06


 リラは言葉が出なかった。彼のことを見くびっていなかったといえば嘘になるが、まさかここまで人を楽しませることができるとは思ってもみなかったのだ。
 確かに彼は自分のことを「道化師」と呼んでいた。けれどそれは普段の振る舞いや物言いを自称するものだと、勝手に納得してしまっていた。

「……すごいよルダ」

 彼女の口から感想が漏れた頃、彼の演技は終演を迎えていた。空へ投げたアコーディオンが落下してくるものの、道化師はそれを慣れた手つきで掴み取る。ひとしきりはしゃいだギャラリーは水を打ったように静まり返っており、その中でルダが一人佇み、深々とお辞儀をした。

「どうだい僕の演技は。さも素晴らしかったことだろう」

 民衆に向かって語りかけるルダの目付きは、息がつまるほどに鋭い眼光を放っている。

「もっと見たいなら――僕に貢げよ」

 そう言い捨てた彼の目は、戦場で敵を見下すときのものと酷似していて。リラの背筋を、感動と、恐怖に似た何かひんやりとしたものが高速で駆け上がっていった。
 一段と大きな歓声をあげる民衆。コインや紙幣を手にルダに押し入っていく。彼はそれを巧みに流しながら、付近に逆さまに置かれた帽子の中に入れるよう誘導した。



 目の前には、先刻の威勢はどこへいったのやら。ぐったりとうなだれる道化師の姿があった。呼吸音が聞き取れるほどに荒々しく息を吸い、肩を上下している。額に滲んだ汗は頬を伝い流れていた。

「お疲れ様だな」
「……あー、うん。アリガト」

 ルダは虚ろな眼のまま、労る言葉をかけたユギに向けて弱々しく微笑んだ。このような時でも微笑を絶やさない彼の意思には、最早尊敬の念すら抱かせる。
 水の入った水筒を掲げて、ギルはルダのもとへと駆け寄る。それを受け取ったルダは中のものを一気に飲み干した。ごくり、と喉が鳴る。

「で、どの程度稼げた?」
「……君のそういうトコロ、僕嫌いじゃないよ?」

 目的に直線的なユギの言葉に、少しだけ笑みが崩れた。

「今日は何かのイベントがあるのか、いつもより多く稼げたネ。ギャラリーも多かったしさ」

 大きく膨らんだ麻袋を赤いレンガで形作られた地面に置きながら彼は言う。金目のものが重なりあう音が耳に届いた。

「これだけあれば君が望むものを買いに行けると思うんだけど……どうかな? リラちゃん」
「えっ!?」

 突然声をかけられたリラは大袈裟に驚き、びくりと跳ね上がる。それを見たルダは意地悪そうに口元を緩めた。
 頬を掠める白髪を指で摘まんで、少女はちらり、道化師の方を見る。何とも言えない気恥ずかしさが込み上がる。

「あ、ありがとう……そんなにあったら、十分すぎるよ」
「そう? なら良かったヨ」

 幾度か視線をさ迷わせながらも答えると、彼はいつもの卑しい笑顔をやめた。普通の人が誰かに微笑みかけるように、ルダもまた、リラにそっとほくそ笑む。
 リラはそんな彼に面食らい、呆然と彼の顔を眺めるしかなかった。しかし彼の素朴な笑顔はほんの一瞬で、瞬きをした後にはいつもの他人を小馬鹿にしたような、煽るような表情に戻ってしまっていた。
 彼女はそれにもう一度呆気に取られるが、お金の入った麻袋を眼前に差し出されてはっとする。

「薬に関しては僕はからっきしだからネ。そこの化学者くんと一緒にお買い物、行ってらっしゃいな」

 その言葉をトリガーにしてユギはリラの手を掴んだ。ギルが頬を膨らませる。

「行くぞ」
「あっ、ちょっ、ユギ……?」

 抵抗するまでもなく、リラはそのまま足を運んでいく。後ろの方で少年がぼやいている声がしたが、振り返っている暇はない。何となくそんな気がしてしまって後ろを見ることができなかった。
 ギルが子供ながらに抱いていた、ユギに対する淡い独占欲から目を背けたかったのか、単純に時間が惜しいと思ったのか、ユギに逆らいたくなかったのかは彼女にはわからない。

 後ろ手を引かれた数分後、ユギは突拍子もなく立ち止まった。不思議に思ったリラは彼の顔を覗き込もうとして、そっと背伸びをする。

「……薬屋は何処だ……」

 苦々しげに吐き出された言葉に、思わず口があんぐりと開いてしまった。
 この手のタイプが動揺する様を他人に見せるのは、極めて珍しいと言える。それもこんな人混みでわざわざ立ち止まりながら。
 手を顎に添えた彼は、何やら思案しているようだった。リラは人の波に飲まれないようにとユギの手を強く握る。懸命にしがみつきながらも、狼狽した様子の彼に釘付けになっていた。
 だって、本当に物珍しいのだ。稀有だとすら言える。彼女が知っているユギは、ここまで思い悩む素振りを見せなかった。
 何人かがユギの肩と接触してから、彼はようやく苦肉の決断をした。リラを人混みから離れた場所まで引っ張り出して、ため息を一つ。
 ユギは明らかに疲労していた。元より外出をあまり好まないというのもあるが、彼は数多の傷をその身に刻んでいる。痛んで仕方がないのかもしれない。
 そんな彼に、リラはちくりと胸が痛んだ。

「…………悪いな。人に、道を聞いてくる」









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