「つーかさ、土方ってマジキモくない?」


はい、今日も始まりました。


「いやマジで。あのメガネ何なの?今時あの形なくない?もうメガネがキモい」


「それな!」


「それな!」


両手を叩きながら爆笑する彼女達。こんな会話を聞くたびに日本語はどう進化していくのか気になるところだ。退化する事はないが、暗号化していく気がするのは私だけか?後々は「あ」や「い」といった言葉のみで会話が成立しそうだ。今はもう「りょ」だけで「了解」を表す時代にまでなっている。恐ろしい。


「しかも何か童貞っぽくね?」


「いやマジで、それな!」


「いやマジで」これはどういう事なのだろか?否定から入り、結局肯定する。もはや意味が分からない。

化学の教師の土方は恐らく彼女達の会話が聞こえているのだろう。しかし彼は彼女らを注意する事はない。…違う、注意する事をしないのだ。

この授業風景を見よ。
スマホのオンラインゲームで盛り上がる男子達、化粧をする女子、居眠りをする男子、極め付けはポテトチップを食べる女子。いやいや、そのお菓子は授業中に食べるには一番相応しくないのでは?真面目にノートをとる生徒はごく一部だ。

私はどこに属するかと言うと、どれにも当てはまらない。ノートをきちんと取りながらも、問われれば彼女達の会話にも参加する。ほどよく勉強をこなし、付き合いもこなすのだ。

しかしながら、私は特に知りもしない人間を好きだ、嫌いだの仕分ける方法は好きではない。見た目だけで何が分かるというのだろうか。


「ね?アイツ絶対童貞でしょ?」と、賛同を求められた。私はいつもこういう時この手法を用いている。


「あ、てか知ってる?数学の高杉先生、彼女できたらしいよ」


彼女達がより興味を持つものへと話題を変えるのだ。


「え!?マジで!?えー、やだー!ちょっと高杉センセ狙ってたんだけどー」


ほら、もう土方の事は忘れた。彼女達にはこのやり方が一番効く。

私は高杉先生に彼女が出来た事だけを話すと、ノートを取る為に黒板に目を向けた。それだけでも話せばしばらくはその話題で彼女達の会話は盛り上がるだろう。




その時視界に入ってきた土方と少し視線があったのは気のせいだろうか。















「すまねぇな、遅くまで付き合ってもらって」


「いえ、大丈夫ですよ」


実は私は高杉先生と仲が良い。というか、授業の事前準備に駆り出されていると言った方が正しいのか。


「いつも悪ぃな、だいぶ暗くなってるが、本当に送らなくて大丈夫なのか?」


冬場の7時は結構暗い。しかし私は「大丈夫ですよ、まだ部活生もいるし。家までの道は人通りもあるんで」と答えると、「そうか」と先生は笑った。


「じゃあ私そろそろ帰ります。」


椅子から立ち上がり、スカートを整えると、「失礼します」と、挨拶をして先生のいた職員室を出た。







「寒っ」


今まで暖房の効いた部屋にいたのだ。廊下に出た瞬間、後悔した。いや、私は帰らねばならないのだ。ひとまず一時的な暖を取るべく、私は校内の自動販売機へ向かった。


まだかろうじて部活生はいるものの、ここの自動販売機のある場所には誰一人として生徒らしき姿は無かった。


その時、私は見た事も無い男の横顔を遠くに見つけた。


(誰だろう?見た事ないな…もしや不審者?)


入れようとした小銭を財布へ戻し、寒い事さえも忘れ、私は男の進んで行く道を追った。その男はある棟へと向かって行く。



(ここ…化学室のある棟だ…)


ある程度の距離を保ちながら、着けていくと案の定その男は化学室へと入り、電気を付けた。


(普通不審者が電気なんか付けるかな…?)


もしかしたら、見知らぬ男ではなく、この暗闇のせいでただの生徒を見間違えただけかもしれない。

そう考えながら、閉じられた化学室の扉を少しだけ音を立てない様に開いた。中は電気は付いているものの、人気が感じられない。


(あれ…確かにここに入ったはずなんだけど…)


物音もしない。ただ微かに壁に掛けられた時計の秒針の音がするだけだ。




私は意を決して無人と思える化学室に声を響かせた。





「…すいませーん、誰か居ますかー…?」









やはり、返事がない。人が入っていったと思ったのは勘違いだったのか。そっと、化学室の中央まで足を運んだ。前方を見回すが、人の姿は無い。


「やっぱり勘違いだったかな…」













「俺が居ますけどー」









慌てて声がした方向を見た。私が入ってきたはずの扉に知らない男が腕を組み、足をクロスさせ、壁にもたれるように立っていた。

いつから居たのだろう?さっき私はそこから入ってきたはずなのに。まったく気配を感じなかった。やはり、良く見ても見覚えの無い顔だ。








しかし、







なんだこの整った顔立ちは!


目つきこそ悪いものの、こんな人を私は未だかって見た事がない。気付けば見入ってしまっていた。いけない、注意しなければ。


「あ…あのっ!この学校は関係者以外、立ち入り禁止ですよ!」


少しは威圧感を与えられたか。普段はこんな大声を出す事がないので、脈の打ち方が普通じゃない。そんな彼はと言うと、明らかに私を見下した顔でこう言った。




「てめぇ、何言ってんだ。ここは俺のテリトリーだ。」と。




テリトリー…?


「何を言っているんですか!ここは化学…室…」


あれ?あの男の服装…今日どこかで見た様な…


一体どこで見たのだろう?思い出せ。高杉先生と一緒だった職員室?違う。

なら、お昼だろうか。私が売店で中身が何か分からないパンに対し、「ねぇ、これ何パンだと思う?」と聞いたら、例の彼女達の1人が間髪入れず、己の拳でパンをぐちゃ、っと潰し、出てきたあんこを見て、「あんぱんだよ」と教えてくれた時か?彼女は案外優しいところがある。…いや、違う違うそんな事はどうでもいい。考えれば考える程、どうでもいい事ばかり人は思い出す。


いつだろうか。













つーかさ、土方ってマジキモくない?










土方?





私はある推測をした。その瞬間、サッと血の気が引いた。まさか≠ニ、脳みそは疑っている。






「あの…土方先生…でしょうか…?」





その男は不貞腐れた顔をしながら、こう言った。


「だったら何だよ」


「ええええぇぇぇ!!!!!」



私の推測は当たっていた。自分を土方先生と認めた男は右手の小指を耳にはめ込み、「うっせぇ」と片目を瞑った。


え、この人が土方先生!?


いや、待て。私の知っている土方先生は彼女達が言うように今時あり得ない程のダサメガネをかけ、授業中にほぼ聞き取る事が出来ない位のぼそぼそ声、よれよれの白衣を着ていて、恐らく童貞であろう、あの土方先生がこんな格好をしているのは何故だろうか。

何をしたらこうなるのか?メガネをかけると地味で、外すとイケメンに変わる。有名な例の四次元ポケットから出てきた道具か。この展開は漫画でしか見た事ない。


そんな土方先生は未だ不機嫌そうな雰囲気を出している。私の頭はこの状況を処理する事に時間がかかりそうだ。



「ペチャクチャうるせー奴らと一緒にいるヤツが何の用だよ」


一応私の事は知ってくれている様だ。いや、ペチャクチャうるせー奴らの一員として覚えているだけなのかもしれない。


「あの先生…見た目がえらく変化なされて…いや、あのメガネはかけてなくて大丈夫なんでしょうか?」


もはや自分でも何を聞きたいのか。情報処理の速度がすこぶる低下している。すると、土方先生は近くにあった椅子に腰掛け、足を組みながら答えた。


「あんなもん、1日中かけてられっかよ。面倒くせぇ」


と、いう事は然程視力は悪くないのだろう。


「あ、じゃあいつもメガネかけてるのは…」


口は悪いが、この容姿なら女子はほっとかないだろう。ファンクラブが出来てもおかしくない顔立ちだ。

すると、表情を変えず「授業がしてーからに決まってんじゃねぇか」と、拍子抜けする答えを返してきた。


「え…?授業ですか?」


「メガネかけねーと誰も授業聞かねーんだよ。彼女はいるかだの、付き合って下さいだの、面倒くせぇ事ばっかり聞いてきやがって」


先生には先生なりのちゃんとした理由があった。だからワザと地味な格好をしていたんだ。納得できる答えを返され、私もその真面目な生徒として見てもらえていたのか気になった。


「つーか、お前の連れ全然授業聞かねぇな」


急に怒り出した。


「俺の事キモいとかうるせーんだよ。ちなみに俺は童貞じゃねぇ」


やはり聞こえていたか。そんな事言われなくても今の外見なら童貞ではない事くらい理解出来ます。


「そういうお前は俺の事、言わねぇんだな」


そう問いながら土方先生は立ち上がり、私の近くへと歩み寄って来た。


「わ、私は特に知りもしない人間を好きか嫌いか言い合うのは好きではないので。そんな事言っても私に何のメリットもありませんし」


「知りもしない人間ねー」


…何故、先生は私へと近づいてくるのだろうか?正直、近寄って来ないで欲しい。私はこんな人が隣に居て、平然としていられる程、心の余裕は無いし、まだ交際経験さえも無い。


「じゃ、知りゃいいんだな?」


寄ってくる先生に私の体は知らぬうちに少しづつ後退りをしていた様だ。


「お前、処女だろ?」


急に何を先生は言い出すのだろうか。当たってはいるが、見栄を張りたい自分が居る。私は完璧な人間を目指している以上、その方面も完璧でいたい。


「な、何をっ…そ、そ、そんな訳無いじゃないですか!!」


「いや、声かなり裏返ってるけど。お前堅物感ハンパねぇし」


冷たい材質が私の背中にあたる。ひんやりとする壁と、私のひやりとする今の状況は類似している様だ。


「いつもいつもそんな考えだから男が出来ねーんだよ」


先生の両手が逃げ道を塞ぐ。


背後にはコンクリートの壁。
両サイドには先生の手。
前には先生の顔。


「俺が教えてやろーか?」



残念ながら、私の脳にはこの状況を打破する策が見当たらない。人一倍勉学に励んで来た私にも、知識不足なところがあったらしい。
勝てないのだ、先生に。



私は負けたのだ。


topへ
ALICE+