07


 大層なものを吐き出すようにして、ユギはそう言った。彼は見てわかる通り自尊心が高いタイプだ。誰かに、それも見知らぬ者に助けを求めるなど本来はもっての他のはず。
 なのに彼は今、自尊心をかなぐり捨てることを選択した。リラは本能的に、彼は本当はとても優しい性根であるということ、意外と世話焼きな面があるということを痛感していた。

「……なんだその目は」

 間接的にとはいえ迷惑をかけていることに代わりはない。不本意とはいえ、リラは現在に至るまでダリに付きっきりになっていた。自分一人で街を見て回ることもできない力不足さに悲しさが吹き出してくる。
 落ち込んだような、彼の優しさが素直に嬉しいような複雑な心境のままリラはユギを見つめていた。
 ユギは怪訝な目付きになる。いつも見ている、他人と一歩引いたような視線に彼女は安堵感を覚えてしまっていた。

「お前のことだからどうせ『迷惑をかけているのではないか』、などといったくだらないことを考えているのだろうな」

 図星を突かれて、リラは小さく呻き声をあげた。ユギの口元が緩む。ふっと目を細めて、彼は言う。

「これで今朝の治療の件はチャラだ」

 ユギの手がリラの頭部に伸びた。乱雑に二度三度と撫で上げると、彼は人混みの方を向く。
 ぼさぼさにされた髪を手で押さえながら、リラは幾分か穏やかな心持ちで彼の背中を眺めた。

「すぐ戻る。だからそこで待っていろ」

 その言葉を最後に、彼は行き交う人の群れに自ら飛び込んでいった。
 リラは改めて辺りを見渡してみる。ここは、裏通りだろうか。日の光が建物に遮られて届いていない。レンガは冷えきっていて、人で溢れ返る表通りとは大きな温度差がありそうだ。
 レンガの壁にもたれ掛かって、彼女はこれからのことを考える。無事に薬を買って館に帰ったとして、今度は成功させることができるのだろうか。もし無理だったら?
 彼女はそこで思考を遮断した。考えたくなかったのだ。仲間を癒すことが自分に与えられた使命であると感じていたリラにとって、失敗はとても恐ろしいものだった。
 片手に握りしめた麻袋の重みを確認するように、彼女はそれを小さく振る。ちゃりん、とコインが擦れた音が鳴った。

「おい姉ちゃん」

 その時だった。

「良いもの持ってるねえ?」

 目の前に体格のいい男が三人も、己を囲むようにして立っていることに気づいたのは。
 時が止まったように感じられた。状況が飲み込めない。否、飲み込みたくなかった。理解したくなかった。けれど状況を把握せずにいられなかったのもまた事実だった。
 心臓が激しく脈を打つ。呼気が狭まる。眼前が真っ白になって何も考えることができない。手足が震えて、上手く立っていられない。

 どうしてダリがリラをあまり外に出そうとしなかったのか、その理由は彼女本人が理解していた。理解していたが、認めたくなかった。……己の、しようもない自尊心が認めさせてくれなかった。
 リラは、対人恐怖症である。それも、重度の。

「……っあ……?」

 蚊の鳴くような声が漏れた。地べたに座り込んで、落ち着かない視界で男の姿を映し出した。けれどそれも歪んでしまっていて明確に見ることは叶わない。

「それ、お兄さんにくれないかなあ? 良いでしょ?」
「おいやめろよ、怯えてるじゃねーか」

 ぎゃはは。下卑た笑い声が耳を刺す。身動きなどとれるはずもなかった。かたかたと小刻みに震え、目尻からこぼれ落ちそうになる涙を必死に堪えんと歯を食い縛ることしかできない。そうするも歯は振動しているので、がちがちと噛み合う音が鳴っていた。食い縛ることすらもできなかった。
 男の一人が手を差し出した。リラが抱える麻袋を欲しているのだろう、そのことは彼女にもわかっていた。
 恐怖に支配された彼女には、もう何もできなかった。麻袋を抱き締めてぎゅっと目をつぶる。
 本心は、助けを乞うていた。

 鈍い音が響いた。その直後に男の地を這うような声と、レンガに叩きつけられるような音を聞いた。ぴんと何かが張り詰めるような音も耳に届いてきた。
 何が起こったのだろう? 少女はおずおずと目を開ける。涙で濡れた顔をゆっくりと上げた。

「大丈夫ですか、お嬢さん」

 ぼやけた世界でただ一人、銀髪の青年がこちらに向かって微笑みかけていた。
 次第に視界はクリアなものになっていく。リラは青年を見る。銀髪に近い黒色の髪は耳の下辺りまで伸びていた。白い縦縞の模様が入った鼠色のスーツを着た彼は、リラに向けて軽くお辞儀をした。
 青年の足元には、リラを脅かした男が三人うつ伏せに倒れている。青年がこうさせたのだろうか。けれど青年の体つきはスマートで長身、ガタイのいい男を屈伏させられるようにはどうしても見えない。
 リラは青年を、ただ見つめた。敵意がないことは、青年の柔和な態度が示していた。見ず知らずの人は怖いはずなのに彼ばかりはどういうことか、畏怖を抱けなかった。
 青年は懐からハンカチを取り出すと、リラの頬に優しく当てる。

「もう大丈夫ですよ」

 そう言って、小さく微笑んだ。
 心臓がきゅっと縮まるような感覚を覚えた。初めての体験だった。顔にかっと熱が集まって、青年の顔を直視できない。恐怖心とはまた違う形の動揺に、リラは目を回す勢いだった。
 青年の瞳はまるで黒曜石のように美しかった。右目は病か何かで脱色したのか薄い灰色になってしまっていたが、それでも胸を打たれることに代わりはなかった。
 黒と灰の目が、リラを映している。言葉にできない感情が暴れだしてしまいそうで、それをなだめるために咄嗟に目をそらした。
 青年はリラが落ち着くまで側にいてくれた。何も言わず、じっと彼女の隣に腰を下ろして。リラにはそれが心強かった。









ALICE+