02


「どうしたの!?」

 彼の悲鳴を聞いて一目散に部屋に飛び込んできたのは、桃色がかった白髪をなびかせた、背丈の低い少女だった。右頬に薔薇を象ったタトゥーが見える。無論彼女の頭部にも黒い獣の耳が生えている。彼女もれっきとした黒兎の一員だった。
 水色のエプロンドレスを揺らして、彼女は目を丸くする。無理もない。仲間が仲間に噛みついていたのだから。
 背中ほどある白髪は少女の顔に時折かかる。それをしばしばうっとうしそうに手で払い除けながら、二人の仲裁をしようと声をかけた。……口よりも力で屈服させた方が早いのは、明白であったが。

「ちょっとイユ、貴方どうしてユギに噛みついているのよ!」

 少女の声を聞いて、イユは目線を彼女の方へ向けた。それから、どういうことかばつが悪そうな顔をするとユギの拳から口を放す。ユギから深いため息が漏れたのが聞いてとれた。
 噛まれた箇所は陥没して血が滲んでしまっている。よくもやってくれたな、とユギがイユに咎めるような視線を投げ掛けた。けれどイユは少女に反省したような態度をとるも、肝心のユギに対しては辛辣な様子だった。

「痛そう……大丈夫? ユギ」

 眉根を垂れて青年を心配する少女は、傷を受けた彼の手を見つめていた。ユギは苦笑する。彼は心配されることに慣れていない。

「リラは気にしなくていい。一つ傷が増えただけだからな」

 言いながら、ユギはワイシャツの裾をめくりあげる。そこには生々しい様々な傷や、血が滲んだガーゼ、包帯が巻かれたいかにも「痛々しい」光景が広がっていた。
 傷だらけの腹部を見せられて、リラと呼ばれた白髪の少女は狼狽えた。しかしそこまで驚く様子はない。何故なら、もう何度も見てきた経験があるからだ。

「貴方は他の黒兎より……ううん、普通の人間や、その他の動物よりも治るのが遅いから。……どうしても気になっちゃうの」

 リラはそう言うと、エプロンドレスに縫い付けられている大きめのポケットからいくつかの植物を取り出す。赤色だったり、深緑だったり、コバンソウのような実がついた奇っ怪な草だったりと種類は非常にたくさんあった。
 それらを手のひらに乗せると、何やら神妙な顔つきになる。ぼそぼそと何かを呟き始める。するとどうだろう、彼女の手に乗った数多の植物が淡い閃光となり、弾けた。
 次の瞬間、ユギの手の傷は跡形もなく消えていた。

「……私は治せと頼んだ覚えはないぞ」

 傷がなくなった手を見つめながら、ユギは迷惑そうにそう言う。リラの耳がしゅん、と垂れる。

「ごめんなさい……でも、本当に心配なの」

 ユギの体は、人一倍――否、恐らくどの生物よりも治癒能力が低い。普通の生物なら一週間もあれば治るような傷でも、彼だと年を跨いでしまうことが多々ある。それどころか悪化して膿み、爛れ、荒れることすらあった。

 黒兎は黒兎神からの呪いを受けた。それにより彼らは不死身に近い体と、世にも不思議な力を手にすることとなった。しかし、結局は呪いなのだ。悪影響を及ぼす作用がこうして表に出てくる者もいるのである。
 ユギの場合は自己修復機能の低下だが、他の者は人間であった頃のフラッシュバック、記憶喪失、言語能力の欠如など、一つに限られるものではなかった。

 ユギは落ち込んだ様子のリラを一瞥すると、治された手の甲を空いた方の指でなぞる。彼からすれば、既に傷だらけになってしまった己の肉体にまた傷が増えた、ただこれだけのことだった。けれど目の前の少女はそれを危惧し、こうして今回の行動に出た訳で。
 良心がちくりと痛む。

「……能力の無駄遣いはやめておけ。いざ使いたいときにろくでなしになられると、困るだろう」

 息を吐き溢しながら言い捨てると、リラの顔色が明るいものになった。
 それをつまらなさそうに眺めているのは、ベッドに腰掛けて左腕をしきりに動かそうと奮闘しているイユ。彼が無理に動こうとするたびにぽたり、と鮮血が真っ白いベッドに赤い斑点模様を飾っていく。
 リラははっとすると、先程と同じようにポケットから何束かにまとめられた植物を手にした。彼女がここに訪れたのは、彼の腕を治療するためだ。

「イユ、それ動かしちゃダメだよ。今から治すから、大人しくしててね」

 イユは素っ気なく頷くと、リラから視線を背ける。彼女の前では随分と素直な態度をとるようだ。
 いくよ、とリラが小さく呟くと同時に、極彩色の球体がぽんと音を立てて弾ける。それは七色の粒となり、イユの左腕へと降り注いでいく。

「……あれ?」

 しかし、リラは浮かない顔をした。

「おかしいな……」

 彼女の目に戸惑いの色が宿る。隣で傍観していたユギも、どういうことかと顎に手を添えた。二人の視線の先には、少しも良くなったところが見当たらないイユの血まみれの腕。黒い痣はポツポツと彼の左腕全てに回っている。

「失敗したのか?」

 ユギがリラに問いかける。リラは黙ったまま、首を横に振った。言葉が出てこないようだった。








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