05



「君、この村の子じゃないよね? 遠くから来たの?」

 少女はギルが笑ったことに関して幾分か気を良くしたようで、表情が更に柔らかくなった。
 しかしながらギルはその一方、問われたことに心臓が凍りつく思いをする。

「う、うん。……とおくから、きたよ」

 彼は幾分か胸の奥がざわついているのを感じながらも、そう言い切った。そう言い切るしかなかった。住処を知られるわけにはいかない。
 ギルが嘘をついていることに気づくこともなく、少女は彼が言ったことを鵜呑みにして目を丸くしている。どうやら遠方から客が来るのは珍しいらしい。
 それもそうだと思う。何せこの村は一言で言うと地味だ。知名度はさほど高くないし、特産品が何なのかもわからない。
 そんなことを頭の内で考えているうちに、少女はかごの中に入ったユリの花を指先でつつきながら、ギルに向かって口を開いた。

「その手袋はなあに?」

 問われて、びくりと大袈裟に肩が跳ね上がる。
 赤い色の、普通の人間とは違う右腕。この腕には不思議な、そしてギル自身にとっては忌々しい力が宿っていた。
 この右腕に触れた全ての生命は、死に還元されてしまう。無に還るのだ。植物は枯れ、生物は死に絶える。命が宿らない物には何の被害も加えない、性の悪い能力。

「あ、これ……は、びょうきだよ。うん、びょうき」
「病気!? 大丈夫なの!?」

 二つ目の嘘をついて、ギルは胸が痛んだ。
 少女は彼が嘘をついていることなど露ほども知らない。出会った時と同じように眉を下げて、心配している顔つきになる。

「……うん、だいじょうぶだよ」

 そう呟くと、ギルは無理矢理に笑顔を作って少女に笑いかけた。

「それよりもボク、この村をもっと知りたいな。良かったらあんないしてくれない?」

 少女の顔がぱあっと明るくなる。
 着いてきて、その言葉の後に少女はギルの左腕を掴む。返事をする代わりに小さく頷いたギルの姿は、少女に見えていたのかどうかは定かではない。

 手を引かれて、彼は村を歩き回る。少女は和菓子店へとギルを連れてきた。
 木製の引き戸を引いて、すっと引き込まれていく。
 極彩色と多種多様の形をしたそれに、ギルは目を奪われる。今まで見たことがなかった。
 柔らかな甘い香りが鼻孔をくすぐる。ギルは少女にばれないようそっとお腹を撫でた。けれど少女は彼のことを見通しているらしく、肩を揺らして小さく笑う。

「食べてみる?」

 桃色の花を象った和菓子をそっと差し出され、ギルは顔を赤くする。

「い、いいの?」
「良いの良いの。ここの和菓子屋さん、私達子供にはタダでくれるんだ」

 ギルは手を伸ばそうとして、はっとする。茶色い革手袋で固定された彼の右手は、物を掴むには少し難しい。左手は少女と繋がれているために離すことが出来ない。
 どうすることも出来ずに困り果てていると、見かねた少女がギルの口元に和菓子を差し出した。

「はい、どうぞ。あーん」
「……あ、あーん……」

 背中をくすぐるむず痒さにギルは眉根を垂れた。
 少女から目をそらして口を開けると、口の中に和菓子がそっと放り込まれる。舌に届いた甘味が、じわりと幸福感を刺激する。
 ギルの表情が見るからに嬉しそうだったのだろう、少女は優しく微笑んで声もなく笑った。

「美味しい?」
「うん、おいしい!」

 無意識のうちに笑顔になっていた。
 黒兎になる前は、甘いものと縁が無かったわけではない。しかしながら追われる身となった今は、甘物はもちろんのこと、美味しいと感じる味付けの物を口にする機会が極端に少なくなってしまった。
 食は人を幸せにすると、誰かが言っていた気がする。ギルは今まさにその言葉を思い出していた。

 耳に届いた悲鳴と爆音が、現実をありありと見せつけた。
 小さく悲鳴をあげて固まる少女を横目に、ギルは神経を研ぎ澄ませる。ローブで隠しているとはいえ、黒兎の耳はほんの僅かな音でさえも聞き取ることが出来た。
 外で何かあったらしい。
 砂利を踏む音と、獣の呻き声。彼のような子供でもわかる、村に妖(あやかし)が現れたのだ。……恐らくは、食料を求めて。
 人間が開拓していった川や山の数は計り知れない。元来自然に溶け込んで生活する彼らが人間に姿を現す可能性があるのは、悪戯をしに来る時と――食糧難になった時だけだ。
 ギルは迷わず和菓子屋を飛び出した。我に返った少女が彼の後に続く。
 逃げ惑う村人が妖から逃げている。そんな村人を追いかけるのは、全身に炎を纏った鼠だった。
 生憎ギルは妖怪について詳しくない。知識があるわけでもない。それでも一つだけわかるのは、鼠型の妖は本来ならば決して人を襲わないということ。

「はっ、早く逃げなきゃ……!」

 少女はそう言うと再びギルの手を握り直す。けれどギルはそれを振りほどいた。
 きゅっと目を細めて、小さく呟く。自分は人間(かのじょ)とは違う種族なのだと心のどこかで妙に納得しながら。

「ボクはだいじょうぶ。だから、キミがにげて」

 言い返そうとぐっと唇を噛んだ少女は、ギルの真剣な眼差しに言葉を失った。
 不安げな視線を彼に送り、彼女は弱々しく首を横に振る。
 仄かに聞き取れた「嫌」という声に、ギルは眉間にしわを寄せざるを得なかった。









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