!お嬢様の手作りなんて、きっとみんな喜びますよ〜!」


盛り上がるメイド達の案に乗って、リモーネパイを焼くことにした。小さい頃からルカがよく焼いてくれた、私も大好きなリモーネパイ。もう一人でもレシピを見ずにつくれるようになったので、メリエラ達もあまり手を出そうとはせずにほとんど自分でやらせてくれた。オーブンに入れてから焼き上がるまでの間は、マーサが淹れてくれた紅茶と新作のドルチェでお茶をした。メイドとはいっても近しい友達のように接してくれる彼女達との、女の子の会話というのは楽しいものだ。


「出来たー!お嬢様、誰に持って行くんですか?」
「うん、でも、さっき覗いたときはほとんどみんな出払ってたから…」


オーブンを開けたとたん、焼き上がったパイの香ばしい香りが厨房に広がった。ミトンを手から外しながら私は思案する。今は戻っている人もいるかもしれないけれど、また無駄足で歩き回ってせっかく出来立てのパイが冷めてしまってはもったいない。


「パーチェのところはどうだい?」


マーサの提案に私は瞬きをして、どうしてまず思い付かなかったんだろうと思う。食べることが大好きなパーチェなら大層喜んでくれるだろう。そうと決まれば、リモーネパイを持ってまっすぐ棍棒の部屋に向かった。


「わあ、お嬢だ!いらっしゃい!」
「あれ、その手にあるのはもしかして…」
「おやつですか?!」


幹部のパーチェに似て食欲旺盛なスートの面々がいっせいに出迎えてくれた。私がバスケットからパイを取り出してテーブルに置くと、香りを吸い込んだり涎を飲み込んだり歓声を上げたりとめいめいのリアクションに笑みがこぼれた。


「これ、いただいていいんですか?」
「どうぞ。いつも巡回を頑張ってくれてるから、差し入れだよ」
「やったあ!!」


フォークを配るのも待たずに、さっとパイをカットしてみんな手掴みで食べはじめてしまった。私がきょろきょろと辺りを見回している内に、大きめの型で焼いたパイはあっという間に姿を消している。私は目を見張り、慌てて横でパイくずを口の周りにつけながらもぐもぐしているスートの一人にパーチェはいないのかと尋ねた。


「親分は幹部長と一緒に出かけてますけど、もう少しで帰ってくると思いますよ」
「あっ最後の一切れ!じゃんけんだろ!」
「ちょ、ちょっと待ってみんな。パーチェの分を残しておかないとかわいそうだよ」
「えーでも、美味いものは早いもの勝ちって親分もいつも言ってるし…」
「そうそう、今このときに居合わせられなかったのが運のツキっていうか、せっかくのお嬢のリモーネパイを一口でも多く食べたいっていうか!」


そう言ってもらえるのはたいへん嬉しいのだけれど、後退りながら笑顔がひきつった。とっさに残った一切れをフォークに刺して迫り来るスート達の手から逃れようとする。
そのとき、ドアが開いてパーチェが現れた。


「ただいまー。あれ、お嬢!どしたの?何か用事?」
「あっ、パーチェ」


スート達はぴしりと固まり、私はほっとして腕を下ろした。 パーチェは私がフォークに突き刺しているものを見て「あー!」と声を上げながらこちらへ駆け寄ってくる。


「これってリモーネパイ?何なに、お嬢が持ってきてくれたの?」
「うん、パーチェ達に食べてほしくて」
「っていうか、ええっ、もうないじゃん!あとそれだけなの…?」
「ご、ごめん親分!美味しすぎてつい、止まらなくて…」
「おまえら〜」


パーチェが誰よりも食に対してエネルギーを向けていることを、スート達もよく知っている。そして、食べ物の恨みは恐ろしいという格言も。
しかしパーチェは意外にも、仕方ないというふうに肩から力を抜いて私に向き合った。私を含め、その場にいた全員がきょとんとする。


「まあ、美味いものを目の前にしたらしょうがないよね。だけどその最後の一切れはおれがもらっていい?」
「う、うん。もちろん」
「じゃ、あーん」


背の高いパーチェが少し腰を屈めて、目の前で大きく口を開けた。後ろから親分ずるいとブーイングをする声が聞こえたが「なんだよ〜最後の一切れなんだからこれくらいだろ。ね、お嬢」と私に期待を込めた笑顔を向けた。こういうときパーチェは大きな犬のようで、私は飼い主の気分になる。
私は手にしたままだったフォークを一度見て、片手を添えながらリモーネパイをパーチェの口に入れた。スート達が後ろで「あっ」と羨ましそうな声をあげるのと同時に、さくり、とパイ生地がいい音を立てる。



(今度はホールで俺にちょうだいね!お嬢!)
(またつくってくるから、みんなで仲良く食べてね)
(はーい!!)
(…ちぇー)