採用
入れ、と促された場所は、ビルの最上階(どうやらここは大きなビルで、全部屋同じ人が管理しているらしい)の一番奥のお部屋。
扉の装丁からして豪華なことにビックリして怖じ気づいていると、男性が後ろから突き飛ばしてきたので、薄汚いスニーカーでふかふか絨毯の部屋に足を踏み入れた。
「おお!来たな!こっちじゃ、こっち」
更に、部屋の奥から陽気な声が聞こえた。
いきなりのことで素早い判断ができず、後ろを振り返って不安気な顔をすると般若の形相で睨まれた。
『へ・ん・じ』
口の動きだけで伝わった。
どうやら私は初っぱなから粗相をしてしまったようだ。
後ろの男性の悪魔のような顔を記憶から消し去って、正面に向き直る。
「は…はい!」
できるだけ大きな声で返事をした。おぼつかない足取りで歩みを進めた。
そこには大きな窓があって、その前に大きな机がどーんと置いてある。
座り心地の良さそうな椅子にどっしりと体を構えた男性が1人、その脇に控える小柄な女性には見覚えがあった。
「あ、…ねねさん!」
「おはよう、伊智子、よく眠れた?」
ねねさんは昨日と変わらない笑顔でこちらを見て言った。
夜中にヘンな声が響いていたのであんまり眠れませんでした…とは言えず、ちょっと表情を固くしながら頷いた。
「そう、それはよかったよ。ね、お前さま」
「そうじゃな!これから伊智子にはばりばり働いてもらわにゃいかんからなぁ!!」
ガハハハと笑う人、ねねさんに「お前さま」と呼ばれていた…。エライ人、なんだよね?
状況を飲み込めずにいる伊智子は、とりあえずぺこりとお辞儀をした。
「あ、あの…なんかちょっとよく分からないんですけど…昨日はご飯とお風呂と寝るところをどうもありがとうございました…」
「え?あぁ、いいんだよ、あそこの部屋、ずっと使ってくれていいんだからね」
えっ?
さすがに意味が分からない。
説明をもらおうとしても、目の前のお二人は多分夫婦なのだろう、すごいいちゃいちゃしてるし、口を挟める雰囲気ではない。
おろおろしていると、後ろからよく通る声が響く。
「…秀吉様、おねね様。物わかりの悪いこ奴は、今回のことを理解できていないと思いますが…」
…なんかスゴイ失礼なことを言われた…。真実なので何も言い返せないけれど。
すると、お二人は“いっけね!”という感じでこちらに向き直る。
「あら、ごめんね伊智子。実はね、アナタをここの受付兼雑用ってことで、雇おうと思うんだけど…どうかな?」
ねねさんがにっこりと優しく笑って言った。
もちろん給料ははずむでぇ!!と、陽気な男性は笑いながら言った。
私はと言うと、いきなりのことに混乱してしまい、しばらく何も言えないでいた。
ようやくひねり出せた声で、疑問を投げかける。
「な…んで、私みたいのを…」
それは声になっていなかったかもしれない。緊張と驚きで、喉はすでにカラカラになってしまっていたから。
ねねさんは笑う。
「そんなの簡単だよ。アタシ達が、伊智子と一緒に働きたいって思っただけ。それじゃダメ?」
伊智子はふるふると頭を振った。
なんだか、あまりに非現実的すぎて、信じがたい。
それでも、暗闇の中で光る一筋の希望に、伊智子は手を伸ばさずにいられなかった。
お二人の目の前で頭を下げて、声をひねり出した。
「あっ・・、ありがとうございます・・・!!!」
優しいねねさんと、気の良い旦那さん、二人のためになら、頑張って・・・・
「くだらないことでヘマをし俺の足だけは引っ張ってくれるな。せいぜい尽力せよ、新入り」
ポン…と肩をたたき耳元でとんでもねぇことを囁いたその顔は、まさに悪魔にしか見えなかった。
…(なんだかゴーインに)就職先、決まりました、おとうさん、おかあさぁん。
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