私は最低な女です。
同じ会社に勤めている付き合って半年になる彼のスマホを覗き見しました。案の定…いや、先に言っておきます。女の勘が働いたのです。嫌な胸騒ぎが急にしたんです。本当に女の勘というモノはある様で結果、彼が浮気をしている事が分かりました。しかも、相手も同じ会社の人でした。知っている人ではありませんが、会話の内容からして恐らくそうでしょう。で、本題はここからです。社会人になってまともなお付き合いをしたのが、彼が初めてだったので、もしかしたら後々フラれるかもしれないと怖くなった私は、まだ彼の事が好きだったのに自分から別れを告げました。すると彼は理由を聞く事も無く、「あぁ、はいはい。いいよ」と答えました。大体この答えで分かった方もいると思います。本命は向こうで、こっちはサブだったんじゃないか?って。私が実は浮気相手だったんじゃないかって。 彼のその素っ気ない返事が私をあんな風にしたんだと思います。
私はあの日どうかしてました。
別れのショックから次の日は仕事だと言うのに女友達を飲みに誘い、大量にお酒を飲んだ結果、
「ん…」
お気に入りの洋楽が朝が来た事を教えてくれた。枕元に手を伸ばし、探してみるがあの硬くて冷たい感触が無い。よくよく聞いてみればその洋楽は少し離れた所で鳴っている事が目を閉じたままでも分かった。
「寒い」
ベッドから立ち上がりフラつきながらスマホを手に取りアラームを止める。…ん?なんでこんな離れた所にあるんだろう。…待って、私どうして下着姿なんだろうか。急に頭が冴え出した。このカーペットも壁も窓も…部屋自体が私のアパートの物ではない。
「ここ…」
明らかに内装が人の住んでいる部屋ではなかった。やたらとピンクの配色の多い、いやらしい雰囲気を出す造り。首がブリキのおもちゃの様に少しずつ周りを見回し、たった今まで私が寝ていたであろうベッドに視線を動かすと、何が起こったのか全てを理解した。
やってしまった。
相手はまだ眠っている。私のアラームで起きなくてよかった。そっとベッドの上にひざまずいて顔を覗き込んでみるが、知らない人だ。綺麗な鎖骨をした何かの彫刻の様な寝顔をした人だった。
「…ん」
ヤバイ、逃げなきゃ!シャワーは?いやいや、そんな事してる場合じゃない。仕事にも間に合わない。私は高速で服をかき集め、早着替えをした。タイツなんて履いてる暇ない。部屋を出ようとした時、急にふと、相手がお金を持ってなかったらという考えが浮かび財布から1万円を取り出して、相手の服の上に置きそっと部屋をあとにした。
幸いな事にホテルから出ると、そこは知っている街並みだった。ホテル街から車の通る場所まで走り、すぐ目の前を差し掛かったタクシーをとめ自宅まで帰る事が出来た。
朝必ずシャワーを浴びる私は余裕をもってアラームを設定している。早めに設定してて良かった。こんな失態今まで無い。どんな流れでこんな事になったのか。アパートに帰り、一通り出勤出来る状態になった私は家の鍵をすると同時に昨日一緒に飲みに行った友達に電話をかけてみる事にした。
「はいはーい?」
彼女は5コール目で電話に出た。
「ちょっ、あの…昨日私どーした⁉」
「はい?言ってる意味が分かんないんだけど」
ごもっともだ。彼女に聞きたい事がありすぎて言葉がうまく並ばない。私は今朝起きた事を隠さず全て彼女に話した。
「って言う事なの。まったく記憶が無くて…」
私の話を聞いてくれている彼女は確実に面白がっている。何故なら、うんうん、と相槌を打つ間に小さくフフフと笑う声が電波を通して私に聞こえているからだ。
「ねぇ、絶対面白がってるよね?」
確信を突くと彼女は「あ、バレた?」とすぐに認めた。
「いやー、超ドラマみたいじゃない?実際あるんだね、そーゆーの。ま、でもそんな出会いもいいじゃん?」
「だから相手が寝てるうちに逃げてきたんだってばー」
ポイントでしか彼女は話を聞いていない様だ。私が聞きたいのはそんな事ではなくてどうしてあんな流れになってしまったのか、と言う事なのだが。
「あははは、ごめんごめん。んー?相手はあの人かな?」
「え、なに?もう1回言って?」
朝の改札は様々な音が飛び交い、電話の声がうまく聞き取れない。
「まー、私が知る限りではあんたは飲みに行ったバーで酔っ払って別れた男の事の文句を言いながらワーワー泣いてたワケよ。で、なんか客で来てたドSな感じの男にも愚痴ってたね。でもその人が気分が悪くなってトイレにこもってたあんたを介抱してたけどね。案外いい奴だったのかな、あの人」
ドS?じゃあのベッドで寝ていた人とは違うのか。あの寝顔とドSはどう頑張っても結びつきようが無い。私は何人の人に迷惑をかけたのか。
「私が知ってるのはそこまで。あんた、飲み足りないって言って私あんた残して帰ったもん。その人が俺が面倒見るんで。って言ったから」
「そんな薄情なー…その人見た目どんな感じの人?」
「えー、例えるならジャニー…あ‼ごめん、職場から電話だわ。夜かけ直すから‼じゃあね」
「えっ⁉ちょっ…。切れちゃった…」
ジャニー?え、外国人?もうワケ分かんない。社員証を受付の人に見せゲートを通り抜ける。ちょうど私も会社に着く頃だったからどちらにしても電話を切らないといけなかったんだけど。
「ま、仕方ないか。夜話そう」
エレベーターに乗り込み、10の数字を押す。
「ふぁー」
自分のデスクに座るなり大きな眠気が私を襲う。
「大きな欠伸」
隣のデスクの同僚が笑う。この子とは入社した時期も歳も近いという事もあって仲良くさせてもらっている。
「今朝いつもより早く目が覚めちゃって」
PCの電源を立ち上げる。嘘はついていない。本当の事。
「あるよねー。そういう日。あ、朝礼だよ」
チーフが入って来た。皆が一斉に立ち上がりる。続けて私も腰をあげる。また欠伸が出そう。チーフの話にまったく興味の無い私は前のデスクの斎藤さんの後頭部ばかりいつも見ている。
「(あー、前に比べて薄くなったな。育毛剤使い始めたって聞いたけど、こりゃ効果無いな)」
私は彼の後頭部の歴史を知っている。
「ちょっ…可愛くない⁉」
「何あれー‼可愛いすぎるー‼」
私の斜め後ろの新人達が何やら小さい声で騒ぎだした。何だろう。今日のチーフは女の子が興味を持つ様なネタでも持って来たのかな?
「ねぇ、どーした?チーフ、ペットでも連れて来た?」
隣の同僚に口元に手を添えてそっと聞いてみる。
「いやー、ありゃ可愛いわ。つかペットじゃないよ。あれ?そういえば何回か本社に届け物に行った事あったよね?あの人、本社のキャリア組でしばらくこの支店で経営戦略とか色々確認する為に来る事になったらしいよ」
「本社行った事あるけどー、そんな可愛い女の子居たかな?」
私からはその人は斎藤さんの頭が死角になっていて、左右に頭を傾けてもまったく見えない。
「(よし、ジャンプだ‼)」
膝を曲げて、なるべく高すぎないようにゆっくりジャンプをした。
「しばらくここで内部を観察させて頂きます、沖田総悟です。よろしく」
それは可愛いペットでもなく、可愛い女の子でもなく、あのベッドで眠っていた顔と同じ男の人だった。
地面に着地した私。今のは見間違いだろうか。
「はい、と言う事なのでみなさんよろしくお願いします。では今日も一日頑張りましょう」
固定文と化しているチーフの朝礼の締めの言葉が終わると私はすぐさまエレベーターへと向かった。
「どこ行くのー?」
隣の彼女がかけて来た声は私の耳に届かなかった事にしよう。下を向いている矢印を押す。幸いな事に扉はすぐに開いた。コーヒーだ。今日はブラックを飲もう。私の脳はまだ目を覚ましていないみたい。滑りこむ様に乗り込むと、沢山自動販売機が並ぶ1階を選んだ。
重い扉が閉まろうかという瞬間、割入る様に乗って来た人物がいた。
「昨日はどーも」
条件反射で「開く」のボタンをカチカチ押す。が、もう手遅れらしい。
「き、昨日?どちらかでお会いしましたっけ?」
逃げ出そうとしたのは無かったかの様に振る舞う。1階まで待つしかないようだ。
「おや?昨夜から今朝にかけて俺と一緒だったのはあんただと思ってたんですがねィ。おかしいなぁー。じゃこれはあんたじゃないって事ですかィ?」
彼が私に差し出したスマホの画面には下着姿で眠る私が写っていた。
「きゃああああああ‼」
スマホを奪おうとするがヒョイとかわされ、彼のポケットへとスマホは帰って行った。
「下着と一緒で色気ねぇ声でさァ」
何この悪魔みたいな人。ドSな人って昨日飲みに行った子が言っていたのはこの人で間違いない。
「い、一体何なんですか⁉」
私は知らず知らずのうちに後ずさりをしていたらしい。すぐ後ろには鉄の壁しかなかった。
「俺はあんたみたいな下部が欲しかったんでさァ」
「…?しもべ?」
「下部。あれ、頭弱いんですかィ?言い方変えましょうかィ?奴隷とか」
何を言ってるんだろうか?日常会話でしもべとか使う?ポカンと開いた私の顔を見ながら沖田さんはケラケラ笑う。
「何を言って…」
「画像。…画像を消してほしいなら俺の言う事聞いて下せェ。俺、腹黒いんで何するか分かりませんよ?あ、あとこれ返しときます。金は確実に俺の方が持ってますから」
そう言って朝、私の元から去って行った一万円が戻ってきた。そしてタイミングよくチンと鳴って開いた1階にヒョイと降りて沖田さんはどこかへと行ってしまった。結局私はコーヒーを買う事も忘れ、エレベーターから降りる事もなく静かに扉は閉じた。
それからと言うもの、沖田さんは何かある度に私を指名して来た。周りの女性社員達は羨ましいの一点張りだ。羨ましいですか?茶柱立つまでお茶を入れ直せとかそんな地味な作業。終いにはやっと茶柱が立ったお茶を持っていくと「ダージリンティーが飲みたい」だと。沖田さんの為に何種類のお茶を買った事か。
ある日の仕事の帰り同僚が何やらミスをした様で数十枚の書類の打ち直し、その書類をコピーして100部作り直さないと言うから、さぁ大変だ。特に予定も無く、見過ごす事に罪悪感を感じた私は進んで手伝いを希望した。
終わったのは夜の10時。「今度お礼するから‼」と言って100部の書類を持って同僚は走りだした。あー、今日は9時から見たいドラマがあったはず。それを見逃した事で気分が下がった。会社の外へ出ると、生憎の雨。傘は持って来なかった。そういえば夜遅くから雨が降るって天気予報で言っていたっけ。こんなに遅くなるつもりではなかった為に傘は要らないと思っていたのに。
「…なんかついてないな」
気付けば出ていた独り言。そんな会社の前に立ち尽くす私の前にキュっと一台の高級車が現れた。すると音を立てずにゆっくりと窓が開いた。
「何、辛気臭い顔してるんですかィ。遅かったですねェ」
「沖田さん」
「乗りなせェ。腹減りませんかィ?一緒に行きましょう」
そう言って助手席を沖田さんが見る。いいか、別に。最近の私は沖田さんのワガママぶりに慣れて来ている。プライベートで連れ出されても残業の延長戦みたいなものだ。私は返事の代わりに革張りで少し座りずらい助手席へ腰を下ろした。シートベルトをするカチャという音を確認すると沖田さんはゆっくりと発進した。
「どこにご飯行くんですか?」
「誰も飯に行くとは言ってませんがね」
「え?だってお腹が減ったって」
「腹が減ったとは言いましたが、飯を食うとは言ってませんぜ?」
そう言って赤信号で妖しく光る赤色が沖田さんの顔を照らす。私が膝に抱えていたバッグを持ちなおすと、私が警戒したと捉えたのか沖田さんが「冗談です」と笑い出した。
その後、沖田さんは私が行きたい所に連れて行ってあげると言ってくれた。グルメ情報誌で目をつけていたイタリアンに連れてってくれて、何事も無く自宅に送り届けてくれた。別に何も期待していたワケじゃない。いやそもそも期待をしていた自分が少なからず存在していた事に恥ずかしさを覚えた。一体何を考えているんだ、私は。
次の日、沖田さんは昨日の出来事は何も話に出さなかった。実際は真面目なのか黙々と仕事をこなし、女性社員にキャーキャー言われ、私はその声を聞きながら沖田さんにお茶を入れる。彼曰く、私の入れるお茶が一番美味しいらしい。
仕事も定時で終わり、今夜は溜めていたドラマを見ようか、ゆっくりお風呂に入ろうか。そう考えていた少し晴れ晴れする気分の私に嫌な声が響いた。
「よぉ、久しぶりじゃん」
帰り道のロビーで声をかけてきたのはあの別れた彼だった。「あ…」とだけ漏れる声。凍ってしまったかの様に私はその場で固まってしまった。
「おい、書類忘れてますゼ」
その場の雰囲気を壊す様に、沖田さんがやって来た。手元には私が沖田さんに頼まれていた業務の書類があった。なんてこった。こんな状況の時に沖田さん直々に現れるだなんて。なんで他の人に頼まなかったの?なんて自分のツイて無さを呪った。
「あんたは…?」
「あ、あの沖田さんこの人は…」
「こいつの元彼だけど?」
ふーん、と言う様な沖田さんに私は「書類ありがとうございます。さ、帰りましょ」とその場を逃げようとしたが、
「あ、もしかして新しい男?お前良かったじゃん。キャリア組の男捕まえられて」
無言で元彼の言葉を聞く沖田さんと、タジタジになって何も言えない私。
「でもこいつと付き合ったって何も面白くねぇっすよ。夜だって全然楽しくねぇもんなぁ?」
やめて。やめてよ。
沖田さんにそんな事聞かれたくない。
「へぇー。それ、あんただからじゃねぇですかい?」
沖田さんに見るといつもする何かを企んでいる様な無邪気な顔をしていた。
「俺はこの前こいつと夜一緒だったですがね。いやー、楽しかったなぁ。色んな事してくれて。…あ、もしかしてあんたの方が使い物にならなかったんじゃねぇですかィ?」
あの夜の私には一切の記憶が無い。肯定も否定もしようがない為、何も言えなかった。
「あっそ」
言い負かされたと思ったのか彼はそれだけを言い残して行ってしまった。
「ちょっ、沖田さんどうしてあんな事言っちゃうんですか!沖田さんは来たばかりで知らないでしょうけど、ここはそういう話はすぐ広まっちゃうんですよ!」
「ならホントの事にしましょうか」
「…え?」
沖田さんは少し寂しげな顔をしながらそう言った。
「…すいやせん。俺、嘘つきやした。あの夜何も無かった、何もあんたにしてない」
「沖田さん、何を言って…」
「あの日からさっきの野郎の事、考えましたか?」
そう言われればあの夜からあの人の事を考える事が無かった。それは沖田さんと出会いバタバタと色んな事をしていて寧ろ考える時間が無かったと思う。でも時々沖田さんの事を考える事はあった。
「準備が出来たら教えて下せェ。俺はもう出来てますから」
そう告げて沖田さんは去って行った。準備ってそういう事?
俺様男だと思っていたのに、
私の返事なんて聞かないのに、
散々私をこき使うくせに、
主導権、それは意外にも私にあったらしい。
「こんにちは。お疲れ様です、支店から書類取りに来ました!」
「おい、山崎」
「何ですか、沖田さん」
「…あいつ何て名前だ?」
「あー、あの子。支店からたまに来ますよね。うちの本店の男どもに人気がありますよ。名前はえーっと確か…」
あいつには死んでも絶対教えてやらねぇ。
実は一目惚れだったって。
topへ
ALICE+