「…書類をお待ちしました。失礼してもよろしいでしょうか?」


返事を待つ私はその声を聞き逃さぬよう、静かに待つ。


「入りまたえ」

「失礼します」


ゆっくりと障子を開けると、そこには机に向かい何やら文を書いている伊東さんがいた。


「頼まれていた物をお持ちしました。あと…お茶を…」


今夜は寒かった。要らないと言われるかもしれなかったが、私の勝手な判断でお茶を淹れた。


「すまない。助かるよ」

「どうぞ」


拒否されないで良かった。伊東さんはその湯呑みを手に取ると冷ます為か軽く息を吹きかけた。


「ふふっ、伊東さん、眼鏡が」


お茶の熱気で眼鏡が一瞬にして曇ってしまった。


「笑うな。眼鏡はこういう時不便で困る」


伊東さんはその曇った眼鏡を外して、畳の上に置いた。伊東さんは美しい顔をしている。眼鏡をかけているのが勿体無い程に。視力が良くないのだからそれは仕方ない事なのだが。

2口お茶を飲んだ後、湯呑みを置いて眼鏡をかけた。書いている文はもうすぐ書き終わる様だ。

私は本当は気付いている。
伊東さんが怪しい人達と繋がっている事を。でもそんな事はどうだっていい。口出しだって、組の誰かにも告げ口しようだなんて思ってもいない。ただ、伊東さんの近くに居て、伊東さんの力になれればそれでいいんだ。


「君は?君はもう仕事は片付いたのか?」

「あ…まだです。もう少しだけ残っているのでそれまで終わらせます」

「そうか」

「…では失礼します」

「あぁ」


一礼をして、部屋から出ていこうと障子を滑らせた。


「あ、雪だ」


たった数分の伊東さんと居た間に雪が降り出していた。結晶の大きい雪がいつの間にか静かに降り出していた様だ。


「初雪だな」


すぐ後ろで声がして、振り返ると伊東さんが立ち上がって空を見上げていた。


「そうですね、初雪になりますね」

「どうりで冷える夜だと思った」

「…綺麗ですね」

「あぁ、綺麗だ」


数十秒だけ二人共無言で空を見上げた。すると、肩から背中にかけてふわりと温もりを感じた。見ると、伊東さんがさっきまで着ていたはんてんが私にかけられている。


「着ていくといい。君はまだ仕事が残っているんだろ」

「でもそれじゃ、伊東さんがお風邪を…」

「君が持ってきてくれた非常に熱いお茶で温まってもう休む事にする」

「それはどういう意味ですか」


これは完全な嫌味だ。熱いお茶でもこの気温を考えて熱めにしたのに。


「さぁな」


伊東さんはふふっと小さく笑った。


「さぁ、君こそもう戻りなさい。…君に風邪をひかれては、僕が困る」


その言葉はどういう意味だったのか。女中の私が風をひいたら身の回りの世話役が不在で面倒だという事だろうか。それとも…


「はい…では、お言葉に甘えてお借りします。おやすみなさい」

「あぁ、おやすみ」


私は廊下を出て、ただただ自分のつま先を見ながら廊下の角を曲がるまで足早に歩いた。








「はぁ…」


自室に戻ると、へなへなと座りこんでしまった。異様に心臓が脈打つのは足早に歩いたせいか、それとも伊東さんの匂いのするこのはんてんのせいなのか分からない。

まだ仕事も残っている。それでいい。今夜はどうやらすぐには眠れそうにはないみたいだ。


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