「こんばんわ」
「よぉ、いらっしゃい」
扉からひょこっと顔を出したのは半年前から足を運んでくれる女の子だった。
「今日は一人?」
「はい。友達に彼氏と急にデートの予定が入ったからってドタキャンされちゃいました」
えへへ、と笑ってカウンターに座る彼女はいつも頼むカクテルの名前を言った。
嬢ちゃんがここに初めて来たのは半年前。うちのBarに良く来ていた女の子と一緒にやってきた。最初の頃は友達と良く来ていたが、最近ではたまに一人でも足を運んでくれている。
「嬢ちゃんも彼氏連れて来たらいい」
そう俺が言うと慌てて両手を振りながら「い、いません!彼氏なんて」と否定をした。
「可愛いからすぐ出来るよ。好きな人は居ないの?」
の問いに、少し赤くなって「好きな人ならいます」と言った。「どんな人なの?」と聞くと「年上で、かっこよくて、包容力があって、何でも出来て、色気があって、背が大きい人です」と言った。
「そんな完璧なヤツいる?いたら見てみたいよ」と俺は笑った。
すぐさま「今、阿伏兎さんは?」と質問返しされた。
「そんなん居ねーよ、こんなおっさんに。前も言ったけど、俺バツ2だし?女にはもう懲り懲りなのよ」
と自虐的に笑ってみせた。嬢ちゃんも小さく笑っている。
しばらくすると店が少しずつ混み始めた。そう広くはないフロアだし、平日なのもあって今日はバイトを頼んでいなかった。
「…っと、ごめんよ。ちょっと仕事してくるわ」
一人でちょっとバタバタするくらいだった。なんとかなる程度だったが、ふと嬢ちゃんを見るとさっき酒を作ってあげた男が嬢ちゃんに絡んでいたのが目に入ってきた。
「(はぁ…やっぱりあの男、他の店で相当飲んでからここに来てんな)」
なにかひっかかる違和感を覚えつつ、俺はカウンターの中に入って二人の前に立った。
「あー、ごめん、この子はダメー」
そう言うとその男は少しイラっとした様な態度を見せた。…これだから血の気の多いヤツは。
「この子ね、俺の娘なの。パパの目の前でナンパはダメ。他の子当たって」
流石にこの言葉には、ヤバイと思ったらしい。嬢ちゃんに「ごめんね」と言って、代金を払って出て行った。
「大丈夫か?」
嬢ちゃんの顔は少し落ち込んでる様な感じに見えた。「ありがとうございます」と言ったその声からしてもやはり落ち込んでると確信した。
それから客が来たり、帰ったりで気付けばもう夜中の3時だ。
「(そろそろ店閉めようか)」
今居るカップルが帰れば、後は俺と嬢ちゃんだけだ。そのカップルも帰り仕度を始めた。
「ありがとねー。また来てなー」
そう言って入り口でカップルを見送った。
振り向いて嬢ちゃんを見るとまだ帰る気がないようだ。
「嬢ちゃん、今日いつもより酔ってるよ。俺送って行くから帰ろう」
「…」
あれ?聞こえなかった?実は眠ってる?
そっと横から顔を覗くと、しっかりとその目は開いていた。
「帰りません」
「はい?」
「私、帰りません」
「ちょっと嬢ちゃんどうした?」
真正面同士に見合わせた嬢ちゃんの顔は怒っている。
「どーした?何か俺気に触る事でも…」
「阿伏兎さんには…私は子供にしか見えませんか?」
「おい、どーした。いや、さっきのあれはその…何つーか、この子、俺の彼女≠ニか言っても絶対信じてくれねーと思ったからそう言っただけで別に子供扱いしてるワケじゃ…」
俺が嬢ちゃんの肩に触れると、嬢ちゃんは大きく肩を振り、俺の手を払いのけた。その拍子に近くにあったグラスが床に落ちて割れた。
「ほらほらもう。怪我はねーか?」
俺はしゃがんで床に落ちたグラスの破片を拾おうとした時、嬢ちゃんも椅子から降りた。それと同時に俺の視界がぐるっと変わった。
背中に床の冷たい温度が伝わる。
天井が見えていた視界から嬢ちゃんの哀しそうな顔が入って来た。
「何やってんの、ほら。やっぱり今日飲み過ぎてんぞ、俺をからかうのはお終い…ん、っ」
話の途中に嬢ちゃんは俺の唇に自分の唇をそっとのせてきた。その唇は少し震えている。
「…好きです。初めてここに来た時から阿伏兎さんの事が好きです。私じゃ阿伏兎さんの彼女になれませんか?」
伊達にバツ2じゃないのよ?それなりに女心を察知する力はある。
なのに自分の事は分かってねーもんだ。あの時の違和感はコレだったか。
こんなおっさんになって、もう二度と無いもんだと思っていた。
あー、厄介なモノに気付いてしまったよ。
俺にもまだあったんだなー、こんな気持ち。
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